気づけば、また「自分のせいかも」に戻っている
司法書士という仕事をしていると、常に“正確さ”が求められます。だからこそ、何か問題が起きたとき、「自分のせいかもしれない」という思考にすぐ陥ってしまうのです。人間だからミスもあるとわかってはいるのに、気づけば心の中で自分を責めてしまう。たとえそれが自分に直接関係ない出来事だったとしても、「あのときもっと丁寧に話していれば」とか「自分の雰囲気が悪かったのではないか」といった反省が止まりません。実際のところ、それはただの思い込みなのかもしれないのに、頭の中ではその妄想が膨らんでいきます。この時間が一番しんどい。なぜなら、出口が見えないからです。
何か問題が起きるたびに自分を責めてしまう癖
昔、登記に関する書類の不備があって、お客様に迷惑をかけてしまったことがありました。原因は依頼人が持ってきた資料の不備だったのですが、「ちゃんと確認していなかった自分の責任だ」と感じてしまい、何日も眠れませんでした。その後、依頼人から「こちらの確認不足でした」と謝罪されたものの、その言葉を素直に受け取れず、心のどこかで「いや、自分がちゃんとしていれば…」と繰り返し反省していました。こういうときって、自分に厳しすぎるんですよね。
依頼人の表情一つで「不満なのか」と不安になる
ちょっと無愛想な表情をされたとき、「ああ、何か不満があるんだ」とすぐに思い込んでしまいます。実際には、その人が単に疲れていただけだったり、他のことで考え事をしていただけだったりするのに、こっちはもう心の中で謝罪モードです。「何かまずいことを言ったかな?」「説明が足りなかったか?」と、自己反省会が始まってしまいます。
実はただ疲れていただけだった、という現実
ある日、かなり無表情な方と面談したとき、終始こちらが気を使ってしまい、精神的にクタクタになりました。でも、帰り際に「今日はありがとうございました。とても丁寧で安心しました」と笑顔で言われて拍子抜け。心の中で「え?満足してたの?」と驚きました。思い込みって本当に厄介です。
事務員が辞めたときも「自分の接し方が悪かったのか」と悩んだ
これまでに数名の事務員さんと働いてきましたが、やはり辞められるたびに、「自分の人間性に問題があるんじゃないか」と考えてしまいます。転職や家庭の事情など理由はいろいろあるとわかってはいるんですが、それでも心に引っかかるのは、“何か自分ができたことがあったのでは”という想いです。人が離れることに慣れることなんてありません。
感謝されても残る“申し訳なさ”
「先生と働けてよかったです」と言われても、「いや、本当はもっとこうしてあげられたはず」と、自分を責める材料にしてしまう。感謝の言葉でさえ、うまく受け取れない。そんな自分の歪んだ受け取り方にも嫌気がさして、さらに自己否定が強くなる悪循環です。
「ありがとう」が心に届かない日々
仕事終わりに「今日もありがとうございました」と言われるのに、心に響かない。疲れているときほど、自分に否定的になりやすくて、素直に「頑張ったな」と言えないのです。だから、「自分のせいかも」の思考が強くなるんでしょうね。
ミスを許せない自分が一番の敵
完璧を目指すのが当たり前だと思っていた時期がありました。でも、その姿勢が結局、自分を一番苦しめていたと、ある日ふと気づいたんです。他人のちょっとした失敗も、「自分がしっかりチェックできていれば…」と責任を感じてしまう。冷静に考えれば、そんなに自分ひとりで背負う必要はないのに、自分で自分を責めるのが習慣になっていたのです。
完璧を求めすぎて自分の首を締めている
過去に、「登記完了日を一日読み間違えたこと」があって、その日から数日は胃がキリキリしていました。クライアントに謝ってすぐに修正できたのですが、自分の中では大ごとでした。「あんな初歩的なミスをするなんて…」と自分を責め続け、夜中に目が覚める始末。周囲が「気にしすぎ」と言っても、自分では全然納得できませんでした。
「ミスできない職業」という重圧
司法書士という職業の性質上、たった一つの数字の違いで大きなトラブルになる可能性があります。だからこそ、「絶対にミスできない」という意識が染みついています。悪く言えば、ミスに対して過敏に反応しすぎてしまう。それがプレッシャーとなり、普段の仕事にも影を落とします。
だからこそ、些細な見落としに過剰反応してしまう
「書類に印鑑が一つ抜けていた」――それだけのことで、一日中頭から離れなくなるんです。すぐに連絡して押印してもらえば済む話だとわかっていても、心の中では「こういうことが重なると信頼を失う」と大騒ぎ。些細なことを引きずる癖が、この仕事を長く続けるうえで一番の課題かもしれません。
孤独と自己責任論がセットでやってくる
ひとりで事務所を回していると、誰かに話す機会が本当に少ないんです。だから、感情を溜め込むばかりで、出口がない。「それ、自分のせいじゃないよ」と誰かに言ってほしいのに、そんな相手もいない。この孤独感が、「全部自分が悪いんじゃないか」という思考を強化してしまうのです。
相談できる同業者がいない地方の壁
田舎で司法書士をやっていると、気軽に愚痴をこぼせる同業者って少ないです。みんな一匹狼で、仕事以外の繋がりが薄い。誰にも相談できないまま、自分の中でモヤモヤを反芻して、ますます「全部自分のせい」というループに陥るのが日常です。
「自分が弱いだけかもしれない」とさらに追い込む
ちょっとしんどいなと思っても、「いや、他の先生たちはもっと頑張ってる」と思ってしまい、弱音を吐くことすら許されない気がしてくる。その結果、どんどん自己評価が下がっていくんです。「なんでこんなことでしんどくなるんだろう」と自分を責める。それが一番つらい瞬間です。
誰にも頼れないと思い込むのは、自分の癖かもしれない
頼ったら迷惑かもしれない。そんな考えが染みついていると、相談の一歩が踏み出せません。昔、ある先輩に相談したとき、あまりに軽く流されてしまって、それ以来“もう誰にも話すまい”と思ってしまった経験があります。たった一度のことで、こうも心を閉ざしてしまうのかと、自分でも驚きました。
愚痴を言える相手が一人いるだけで違ったのに
もしも、毎週1回でも気軽に話せる相手がいたら、こんなに苦しまなかったかもしれません。誰かに「それはあんたのせいじゃない」と言ってもらえるだけで、あの夜中の自責の時間から解放される気がします。孤独は、過剰な自己責任思考を育ててしまうんです。
「自分のせいじゃないかも」と思えるまで
ここまで自己否定の塊みたいな日々を過ごしてきましたが、あるとき依頼人から言われた一言が、少しだけ心を軽くしてくれました。「先生のおかげで、うまくいきました。もし他の人だったら、こうはいかなかったと思います」。その言葉は、不思議とすっと胸に入ってきたんです。
何か一つ、ちゃんと肯定してくれた人がいた
それまでも感謝の言葉はたくさん受けてきたのに、不思議とその一言だけが心に残っています。たぶん、タイミングと、その人の真剣な表情があったからだと思います。「ああ、自分がやってきたことって、誰かの役に立ってたんだな」って、少し思えた瞬間でした。
その言葉だけが、夜中の不安を和らげてくれた
それ以降も、もちろん「自分のせいかも」は定期的にやってきます。でも、そのたびにあの言葉を思い出すようにしています。「全部が自分の責任なわけじゃない」と思えるだけで、夜の眠りが少しだけ深くなった気がしています。
自分を責める癖は消えないが、向き合うことはできる
この年齢になっても、相変わらず不安や自責の念とは無縁になれません。でも、それを無理に消そうとするのではなく、「ああ、またきたな」と思って受け止めるようになってから、少し楽になった気がします。完璧ではない自分を許すこと。それも、司法書士という仕事を続けていくうえで大事なスキルなのかもしれません。
そして少しずつ、責任を「共有する」感覚へ
ひとりで全部背負わない。信頼できる人に頼る。責任を周囲と“共有”することができるようになってから、「自分のせいかも」という時間は短くなっていきました。しんどい時間はゼロにはならないけど、確実に和らげることはできる。それだけでも、大きな進歩だと思っています。