猫のいる生活がくれる「無言の安心感」
司法書士という仕事は、思っている以上に人と関わる。お客様との対応、登記の内容確認、役所への問い合わせ、事務員への指示出し……。一日中、しゃべってばかりなのに、どこか満たされないのはなぜだろう。そんなことを考えながら、家に帰ると、無言で迎えてくれるのが猫。目が合うと「ニャ」と一声。それだけで、ふっと肩の力が抜ける。言葉はいらない。癒しとは、きっとこういうことなんだろうと思う。
誰にも邪魔されない時間、でも一人じゃない
自営業という働き方は自由である一方、孤独でもある。誰も声をかけてくれない、気にかけてくれる人もいない。特に独身男にとってはその傾向が顕著だ。そんな中、猫の存在は「ひとりじゃない」と感じさせてくれる稀有な存在だ。音のない部屋で、カリカリと猫砂を掘る音が聞こえるだけで安心する。テレビも音楽も要らない。
事務所で静かに待っている猫の存在
うちの猫は、時々事務所にも連れて行く。打ち合わせが長引いて遅くなる日、猫も連れてくるようになった。最初は仕事にならないかと思ったが、意外にもお客様の反応が良い。「かわいいですね」と話がほぐれることもあり、猫がいるだけで空気が和らぐのだ。キャリーの中からじっと見ている姿に、なぜか自分が見守られているような気持ちになる。
「おかえり」の代わりにスリスリしてくるだけで報われる
長い一日を終えて、玄関のドアを開けた瞬間、すり寄ってくる猫。鳴き声もなく、ただ静かにこちらに身体を寄せてくるだけ。その「何気なさ」に、なんとも言えない救いを感じる。人間の「おかえり」は時に気遣いや社交辞令を含むけれど、猫の行動には打算がない。ただいてくれるだけでいい。それが今の自分には何よりありがたい。
人間関係で消耗する日々に、猫のまなざしが救い
誰かと話すのが好きだと思っていた。だが、実際は「気を使い続ける会話」に疲れていただけだった。人とのやりとりは、ときに胃がキリキリするほど神経をすり減らす。特にトラブル対応や登記ミスの訂正、相続人間の調整などは神経戦だ。そんな日々を終えて、じっとこちらを見つめる猫のまなざしに癒されると、「ああ、自分は生きてていいんだ」と少し思える。
電話も来客も、全部が疲れる日常
司法書士という職業柄、電話が鳴らない日はない。要領を得ない問い合わせ、書類の催促、急ぎの登記依頼、気が滅入る話ばかりだ。ドアが開けば「〇〇さん来てます」と事務員からの声。対応しても感謝されることは稀で、ミスがあれば責められる。だからこそ、誰にも邪魔されず、猫と向き合える夜が必要になる。静かな時間に、ようやく自分を取り戻せる。
膝の上で眠る猫は何も要求してこない
膝に飛び乗って丸くなる猫。何かを語るわけでもなく、ただ安心して寝ている。それを見ていると、自分も「このままでいいのかもしれない」と思えてくる。仕事も人生も、うまくいかないことばかり。でも、猫はそんなこと関係なく、私の膝で眠ってくれる。その信頼が、何よりの救いだ。
恋人はいないけど、寂しくない……はずだった
恋愛はもういいかな、と思うようになったのは、たぶん猫と暮らし始めてからだ。猫のいる生活は快適すぎて、人と暮らすことの面倒さを改めて意識するようになってしまった。とはいえ、時々ふと寂しさに襲われる瞬間もある。猫では埋められない孤独もあるのだ。
飲み会にも誘われず、土曜の夜はYouTubeと猫
気づけば、土曜の夜も変化のないルーティン。コンビニのつまみを片手にビール、テレビはつけっぱなしで、猫とソファ。YouTubeで他人の恋愛話を聞きながら「ふーん」と流す。スマホには連絡もなく、気づけば夜中の1時。「別に、これでいいよ」と言い聞かせながらも、どこか心がぽっかり空いている。
「いいなあ」と思うこともあるけれど
街を歩いていると、手をつなぐカップル、子どもを抱いた家族連れが目に入る。「いいなあ」と思ってしまうのは、きっと自分のどこかに「誰かといたい」という気持ちが残っているからだろう。でも、同時に「無理だな」とも思ってしまう。気を使って、話を合わせて、休日の予定を立てて……それをするエネルギーがもうないのだ。
結局、誰かと過ごすのもしんどそうで…
人と関わるには、覚悟と体力がいる。結婚生活なんて、きっともっと大変だろう。相手の家族との関係、日々の会話、生活スタイルのすり合わせ……考えただけで疲れてしまう。猫となら、そうした無理が一切ない。自分のリズムで暮らし、必要なときだけ寄り添ってくれる。それが今の自分にはちょうどいい。
猫と司法書士、奇妙にかみ合う生活リズム
猫は基本的に自由気ままな生き物だ。一方、司法書士の仕事は締切と緊張感に追われ続けるもの。この真逆の性格同士が、なぜかうまく噛み合う。張り詰めた生活の中に、ふとしたゆるみを作ってくれる存在。それが猫だ。
朝イチの登記申請、猫と一緒にデスクに向かう
朝6時、目覚ましの音で起きると、猫がすでにベッドの脇で待っている。洗顔して朝食を済ませ、パソコンを開く。登記申請書類をチェックする傍ら、猫がキーボードの横に座る。カタカタと入力する手元をじっと見つめているその姿が、妙に安心感をくれる。「今日も始まるな」と実感するのは、その視線のおかげかもしれない。
深夜の補正対応、そっとそばにいるだけの相棒
予期せぬ補正通知がメールで届く。時計を見ると23時。深いため息をつきながら、再びデスクに戻る。隣の椅子には、いつの間にか猫が乗っている。作業の邪魔はしない。ただ、そこにいる。寝落ちしそうになっても、「まだそばにいるからがんばれよ」と言われてるような気がして、もう少しだけ頑張ろうと思える。
「癒し」を飼っているというより、「癒されに帰る」場所
猫はペットではない。もう自分にとっては「同居人」だ。仕事で疲れ切った心を癒してくれる存在であり、自分の生活リズムの一部。猫と暮らすようになって、家が「帰りたい場所」になった。疲れ果てても、「あいつが待ってる」と思うだけで、なんとか一日を乗り切れる。
繁忙期にこそ、猫の存在がありがたすぎる
3月、12月、繁忙期になると帰宅が深夜になることもしばしば。もう何も考えたくない、布団に倒れこみたい。そんなとき、猫が枕元に来て、胸の上に乗ってくる。重い。でも、あったかい。その瞬間、「明日もがんばるしかないか」と無理やりにでも思える。猫がいるだけで、気力が少しだけ戻るのだ。
人との関わりを求めすぎない暮らし方のひとつの答え
人と関わることが全てじゃない。猫と生きることで、それがはっきりした気がする。優しさや思いやりを分かち合う方法は、人間同士じゃなくてもいい。仕事に疲れて、誰にも会いたくない夜があっても、猫と過ごす数分で回復できることもある。そんな生活があっても、別に悪くない。