朝のニュースを見て落ち込むのは自分だけか
出勤前にテレビをつけると、朝から明るい笑顔でキャスターが話している。天気は晴れ、経済は上向き、家族特集にはニコニコの子どもたち。そんな中、自分は食パンをかじりながら前日の疲れが抜けきらず、スーツのズボンにアイロンもかけられずにいる。こんな自分を映す鏡を見て、「あれ、俺ってもしかしてズレてる?」と、ふと不安になる。だけどそれって本当に自分だけの感情なのか?実は、あの画面の向こうの笑顔にも、裏ではいろんな事情があるはずだ。そう考えると、ほんの少しだけ、心が軽くなる瞬間もある。
知らぬ間に人と比べてしまう癖
人と比べるなとよく言われる。でも実際には、意識しなくても勝手に比べてしまっている。学生時代、野球部でレギュラーを外されたあの日から、自分には「俺は劣っているんじゃないか」という種が植え付けられたのかもしれない。司法書士として独立してからも、「あの事務所はホームページがきれいだな」「この人はTVにも出てる」と、気づけば比べている。勝手に落ち込んで、勝手に焦って、でも何も変わらない。そんな自分がまた嫌になってしまう。
テレビの中の幸せそうな家族に心がざわつく
朝の情報番組で流れる家族特集。子どもの運動会、妻が作ったお弁当、笑い声があふれるダイニング。見ているだけで、自分の部屋の静けさが際立つ。冷えた弁当をかじる昼休みや、コンビニ袋をぶら下げて帰る夜道。誰かと喜びを分かち合う場面が少ない自分に、テレビの中の世界はまぶしすぎる。だけど、それも編集された一面にすぎない。現実には、悩みを抱えながら笑っている人もたくさんいるはずだ。
なぜか独身である自分を責めたくなる朝
朝起きて、誰もいないキッチンでコーヒーを淹れるとき、ふと「なんで俺は独りなんだろう」と思うことがある。友人の結婚式に呼ばれても、帰り道はなんだか取り残されたような気持ちになる。仕事が忙しくて出会いの場も少ない。それでも「他人のせいにするな」と自分を責める癖がある。だけど本当は、環境のせい、タイミングのせい、色んな要因が重なっただけなのかもしれない。自分だけが悪いわけじゃないと、少しずつでも思えるようになりたい。
仕事の電話に怯える瞬間がある
電話の着信音が鳴った瞬間、胃がギュッと締めつけられるような感覚になることがある。内容が何であれ、「またトラブルかも」とつい構えてしまう。すべてが悪い話ではないのだけれど、気を抜いた瞬間に面倒な対応がくることが多くて、いつしか電話自体が怖くなった。誰にも言えないけれど、着信が鳴らない静かな午後に、ホッとしている自分がいる。
内容じゃなくて「鳴る」ことがストレス
どんな内容の電話かもわからないのに、ただ「鳴る」こと自体がストレスになっているのだと思う。特に書類作成に集中しているときに限って鳴る電話。リズムが崩され、呼吸が乱れる。その度に「一人事務所だから仕方ない」と自分に言い聞かせながら、また一つため息が増える。そんな日常を送っていると、電話=攻撃のような条件反射ができあがってしまう。
折り返しが億劫でメモを放置してしまうとき
事務員が「◯◯さんからお電話ありました」とメモをくれても、すぐに折り返す気になれないことがある。何となく内容が想像できる時ほど、「今は無理」と思ってしまう。もちろん後回しにすればするほど気になってしまい、メモを見てはモヤモヤして、自己嫌悪に陥る。だけど、こんな心理になるのは自分だけじゃないはずだ。そう思えるだけで、少しは気が楽になる。
事務員の前で強がるのももう限界
事務員の前では「大丈夫、大丈夫」とつい言ってしまう。無理して明るく振る舞ったり、電話対応のストレスも隠したり。でも、もう限界かもしれない。自分だって弱音を吐きたい。少しミスをしただけで落ち込む日もあるし、泣きたくなる日もある。それを我慢し続けて、ひとりで抱えるのはあまりにも重たい。もう少し、自分に正直になってもいいのかもしれない。
頼れる人がいないときの孤独感
独立してからというもの、何かあったときに気軽に相談できる相手がいないというのは、地味にこたえる。昔は上司や同僚がいた。気軽に「これってどう思う?」と聞ける環境があった。いまは全部自分で決めて、自分で動いて、自分で責任をとる。強くなったのか、ただ疲れているのか、自分でもよくわからない。
同業者と雑談できる関係が欲しい
同じ司法書士同士で、「この依頼めんどいよね」とか「最近どう?」といった他愛もない会話ができる相手がいたら、どれだけ気が楽になるか。地方で開業していると、ライバル意識もあるせいか、なかなか本音を言える関係が築きづらい。Zoomの勉強会とかにも出るけれど、表面的な交流で終わってしまうことが多い。
愚痴を言えるだけで救われることもある
愚痴を言うのは良くない、そう思われがちだけど、たまには言ったっていいじゃないかと思う。実際、誰かに愚痴を聞いてもらうだけで気持ちが整理されて、前に進めることもある。自分ひとりで抱えていると、どんどん視野が狭くなって、余計に苦しくなる。誰かが「わかる」と言ってくれるだけで、心はずいぶん軽くなるのだ。
元野球部のノリはこの仕事では通用しなかった
昔は「声を出せ!気合いだ!」みたいな体育会系のノリで乗り切ってきた。でもこの仕事では、そういう根性論はほとんど通用しない。むしろ、無理をするとボロが出る。根性よりも、冷静さや丁寧さが求められる仕事。そんな当たり前のことを、開業して数年経ってようやく実感した。元野球部だった自分が、今では静かにデスクでため息をついている。