プロローグ登記簿の異変
八月の蒸し暑さが残る午後、事務所の古びたエアコンがうなり声を上げていた。私は書類の山に埋もれながら、半ば無意識にハンコを押し続けていた。そんな中、サトウさんが無言で差し出した一枚の登記簿が、事件の始まりだった。
そこには、名義変更の記録が抜け落ちていた。いや、正確には、変更された形跡が「あるのに存在しない」という、意味不明な状況だった。普段ならスルーしてしまいそうなこの矛盾が、私の疲れた脳に引っかかった。
突然の来訪者
その矛盾が気になり始めた矢先、ドアが開いて男が現れた。無精ひげを生やし、汗ばんだシャツを着たその男は、開口一番こう言った。「あの家の登記、変じゃないですか?」と。
私は男の名刺を受け取りながら、警戒心を隠さなかった。地元でも評判の不動産ブローカーだった。登記がおかしいのは確かだが、何が目的か読めなかった。
登記簿の中の違和感
私は改めて登記簿を確認した。表面上は確かに名義が変わっていたが、その前の所有者が誰だったのかが不明瞭だった。過去の履歴が空白のように、ぽっかりと抜け落ちている。
普通ならあり得ない。いくら古い物件でも、相続や売買の経緯は記録されているはずだ。まるで誰かが、意図的に“過去”を消したかのようだった。
依頼のはじまり
ブローカーの男は、あの家を仲介しようとした際に、登記の異常に気づいたという。そして前の所有者に連絡を取ろうとしたが、誰一人として所在が分からないと告げた。
「もしかしたら、詐欺か何かかも」と言いながら、彼は登記の調査を依頼してきた。いや、正式な依頼というより、誰かに話しておきたかったのかもしれない。
不動産の名義に潜む謎
登記簿によれば、五年前に相続が行われているが、相続人の名前が現在の所有者と一致しない。申請者の記録もどこか偽名じみていた。私は法務局の端末を開きながら眉をひそめた。
「これは……、普通じゃないですね」と私がつぶやくと、サトウさんがぽつりと返した。「でしょうね。なんか変ですもん」。塩対応にも程があるが、正論なので言い返せなかった。
初動調査と違和感
私は現地へ足を運んだ。家自体は古びていたが、最近誰かが手を入れたような形跡もある。不動産サイトにも同物件が掲載されていたが、写真は明らかに別の家だった。
誰かがこの家を「存在しない家」として売り出そうとしているのだ。つまり、実在する物件を架空のものに偽装し、不正な利益を得ようとしている。
近隣住民が語る噂話
近所の老婆に話を聞くと、「あそこはねえ、十年前から誰も住んでないよ」と言う。だがその記憶はあやふやで、「一度だけ黒い車が何台も来た」ことは覚えているらしい。
私は老婆の記憶の断片に引っかかった。「黒い車」……おそらく司法書士か、あるいは司法書士を装った何者かが来ていた可能性がある。
過去の記録をさかのぼる
私は手間を惜しまず、過去の登記簿を紙で取り寄せた。最近はデータ化されているが、古い記録はまだ紙のままだ。封筒を開けた瞬間、私はゾッとした。
あの家の所有者として、見覚えのある名前が記載されていた。それは、かつて失踪した同業者の名だった。
古い登記簿に残された痕跡
筆跡、印影、申請内容。すべてが本物に見える。しかし、日付が不自然だった。提出日が日曜日になっている。法務局は日曜は閉まっているはずだ。
つまり、提出された登記は「実在するように見せかけた偽造」。私は寒気がして、コーヒーを取りに行こうとしたが、サトウさんに「糖分取りすぎ」と止められた。
相続登記に見え隠れする影
問題の相続登記は、他にも不審な点があった。遺産分割協議書が存在しないのだ。それでいて法定相続ではなく、単独名義への変更がなされている。
これはかなり手慣れた手口だ。下手をすると、司法書士が関与していた可能性もある。私はかすかに震える指で、過去の事件記録を調べ始めた。
疑惑の中心人物
やがて浮かび上がってきたのは、「ミカミ」という名前の司法書士だった。失踪したとされていたが、懲戒処分を受ける寸前だったという情報もある。
このミカミが、裏で複数の不動産を不正に取得していたとすれば、今回の件とも無関係ではない。登記簿は、記録するだけでなく、影をも記録するのだ。
姿を見せない所有者
現在の所有者は「サカモト」と記載されていたが、存在の痕跡がない。住民票も転入記録もなく、郵便物は「宛先不明」で返送されている。
まるで幽霊だ。誰かが「存在しない人物」を作り出し、不動産の名義に据えたのだ。このやり口、どこかで見たことがある。
サトウさんの閃き
「ミカミの名前、他にも使われてたんじゃないですか?」
サトウさんの一言に、私はハッとした。過去に同様の登記変更があった物件をリストアップし、照らし合わせると、複数の物件で同一パターンが確認された。
登記簿の余白に注目せよ
余白には、司法書士の登録番号が記載されることがある。私はミカミの番号と照合し、完全一致を確認した。やはり裏で彼が暗躍していたのだ。
しかし、彼はすでに行方不明。追い詰めるには、新たな証拠が必要だった。
封印された過去
調査の中で、私は十年前に起きた未解決事件に行き当たった。被害者は高齢者。家を手放す直前に失踪し、現在も行方不明のままだ。
登記の変更が行われた日と一致していた。偶然にしては出来すぎている。これは、登記を使った犯罪なのだ。
元司法書士の証言
私は知り合いの元司法書士を訪ねた。彼は、当時ミカミと同じ支部に所属していたという。
「ミカミは優秀だったけど、何かを隠してた。最後は『登記の神様』を気取ってたな」と語った。やれやれ、、、司法書士に神様はいない。
事件の真相
証拠が揃い、私は警察に通報した。捜査の結果、ミカミは偽名で別人になりすまし、いくつもの不動産を不正取得していたことが発覚した。
今回の物件もその一つ。登記簿が正義を記録してくれたおかげで、真実が露わになった。
名義変更のトリック
全ては、偽造された遺産分割協議書と偽名義人の組み合わせだった。ミカミは、手口を巧妙に進化させていたが、最後には「余白」に残された番号が彼を追い詰めた。
「登記簿に嘘はつけない」。司法書士の世界では、常識である。
エピローグ静かな日常へ
事件が終わり、私は元の忙しない日常に戻った。だが今回は、少しだけ達成感があった。疲れ果てた私を見て、サトウさんが言った。「コーヒー飲みます? 微糖のやつ」
「おお、ありがとう」と言いかけた瞬間、書類の山が崩れてきた。「あーっ!」という私の叫びに、サトウさんは無言でファイルを直していた。
やれやれ、、、やっぱり俺の出番か
日常は事件よりもやっかいだ。だが、誰かの記録を守るために、今日も私はハンコを持つ。やれやれ、、、次の事件が来る前に、コーヒーくらいゆっくり飲ませてくれ。