「急いでるから明日までで」って言わないで=missing value

「急いでるから明日までで」って言わないで=missing value

「急いでるから明日までで」の一言がもたらす重み

「急いでるから、明日まででお願いできますか?」——そんな一言が、こちらにどれほどの重みをもたらすか、ご存じだろうか。相手にとっては軽いお願いでも、受け取る側のこちらは冷や汗をかきながらスケジュールをひっくり返し、全力で対応する羽目になる。私は地方で司法書士事務所を一人と一人で回している。頼まれたからには断りづらいし、性格的に断るのも苦手だ。結果として、仕事がどんどん積み重なって、自分の首を絞めることになる。

相手は軽く言ってるつもりでも、こちらは命を削る

「すみません、急ぎで」と言うのは簡単だ。だが、現場ではその“急ぎ”がどれほどの負担になるか、想像してほしい。登記業務は単純に見えて、調査、書類作成、確認、提出といった複数の工程がある。しかもそれぞれにミスは許されない。ミスが出れば、責任はすべてこちらに降りかかる。そう思うと、徹夜してでも仕上げようとしてしまうのだ。自分の健康やプライベートなんて後回し。そうやって命を削るような働き方をしている。

“たった一日”の裏にある準備と確認作業

「明日まででいいから」と言われると、まるで簡単な作業のように聞こえる。でも、登記には法的な根拠と正確性が求められる。登記簿の内容を確認し、必要書類をチェックし、場合によっては依頼者に不備の説明をして修正を促す。これが一日で終わることなんてまずない。焦って仕上げても、そのツケは後で必ずやってくる。結果として、もっと時間がかかるか、信用を失うか、そのどちらかだ。

登記完了までの工程を知ってほしい

申請書を作成してハンコをもらえば終わり——そう思っている人が多い。でも実際には、法務局とのやりとり、補正対応、本人確認、委任状の整合など、さまざまな工程がある。たとえば不動産の名義変更ひとつでも、相続関係説明図や戸籍の束が必要になり、それらを読み解くには時間がかかる。工程を無視して「明日まで」と言われると、こちらとしては「あなたはこの仕事を軽く見ている」と感じてしまう。

ギリギリ依頼が生む「missing value」──抜け落ちるものたち

急な依頼が常態化すると、どうしても“抜け”が出てくる。それは書類の誤字脱字や記入漏れだけじゃない。もっと大切な「気づき」や「配慮」といった、人と人とのやりとりの中で生まれるものまで、そぎ落とされてしまうのだ。私は「missing value」は“失われた価値”だと思っている。急ぎの中で失われるその価値は、依頼人にとっても損失であるはずなのに、それが見過ごされてしまうのがつらい。

丁寧にやる余白が消えるという損失

時間に余裕があれば、気になる点に気づいたり、もう一歩踏み込んだ確認ができる。「この委任状、住所が前のままですね」といった気づきが、ミスを防ぐ。だが、急ぎの仕事ではそうした余白が消える。とにかく提出できる形に整えることで精一杯。丁寧な仕事とは、余白があって初めて可能になるものだと痛感する。そして、その余白こそが、顧客にとっての「安心感」につながる。

本来伝えるべきことが、伝えられなくなる

急ぎの案件では、依頼者への説明も最小限になる。「とりあえずここに署名を」と言ってしまうこともある。でも本来なら、なぜその書類が必要か、何を意味するのかを丁寧に説明したい。そうしないと、依頼者も本当の意味で安心できないし、こちらとしてもモヤモヤが残る。説明不足は信頼不足につながる。それは、本来伝えるべき大切な価値が抜け落ちている証拠だ。

相続人への思いも、言葉も、記録も置き去り

相続案件では、亡くなった方の人生やご家族の思いに触れることも多い。だからこそ、形式だけでなく、気持ちを汲み取りながら進めたい。だが、時間がなければ「とりあえず登記完了」で終わってしまう。その裏にあった人間ドラマも、記録も、誰にも語られないままになる。司法書士の仕事は、単なる書類屋ではないはずだ。だが「明日までで」と言われると、その役割が奪われていく。

どうしても急ぎたいなら、せめて一言添えてほしい

「無理を言ってごめんなさい」とか、「大変だと思いますが、お願いします」といった一言があるだけで、こちらの受け取り方はまったく変わる。仕事は同じでも、気持ちが軽くなる。人間同士としてのやり取りがあるかどうかで、仕事の意味も変わってくる。こちらだって、できる限り応えたいという気持ちはある。でも、その気持ちがすり減る前に、少しだけ気を遣ってほしい。

「ごめんね」のひと言が救いになる

昔、あるお客様に「急ぎですけど、申し訳ないです」と言われたことがあった。たったそれだけで、こちらの気持ちは全然違った。深夜までかかって仕上げたが、不思議と疲労感は少なかった。人にやさしくされると、頑張れるもんだ。逆に、当然のように「明日までね」と言われた案件では、やっている間ずっとイライラしてしまい、反省もした。結局、気持ちなんだと思う。

人としての関係が、仕事の質を支える

司法書士という職業は、信頼で成り立っている。それは法律上の話だけではなく、人としての信頼だ。依頼者と向き合うとき、どこまでその人を思えるか、どこまで真剣になれるか。そういう姿勢が、書類の質にも、対応の丁寧さにも表れる。だからこそ、こちらが人間として扱われないと感じた瞬間、すべてが空虚に思えてしまう。仕事の質は、技術だけでは保てない。

司法書士も、ちゃんと人間です

機械のように書類を処理するだけの日々。そんなふうに感じることもある。でも私は、司法書士である前に一人の人間だ。眠いときもあるし、落ち込む日もあるし、雑な言葉に心が傷つくこともある。だからお願いがある。「急いでるから明日までで」——それを言う前に、少しだけ、こちらの時間と気持ちを想像してもらえるとうれしい。missing valueを埋めるのは、ほんの一言かもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。