少しだけ逃げたくなった朝

少しだけ逃げたくなった朝

ほんの少しだけ現実から逃げたいと思う朝がある

司法書士という仕事は、外から見ると「安定していて堅実な職業」に映るのかもしれない。けれど、毎朝目覚めて、枕元の天井を見上げると、胸の中に鉛のような重みが広がる日がある。やるべきことは山積みで、関係者の顔が次々と浮かんでくる。あの依頼者にはまだ返事をしていない、書類の訂正は間に合うだろうか……そんな不安に包まれながら、なんとか身体を起こす。逃げたい、けど逃げられない。そんな気持ちと共に始まる朝が、年々増えてきた気がする。

朝起きた瞬間に感じる重さと虚しさ

目覚ましの音を止めた後の数秒間、「このまま布団から出なければ、今日という日は始まらないのでは」とすら思ってしまう。布団にくるまれているその時間だけが唯一、すべてから解放されている瞬間のように感じる。昔は、目覚めと同時にグラウンドへ走っていた元野球部の自分が信じられない。今では、気力の発動ボタンが見つからない。

事務所の鍵を開ける手が止まった日

ある朝、いつものように事務所の前に立ち、鍵を差し込もうとした瞬間、ふと手が止まった。理由なんてない。ただ、「今日、開けたくない」と思った。鍵を回せば、今日の現実が始まってしまう。その日はコンビニに引き返し、缶コーヒーを買って車の中で30分過ごした。誰に迷惑をかけたわけでもない。でも、妙な罪悪感に苛まれて、その30分が一日中頭に残った。

今日の依頼者は誰なのか知りたくなかった理由

予定表を見るのが怖い日がある。依頼者の名前を見た瞬間に、その人の話し方や要求の細かさが蘇る。中には、正直会いたくない相手もいる。でも断る理由はないし、自分が引き受けた仕事だ。それでも「今日が休みだったら」と思いながら予定表を開く瞬間が、いちばん精神的に削られる。

やらなきゃいけないことが多すぎて気が遠くなる

ToDoリストは減るどころか、増える一方。登記申請のミスは致命的だし、提出期限もある。急ぎの案件が入れば、後回しにしたタスクが雪だるま式に膨らんでいく。気づけば昼休みもなく、夕方には頭がぼーっとしてくる。これが毎日続くと思うと、どこかでブレーカーが落ちてしまいそうだ。

押印ミスひとつで全部やり直し

先週の話だ。会社設立の案件で、押印の位置がほんの少しズレていただけで、書類の再作成を求められた。こちらの責任ではないのに、結局は自分が修正と再提出を引き受ける羽目に。「なんで自分が…」という苛立ちと、それをぐっと飲み込む疲労感。その夜は、何も食べずに寝た。

電話が鳴る音が怖くなる時

昔は電話が鳴ると「仕事が来た」と思えた。でも今は違う。知らない番号を見ると、嫌な予感しかしない。苦情かもしれない、訂正依頼かもしれない。出なきゃいけないけど、出たくない。その繰り返しで、スマホを見ることすら億劫になる日もある。

誰にも弱音を吐けないという孤独

独立して10年以上経つが、今も「自分が止まったら終わりだ」という意識が拭えない。事務員にはなるべく負担をかけたくないし、愚痴も見せたくない。そんなふうに振る舞っていたら、いつの間にか本音を出す相手がいなくなっていた。

事務員にすら見せられない顔がある

事務員は気が利くし、頑張ってくれている。でも、自分が泣きそうになっていることは伝えられない。経営者としての顔を保とうとするほど、どこかで感情が置き去りになる。「大丈夫です」と言いながら、心の中では「誰か代わってくれ」と叫んでいる。

同業の友人がいないという現実

司法書士はみんな忙しい。同業との繋がりも少なく、横のつながりが薄い。学生時代の友人は異業種で、悩みを共有する相手もいない。夜、一人で居酒屋に入り、同業者が集うSNSを眺めては、「自分だけが取り残されているような気がする」と思ってしまう。

逃げたくなる気持ちをどう扱えばいいのか

逃げたくなる日があっても、それは決して弱さではない。むしろ、それだけ頑張っている証だと、最近になってようやく思えるようになった。全力で走り続けることだけが正解じゃない。少し休んだって、また歩き出せばいい。

「逃げたら終わりだ」と思うのはもうやめよう

かつての自分は「一度でも逃げたら負け」だと思っていた。特に野球部出身ということもあり、根性論が身体に染みついていた。けれど、そんな自分が倒れかけた時、「このままじゃダメだ」とようやく気づいた。逃げるのではなく、持ち場を離れるという感覚で考えられたら、少しは楽になった。

元野球部時代の根性論が今では足枷に

監督に怒鳴られても歯を食いしばっていたあの頃が、今の自分の考え方のベースになっている。でも、その根性は、社会に出てからは「無理を続ける癖」へと変わってしまった。気づけば、身体も心も限界寸前。あの時、肩を痛めてでも黙っていたように、今もまた何も言えずにいる自分がいる。

真面目さが自分を追い詰めることもある

真面目であることは、司法書士にとって必要な資質かもしれない。でも、その真面目さが「手を抜けない」「完璧でなければ」と自分を締め上げる。時には「適当でいい」と言ってくれる誰かの存在が、心の支えになるのかもしれない。

少し逃げることでまた戻ってこれる

全部投げ出すのではなく、「少しだけ逃げる」ことで、自分を取り戻せることがある。勇気を出して休むことで、結果的には効率も気持ちも整ってくる。逃げたと思っていた道が、実は再スタートの場所だったということもある。

コンビニの駐車場で30分ぼーっとする時間の大切さ

事務所に行く途中、コンビニの駐車場で30分ぼーっとすることがある。缶コーヒーを飲みながら、何もしない。ただ「今日どうするか」だけを考える。そんな時間があることで、不思議と心が少し軽くなるのだ。逃げてるのではなく、呼吸を整えている感覚。

昼休みに遠回りしてラーメンを食べに行く理由

いつもより遠いラーメン屋まで車を走らせる。あの味噌ラーメンを食べる時間が、心の防波堤になっている。誰にも干渉されない時間と味。何の生産性もないその1時間が、午後の自分を支えてくれているのだ。

「逃げ」じゃなくて「休み」と言ってもいい

「逃げたい」と思う気持ちに、もっと優しくなってもいい。自分のことを、自分が責めすぎていた。「少しだけでいい」と心の声が聞こえたら、それは立ち止まるサインだと思って、そっと休もうと思う。逃げたんじゃない。生きるために、ちょっと休んでるだけなんだ。

自分を甘やかす勇気が必要な時もある

「まだ頑張れるだろ」と自分に言い聞かせるのは簡単。でも、それを繰り返して限界を超えてしまうと、取り返しがつかない。ときには「今日はもういいや」と呟く勇気の方が、ずっと大事だったりする。

ひとりで抱え込まない習慣をつけたい

最近は、「これって一人で抱えるべきか?」と自問するようにしている。手伝ってくれる人に頼むことも、愚痴を言える相手を見つけることも、全部「逃げ」ではない。生き延びるための工夫だ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。