やる気がないわけじゃないけど今日も動けなかった

やる気がないわけじゃないけど今日も動けなかった

朝からやる気がないわけじゃない

目覚ましのアラームはしっかり鳴った。布団の中で意識ははっきりしているし、今日のスケジュールだって把握している。でも、体が動かない。これは怠けているわけじゃない。むしろ、心の中では「早く起きろ」と何度も自分に声をかけている。けれど、頭と体がまったく噛み合わない。司法書士の仕事は、ミスが許されないし、集中力も求められる。だからこそ、気合だけじゃどうにもならない朝がある。そんな日は、気持ちだけが先走って空回りしてしまう。

目は覚めてるのに体が動かない朝

目は覚めていて、やるべきことも頭では分かっているのに、なぜか手足が鉛のように重い。そんな朝が続くと、自分でも「本当にやる気あるのか」と問い詰めたくなる。でも違うんだ。やる気がないんじゃない。ただ、エンジンがかかるのに時間がかかるだけ。学生時代の野球部なら、一発叫べばスイッチが入った。でも今は、叫ぶ相手もいなければ、スイッチの場所すら見つからない。年齢のせいか、気力と体力のバランスが崩れてきたのを痛感する。

「今日こそ」は何回目だろうと思う瞬間

毎晩、寝る前には「明日は早く起きて書類も片づけて…」と予定を立てる。でも現実は、繰り返しの「今日こそ」地獄。いつしかその「今日こそ」という言葉にすら疲れてしまい、手帳に書き込むことすらやめた日もある。予定は埋まっているのに、やる気だけがそこにいない感覚。これが怠慢と言われるのは本当に悔しい。でも誰にも説明できないこの感覚を、いったい誰が理解してくれるのだろう。

出勤前のコーヒーだけが友達

玄関先で靴を履くのに数分、鞄を掴んで玄関を出るまでにまた数分。そんな自分に嫌気がさしても、立ち寄るコンビニで買う缶コーヒーだけは、変わらずそこにある。缶のプルタブを開ける音が、小さなスイッチになることもある。コーヒーの苦さに救われることもある。誰にも話しかけられたくない朝に、無言で寄り添ってくれるのは、この缶コーヒーくらいだ。

忙しすぎるのにやる気がないと見なされる現実

外から見れば、登記の件数は安定していて、仕事もちゃんと回っているように見えるかもしれない。でもその裏側では、ぎりぎりの気力と体力で日々をつないでいる。どれだけ頑張っていても、動きが鈍ければ「やる気がない」と思われてしまう。それが一番つらい。本人は必死でも、周囲からは評価されない。見えない戦いを続けるのは、本当にしんどい。

登記完了はしてるけど心は完了してない

今日も無事に登記が完了した。依頼者にも報告を終え、書類もまとめた。でも、心の中はまったく完了していない。ひとつの仕事を終えるたびに、また次の案件が押し寄せてくる。終わったはずの業務に安心する間もなく、次の山が見えている。だから、達成感なんて感じている暇がない。「やったぞ」という気持ちは、どこかに置き忘れてきたようだ。

ひとつひとつの業務に気力が持っていかれる

登記申請ひとつ取っても、ミスは許されない。確認、確認、また確認。相手の信頼を裏切らないために、細部まで気を張る。それを一日に何件も続けていると、気力はどんどん削られていく。誰にも見えないところで、精神力だけがどんどん消耗していく。それでも誰にも愚痴を言えないのが、この仕事の孤独さかもしれない。

外から見たら順調でも中はぐしゃぐしゃ

「順調そうですね」と言われるたび、心がざわつく。確かに、表面上は何も問題なく回っている。でもその実、書類の山、電話対応、役所とのやり取り、突発の案件に追われて、内側はぐしゃぐしゃ。うまくいっているように見せなければというプレッシャーもあって、本音を隠すことが癖になっている。だからこそ、疲れは誰にも気づかれない。

事務員に気を遣いすぎて自分が削れる

事務員さんは本当に助かっている。でも、彼女に頼りすぎるわけにもいかず、かといって仕事量は減らない。何か任せるたびに、「負担じゃないかな」と考えてしまう。結果、結局自分でやってしまう。気遣いが優しさになることもあるけど、自分を削る結果になることもあると最近よく思う。

仕事を振るにも罪悪感がある

たった一人のスタッフに仕事を振るのは、簡単なようで難しい。特に自分が気を使いすぎる性格だと、余計に躊躇してしまう。手が空いていても「無理させてないか?」と不安になる。結果として、効率よりも安心を取ってしまい、自分の仕事は減らない。経営者としては不器用すぎるけど、こういうところだけは昔から変わらない。

頼れる人がひとりしかいないという重さ

彼女が休めば、すべての歯車が止まる。そんな不安が、常に頭の片隅にある。代わりがいないという状況は、安心のようで不安定。だから、何かあったときに備えて、日々自分がどこまでカバーできるかを考えている。そういう緊張感が、毎日の積み重ねで精神をすり減らす。

自分が倒れたら全部止まるというプレッシャー

風邪ひとつで仕事が遅れる。自分が寝込めば、連絡ひとつ止まる。そのプレッシャーを常に感じている。だから倒れるわけにはいかない。でも、そう思いすぎて、結局体も心も限界に近づいていく。責任感と疲労感が同時に押し寄せるとき、やる気を出すという行為すら重たくなる。

やる気はあるけど元気がないだけなんです

「やる気ないの?」って言われるのが一番こたえる。あるんだよ、やる気は。でも、それを出す体力がもう残ってないだけ。元気がないと、気持ちすら引きずられる。昔のようにガッと動けない自分が、もどかしい。

昔のように踏ん張れないのは甘えなのか

若い頃は、根性と気合いで何とかなった。徹夜しても平気だったし、無理もきいた。でも今は、睡眠不足が次の日に響く。集中力が切れやすくなったし、疲れが抜けない。そんな自分を「甘えてる」と感じる日もある。でも、それって本当に甘えなんだろうか。単に、年齢と環境の変化なのではないかと思う。

体力だけは野球部時代に置いてきた

高校時代は毎朝走って、声出して、全力プレーが当たり前だった。でもあの頃の体力は、もうどこにも残っていない。今の自分は、事務所の階段を上るだけで息が上がる。情けないけど、これが現実。でも、あの頃の根性だけは、まだ自分のどこかに残っていると信じている。

睡眠が浅くて常にリカバリー中の気分

寝ても疲れが取れない。夢ばかり見て、熟睡できた気がしない。朝起きると、むしろ疲れている。これでは気力も湧かないのは当然だ。眠りの質が悪いと、すべてのやる気が鈍る。だから、朝から全力で動けなくても、どうか「やる気がない」と決めつけないでほしい。

誰にもモテないし誰にも頼れない

恋愛の話なんてもう遠い昔。忙しさを理由にしてるけど、実際は誰かと向き合う余裕がないのが本音。でも、それでも人恋しい夜はある。誰かに「今日もおつかれ」と言ってもらえるだけで、たぶん救われるのに。

恋愛どころじゃないけど寂しさはある

仕事に追われる日々の中で、恋愛は後回しになってきた。でも、ふとした瞬間に孤独が胸を刺す。飲み会の帰り道、誰もいない部屋に帰ったとき、布団の中で聞こえるのは冷蔵庫の音だけ。誰かと過ごす時間が、どれほど心を温めてくれるかを、失ってから気づくなんて遅すぎる。

会話が業務連絡ばかりで終わる一日

今日、誰かとちゃんと会話しただろうか。事務員とのやりとりも、依頼者とのやりとりも、すべて業務連絡。雑談なんてほとんどしない。気づけば、言葉を交わすのはパソコンの画面か、郵送先の住所だけ。人間らしい会話がないまま、一日が終わってしまう。

ふとした沈黙に何かがこぼれ落ちそうになる

沈黙の時間は、静かであるはずなのに、心の奥からいろんな声が聞こえてくる。寂しさ、不安、後悔、ちょっとした嫉妬…。その声に耳を澄ませすぎると、涙が出そうになる。だけど、泣く暇もないのが現実。だから今日も、やる気がないわけじゃないけど、動けないままの一日を終える。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。