登記簿の読み間違いに震えた日

登記簿の読み間違いに震えた日

見慣れたはずの登記簿で、まさかの読み違い

司法書士という仕事に就いて20年近く。登記簿謄本の読み方なんて、寝ながらでもできると高を括っていた。でも、あの日は違った。地元の古い物件の登記簿、ちょっとした名義の違いを見落としたことで、依頼者からの指摘が入り、冷や汗どころか全身が凍りついた。たった1行、されどその1行が致命的で、自分の慢心と油断を痛感した。地方の小さな事務所で、誰にも相談できず、一人で震える夜を過ごすことになったのは言うまでもない。

「見落とすわけがない」と思っていた箇所に限って

毎日毎日、何十件と登記簿を見ていると、だんだん“目が勝手に処理してくれる”ような感覚になる。でも、そこにこそ落とし穴がある。今回の件では、所有権移転の欄の記載がほんの少し崩れていて、本来なら気をつけるべき表記のゆらぎを、「ああ、いつものやつね」と自動処理してしまったのだ。自分が“間違えるわけがない”と思っている部分ほど、注意を怠る。情けないが、今さらながらその基本に立ち返る羽目になった。

慣れが生む油断、そして小さな違和感の見逃し

おかしいな、と一瞬思った。名前の字体が微妙に異なるような、日付の表現が統一されていないような、そんな違和感が脳裏をかすめた。しかし、その違和感を「まぁ、大丈夫だろう」で済ませてしまったのが敗因だった。司法書士の仕事は、そういう違和感を感じたら“止まる”ことが何より大事だというのに。結局、違和感をスルーしたことで、あとから顧客に説明する場面で苦しむことになった。

1文字の違いが全体を狂わせたときの絶望感

読み間違えたのは、たった1文字。にもかかわらず、全体の手続きがストップし、依頼者にも再度の確認が必要になった。信頼は目に見えないものだが、壊れる時は本当に一瞬だ。私の“いつものように”の感覚は、相手からすれば“信頼できない司法書士”に映っただろう。その夜、誰もいない事務所で一人パソコンの前に座り、修正申請書を打ち直しながら、「何やってんだろう俺……」と呟いた。

missing value——司法書士にとっての空白の恐怖

データの世界で言う「missing value」は、入力漏れや空白を意味する。司法書士の業務においても、この“空白”は恐怖の対象だ。登記情報の空欄や未記載の項目は、真偽不明のトラップにもなり得る。「書いてないからないのか、書き忘れているのか」、その判断は経験や直感に頼る部分が大きい。しかし、それこそが危ない。空白に怯え、補完すべきか確認すべきか迷う時間が、仕事の精神的負荷をじわじわと高めるのだ。

空欄ひとつで全体が疑わしくなる感覚

たとえば所有者の住所欄が空白のままだと、なぜか他の情報まで疑わしく思えてくる。補正申請の対象か?公図の確認まで遡るべきか?登記官に問い合わせるべきか?たった一つの空欄が、芋づる式に疑問を連れてくる。そのたびに確認作業が増え、進行が止まる。クライアントにすぐ連絡を入れられる関係ならいいが、そうでなければ、自分の判断に責任が乗ってくるのがこの仕事の怖さだ。

補完か、確認か、それとも一旦止まるべきか

「とりあえず補完しようか」と思って入力した情報が、後になって間違いだったと気づくことがある。この業界では、“勝手な補完”ほど危険なものはない。補完して楽になりたくなる自分と、正確性を求めて止まりたくなる自分が葛藤する。その間に時間が過ぎ、締切が近づき、焦りでさらに判断を誤る。結局、「わからない時は止まる」が正解なのだが、それができる余裕がある日ばかりじゃない。

誰にも聞けない「この空欄は正しいのか?」の葛藤

事務所に同業者が何人もいれば、すぐに相談できる。でも、うちは私一人と事務員だけ。事務員に聞いたところで、「え?空欄ってマズいんですか?」という反応が返ってくるだけで、孤独はさらに深まる。専門書を開き、ネットの事例を検索しても、微妙なケースはどこにも載っていない。夜の帳が下りたあと、蛍光灯の下で空欄の意味を延々と考え続ける。この精神的な“missing value”が一番堪える。

事務員との連携ミスが生む二重のショック

一人事務所での唯一の味方である事務員。でも、実務の知識は浅く、こちらの指示の出し方ひとつで混乱が生じる。登記簿のチェック項目を伝えたつもりでも、相手は「それは見なくていいと思った」とか「ちゃんと書いてありましたよ」と答える。そこにズレがあると、自分がミスったのか、相手の確認不足なのかが曖昧になる。責任は結局自分。だからこそ、連携の甘さには常に神経を張っている。

「お願いしたつもり」「聞いた気がした」のズレ

この“つもり”のやり取り、地味に堪える。「書類送ってって言いましたよね?」「え、FAXのことじゃないんですか?」こんなすれ違いが、意外にも致命的になる。しかも自分にも“そうだったかも”と思うスキがあるから、強く出られない。自分の指示力のなさを突きつけられるようで、落ち込むことも多い。忙しい時ほど、ちゃんと伝えることをサボってしまう——この自滅パターン、いい加減やめたい。

結局すべての責任は自分に返ってくる現実

どんなミスでも、どんな連携不足でも、最終的に責任を取るのは自分。これは小さな事務所をやっている司法書士なら、誰もが味わっている現実だろう。事務員に対してイライラする日もあるが、結局、自分の背中に全部乗る。「ああすればよかった」「もっと詰めておくべきだった」——反省ばかりの日々だ。でも、それでもまた次の登記簿が届けば、同じようにチェックを始めるのが悲しい性だ。

夜に思い出す「なぜあの時気づけなかったのか」

風呂上がりにビール片手にテレビをつけても、ふとした瞬間に思い出す。「あの読み違い、どうして気づけなかったんだろう」。寝る前にスマホをいじっているとき、突然浮かぶ記憶。あの欄、あのページ、あの名前——。まるでトラウマのように蘇る。自分の中にある“未処理の後悔”が、何度でも夜を邪魔してくる。

不完全な確認チェックリストの落とし穴

確認表も作っている。チェックリストもある。なのに、見逃す。これはもうリストの問題ではなく、自分の集中力や“気の持ちよう”の話なんだと思う。たしかに項目は見た。でも“見た”だけで、“確認”はしていなかった。ルーチンに組み込んだ確認作業が、逆に「思考停止」の原因になっていた気がする。だからこそ、チェックリストに頼りすぎない「疑う目線」を意識しなければと思い直した。

この仕事に「完璧」はないけれど、「凡ミス」は許されない

完璧を目指せとは言わない。だけど、「あってはならないミス」は確かに存在する。そんな中で生きている。たった一つのミスで信頼を失うプレッシャー。孤独な戦い。誰も代わってくれない責任。司法書士って、こんなにメンタル削られる仕事だったか? 最近、少し疲れている自分がいる。

言い訳のできない世界で生きるということ

「忙しかったから」「確認したつもりだった」——そんな言い訳はこの業界では通用しない。どんな事情があろうとも、ミスはミス。だからこそ、プレッシャーと孤独が常に背中に乗っている。時には「もうやめたい」と思うこともあるが、それでも「必要としてくれる人がいる」から続けている。いや、続けざるを得ないだけかもしれない。

それでもやっぱり、登記簿が好きだと言いたい

愚痴ばかりこぼしてきたが、それでもやっぱりこの仕事が嫌いにはなれない。登記簿の紙の匂い、古い記録をたどる感覚、正確な事実を積み重ねていく充足感。小さなミスに震える日もあるけれど、それすら「生きてる実感」なのかもしれない。ミスを糧にして、明日はもっと丁寧に、もっと誠実に。そう思って、また今日も登記簿を開く。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。