LINEのやりとりが事務連絡っぽい

LINEのやりとりが事務連絡っぽい

気づけば「了解です」ばかりの会話

昔はもう少し砕けた会話もあった気がする。でも今では、どんなLINEも「了解です」「承知しました」「ありがとうございます」で終わってしまう。まるで業務報告。相手が事務員でも、仕事のつながりの誰かでも、どこか冷めたやりとりになる。日常の雑談や他愛もない言葉が消えて、効率と正確さが最優先の会話ばかりになっているのだ。無駄なやりとりが減るのは効率的かもしれない。でも、どこか味気ない。人と人とのやりとりって、もっと感情があっていいはずなのに。

最初はもっとラフだったはずなのに

思い返してみると、事務員を雇った当初はLINEでも軽い冗談を言ったり、スタンプを送りあったりしていた気がする。だけど、忙しさが増すにつれて「これお願いできますか?」「確認でき次第ご連絡ください」といったテンプレのような文面ばかりに。相手もたぶんこちらの空気を察して、無駄なことは言わないようになったのだろう。関係が深まるどころか、仕事の枠に閉じ込められていく感覚がある。

スタンプが消えていく関係性

LINEの会話履歴をさかのぼると、ある時期から急にスタンプがなくなっていたことに気づいた。以前は「お疲れ様です」の代わりにクマのスタンプを送ってくれたりしていたのに、今は完全に文字だけ。「承知しました。」というドットのある文章に、妙に距離を感じる。こっちが変にピリピリしているから、気を遣わせてしまっているのかもしれない。そんなつもりはないけど、伝わらないものだ。

気軽さが敬遠される年齢?

もしかしたら、年齢のせいもあるのかもしれない。45歳、独身男性。スタンプで軽く返すのが「気持ち悪い」と思われたらどうしよう、そんな変な気遣いが自分の中にある。若い人とやりとりしていても、どこか一線を引こうとする自分がいる。結果的に、どんどん無機質な文章ばかりになる。誰もそれを望んでいないかもしれないのに、自分で壁を作ってしまっているのだ。

用件だけのやりとりに慣れてしまう怖さ

最初は効率のための手段だった。でも気がつけば、感情を交えること自体が億劫になっていた。仕事に支障が出なければそれでいい、そう自分に言い聞かせる日々。でも、本当にそれでいいのか。たったひと言の「お疲れ様です」のあとに「今日は暑かったですね」と添えるだけで、ずいぶん印象は変わるはずだ。でも、それができない。できなくなってしまった。

「お疲れ様です」で始まり「承知しました」で終わる

LINEの通知が鳴って、内容を見る前からなんとなくわかる。「お疲れ様です。〇〇の件ですが…」で始まり、最後は「承知しました」か「ありがとうございます」で締められている。自分も同じような返しをして、何事もなかったようにやりとりが終了。まるでロボットの会話のようで、人間らしさがない。そう思っても、じゃあ変える勇気があるかといえば、それもまた難しい。

人間味ってどこ行った

人間味というのは、失敗したり、冗談を言ったり、ちょっとしたミスにクスッと笑えたりする余白のようなものかもしれない。でもその余白すら、最近のやりとりからは消えてしまっている。「誤字すみません」のひと言さえも、どこか気まずくて送れない。完璧じゃないといけない空気。それを作っているのもまた、自分なのかもしれない。

仕事が染みついたやりとりの弊害

司法書士という仕事は、言葉の一つ一つが意味を持つ世界だ。だからこそ、プライベートのLINEにもその緊張感が入り込んでしまう。正確で、誤解のないように、余計なことは書かない。それがクセになって、どんな相手にも同じように接してしまう。そしていつの間にか、感情を込めることを忘れてしまっている。

ついプライベートにも業務口調が出る

友人とのやりとりでも「ご確認お願いします」「失礼いたします」なんて書いてしまって、あとで恥ずかしくなることがある。司法書士という職業柄、慎重で丁寧な言葉遣いが身につくのは良いことだけど、それがすべての場面で適切かというと、そうでもない。もっと気楽に、感情を伝えられるようになりたいと思う。でも、すぐには変われない自分もいる。

感情より効率優先のLINE

LINEって、本来は感情の伝達ツールでもあるはずだ。「!」の数だったり、スタンプの種類だったり、文字の長さだったり、そういうもので気持ちが伝わることもある。でも、効率を重視するあまり、必要最小限の連絡だけを送るクセがついた。無駄を省くことが美徳になっている。でもそれって、人付き合いのなかでは、逆効果になることもあるんじゃないかと、ふと思う。

気を遣いすぎて何も言えなくなる

自分の文章で相手がどう思うかを考えすぎて、結局「無難な言い回し」しかできなくなる。LINEが来ても「なんて返せばいいんだろう…」と迷ってしまい、既読無視してしまうこともある。気軽にやりとりできるはずのツールなのに、いつの間にかプレッシャーの塊に変わっている。昔はもっと気楽だったのに、今は言葉を選びすぎてしまっている。

返事が業務連絡のテンプレに見えてしまう

相手の返事も、こちらの返しも、どこかテンプレのようになっている。「〇〇については、以下の通りです」「ご確認よろしくお願いします」。まるでビジネスメール。LINEなのに、顔文字もない、スタンプもない、温度感のないやりとり。それが続くと、どんどん相手との距離が遠くなっていくのを感じる。でも、改善しようと行動に移すのは難しい。

「返信ありがとう」さえも減っていく

昔は「ありがとう」だけでも伝えていた気がする。でも最近では、それすらも省略するようになった。相手も返事がないことに慣れてしまっているのか、特に気にしている様子もない。だけど、本当はそういう小さな言葉の積み重ねが関係性を支えていたのではないかと思う。省略された「ありがとう」が、少しずつ信頼の糸を薄くしていく。

そもそも距離が縮まらない理由

何をどうしたって、距離が縮まらない。いや、縮めようとしていないだけかもしれない。気軽に雑談を送ればいいだけの話なのに、それができない。既読スルーされたらどうしようとか、変なやつだと思われたらどうしようとか、そんな不安ばかりが先立ってしまう。結局、自分が壁を作っているのだ。

用件以外を送る勇気がない

「そういえば、昨日テレビで〇〇見ました?」と気軽に言えばいいのに、その一言が打てない。用件があるからLINEを送るのであって、雑談のためにメッセージを送ること自体が、なんだか気まずく感じてしまう。たとえ関係性が悪くない相手でも、自分の中にある「無駄なやりとりは控えよう」という習慣がブレーキをかける。心の壁は案外、自分で作っているのだ。

既読スルーが怖すぎる

何より怖いのは、既読スルーされること。LINEを送っても反応がなかったらどうしよう。返事に困る内容だったら申し訳ない。そんなことを考えすぎて、結局メッセージを送れずに終わる。結果として、ただの業務連絡しか送れない。距離が縮まるわけがない。ほんの一言が言えないだけで、関係は止まったままになる。

結局、自分に自信がないだけかもしれない

誰かにスタンプを送るのも、冗談を言うのも、ほんの少しの自信が必要だ。自分がどう思われるかを気にしすぎて、すべてが慎重になりすぎている。司法書士としての仕事はそれでいいのかもしれない。でも、人間関係までそうなってしまうと、つらい。ちょっと勇気を出して、自分から壁を壊していけたら、少しずつでも変わるかもしれない。わかってはいるけど、なかなかそれができない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。