「またよろしくね」が心に残る夜
司法書士という仕事は、成果を出しても表立って感謝されることが少ない。むしろ、「ミスがないのが当たり前」と思われがちで、日々の努力が報われていると感じる瞬間は本当に稀だ。そんな中、ふとした依頼者の言葉が胸に刺さることがある。「またよろしくね」。たったその一言で、不思議と一日の疲れが和らいだりする。夜、誰もいない事務所でコーヒー片手にその言葉を思い出すと、何でもないようでいて、自分の存在を認めてくれるような、ささやかな救いを感じるのだ。
たった一言が救いになる瞬間
ある日、相続の手続きでバタバタしていた中年男性が来所した。書類も揃っておらず、何度も説明を繰り返す中で、こちらもつい声が荒くなりそうになる。でも最後、手続きが無事に終わった帰り際にその方が言った。「またよろしくね、先生」。その時、初めて相手のほうも不安だったんだと気づいた。こっちはプロとして当然のことをしただけ。でもその一言に、なんだか人として報われた気がした。
依頼者とのやりとりの中で
司法書士の業務は、法律に基づいた事務処理でありながら、同時に「人の人生の節目」に関わる。登記も、相続も、会社設立も、背景にはそれぞれの事情がある。忙しいとつい、目の前の書類だけを見てしまいがちだが、ふとした会話の中に「人と人とのつながり」がにじむ瞬間がある。「あのとき助かったよ」「また相談させてくださいね」。そんな言葉に出会うたび、機械的な処理ではない、人間としての関係を築けたかもしれないと思う。
言葉の裏にある小さな感謝
「またよろしくね」という言葉には、ありがとう、助かったよ、今度も頼りにしてるよ…そんな感情がぎゅっと詰まっている気がする。直接「ありがとう」と言えない人もいる。照れくさくて、感謝の表現が下手な人もいる。けれど、繰り返される依頼や、再び訪ねてきてくれることが、その信頼の証だとしたら、それはとてもありがたいことだ。きっと、そういう「小さな気持ち」を受け取る感性が、司法書士には必要なのかもしれない。
淡々とした日々に差し込む光
毎日同じようなルーティン、同じような手続き。同じような名前の書類と格闘しながら、時計だけが進んでいく。時間に追われて、気がつけば夜になっている。そんな日々の中に、時折ふっと差し込む「ありがとう」や「またお願いね」の言葉は、小さな光のようだ。決して強く輝くものではないが、確かに心の奥底に届く。思いがけずそんな言葉をかけられると、つい無意識に笑ってしまっている自分がいる。
感情を出す余裕のない毎日
司法書士という職業柄、冷静沈着でなければならない場面が多い。感情を顔に出さないようにして、丁寧に、正確に、抜け漏れなく。それが日常になりすぎて、気づけば自分の感情をしまい込むクセがついている。仕事の話ばかりで、プライベートの話なんてする機会もない。たまに優しい言葉をかけられると、心のどこかがほぐれてしまって、逆に戸惑ってしまうほどだ。
事務所の空気が変わる一言
事務所には事務員が一人。長く一緒にやってきたけど、彼女もまた淡々と仕事をこなすタイプ。だからこそ、依頼者の「先生またお願いね」という声が聞こえると、事務所の空気が一瞬ふっと柔らかくなるような気がする。誰かが信頼してくれている、そう感じられる空気が流れる。それだけで、疲れていた体に少し力が戻るような気がする。
報われないと感じる夜
誰かのために尽くしても、それが必ず報われるとは限らない。仕事でも、人生でも。それは司法書士の仕事でも同じだ。完璧に仕事をこなしても、「当然でしょ」と思われることが多く、感謝されるどころか、クレームが返ってくることもある。そんな日の帰り道は、とにかく重たい。コンビニの灯りがやけに冷たく感じる。そんな時こそ、ふとした一言がじんわりとしみる。
数字に表れない努力
経営者として数字は追いかけなければならない。でも、司法書士の仕事の本質は「数字で見えない部分」に多くの労力がある。書類の裏側にある人間関係、信頼関係、緊張感。お金にはならない気遣いも、山ほどある。誰にも気づかれずに処理しているミス予防や、相続人間の感情的な調整。それらの努力は帳簿には残らない。でも、そこを見てくれる人が時々現れる。その瞬間があるから、やっぱり辞めずに続けてしまう。
登記ミスゼロでも誰も気づかない
1つの登記が無事終わるたび、胸をなでおろす。でもそれは「当たり前」とされる世界だ。むしろ、何かトラブルがあれば一気に責任がのしかかってくる。誰にも褒められないまま、気づけば何百件も処理している。真面目にやっている人間ほど、心がすり減る。「間違いがないのが普通」なんて、酷な話だ。それでも「またよろしくね」と言ってもらえたら、それは最大の勲章かもしれない。
「ありがとう」は言われない職業
「ありがとう」とは言われない。でも、それでもいい。そう思おうとしても、時には心が折れそうになる。電話口で怒鳴られることもあるし、誤解されることもある。だけど、何気なく置かれたお菓子や、一言添えられた手紙。そういったもので、少しだけ心が報われる。たまに、「また先生にお願いするね」って言われた時は、声に出さずに「こちらこそ」と心の中で返している。
ひとりぼっちの帰り道
遅くなった夜、駅までの帰り道。街灯に照らされた道をひとりで歩きながら、自分の存在が薄く感じることがある。家庭もなく、誰かが待っていてくれるわけでもない。だからこそ、誰かの役に立てたという感覚が、自分を支えてくれる。「またよろしくね」と言ってくれたあの人の顔を思い出しながら、静かな夜の道を歩く。
コンビニの灯りがやけに眩しい
仕事帰りに立ち寄るコンビニ。明るい店内に人の気配があって、なんだか安心する。でも同時に、そこにある賑わいが自分の孤独を際立たせる。レジの「ありがとうございました」すら機械的に感じてしまう夜もある。だけど、「またよろしくね」と言ってもらえたことを思い出すと、その一言だけが今日の自分を肯定してくれているように思える。
同じように頑張ってる人を思う
この仕事をしていると、自分だけが大変な気がしてくる。でも、帰り道にふと見かけるサラリーマンやコンビニの店員さん。皆それぞれの場所で、自分の役割をこなしている。きっとあの人たちも、誰かに「またよろしくね」と言われたら、同じように嬉しいはずだ。そう思うと、ちょっとだけ頑張れる気がする。
司法書士としての孤独
専門職であるがゆえに、同じ悩みを共有できる相手が少ない。家族がいればまた違うのかもしれないが、独り身の自分にとっては、業務の重さも感情の整理もすべて自分一人で抱え込むしかない。それでも依頼者の言葉が、唯一の支えになる夜もある。
誰にも相談できない重み
登記の相談はされるが、こちらが相談できる相手はいない。ミスが許されない仕事だからこそ、プレッシャーは大きい。でもそれを表に出すこともできない。事務員には背負わせられない責任もある。だからこそ、「またよろしくね」と言われた瞬間に、少し肩の荷が下りる気がするのだ。
専門職ゆえのプレッシャー
この仕事の正確性は命だ。1文字のミスが大問題になる。それを分かっていながら毎日書類に向き合うのは、かなり神経をすり減らす作業だ。ミスをしてはならない。でも、人間だ。疲れもするし、気も散る。それでも、誰かに信頼されているという実感があれば、なんとか踏ん張れる。
事務員には背負わせられないもの
事務員にはいつも助けられている。でも、どれだけしっかりしていても、最終的な責任は自分にある。それを押しつけるわけにはいかない。だからこそ、孤独を抱えながらも、笑って「またよろしくね」と言える自分でいたいと思う。自分の存在が誰かの役に立つなら、まだ頑張れる。
それでも明日も「よろしくね」と言う
しんどい夜もある。泣きたくなる日もある。でも、また一人、依頼者が「お願いします」と来てくれる限り、自分にはまだやるべき仕事がある。明日も、また誰かのために「よろしくお願いします」と言おう。そう思えるのは、あの一言がしみた夜があるからだ。
依頼者がリピートしてくれる意味
「また来ました」と笑顔で言ってくれる依頼者を見ると、こちらまで嬉しくなる。数ある事務所の中から、うちを選んでくれた。その理由は説明できないかもしれない。でも、それだけで十分だ。その信頼に応えたいと思える。
心を支えるのは信頼の積み重ね
どんなに忙しくても、どんなに報われなくても、信頼がある限りこの仕事は続けられる。「またよろしくね」という一言は、その積み重ねの証だ。だから、明日もまた誰かにそう言ってもらえるように、今日も地味にコツコツ頑張る。