「えっ、登記簿って誰でも見れるの?」と聞かれて固まった日。

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「えっ、登記簿って誰でも見れるの?」と聞かれて固まった日。

登記簿は「誰でも見れる」って、ほんとに知ってますか?

ある日、相続登記の相談にいらっしゃった方に「登記簿って誰でも見れるんですか?」と聞かれました。思わず「はい」と答えたものの、そこから先の空気が少し気まずくなったのを覚えています。実はこの質問、一般の方にとっては驚きでしかないようです。私たち司法書士にとっては当たり前の知識でも、世間では知られていないことだらけ。そこにズレがあると、ちょっとした誤解や不安を生むことがあります。今日は、そんな「誰でも見れる登記簿」の話を、実体験を交えてお話ししたいと思います。

きっかけは依頼者の一言から

「登記簿って、見れるんですか?」の破壊力

登記簿謄本を取り寄せた書類を手渡したとき、「これ、誰でも見れるんですか?」と聞かれました。こちらとしては、「はい、そうです」と即答します。でも、そのあとの「えっ、そんなの怖くないですか?」というリアクションに、正直ちょっと固まりました。たしかに、不動産の所有者の名前や住所、抵当権などの情報が誰でも見られるなんて、一般の感覚では理解しづらいかもしれません。

驚くのは依頼者だけじゃない。こっちも複雑な気持ちになる

驚かれた瞬間、私も「ああ、やっぱりこの反応だよな」と思いました。でも内心では、やはりどこか申し訳ない気持ちもあるんです。知られて当然の情報とはいえ、「知らなかったのに公開されてる」という感覚って、不安を生むんですよね。登記制度の説明をしながらも、どこか「ごめんなさい」と言いたくなる瞬間があります。

登記簿は公開情報。その事実が持つ意味

登記制度の根本にある「権利の公示」

登記簿が公開されているのは、「権利関係を誰でも確認できるようにする」という制度の根本的な目的があるからです。不動産は高額な財産ですから、誰が所有していて、どんな権利がついているかを、第三者が確認できなければ安全な取引ができません。だから「登記=公の記録」なんです。

誰がいつ買ったか、借金の有無まで見られる現実

たとえば、ある土地に住宅ローンの抵当権がついている場合、その情報もまるっと登記簿に載っています。「〇〇銀行の抵当権」「平成何年に設定」など、わかる人が見れば生活背景まで透けて見えるような情報です。これを聞いて、「そんなの公開されてるんですか…」と驚かない人はいません。

プライバシーとのはざまで揺れる実務家の本音

理屈ではわかっていても、現実的には「なんか気持ち悪い」と感じる人がいるのも無理はありません。私たち司法書士も、その板挟みにあう場面がしょっちゅうあります。制度は必要、でも人の感情も無視できない。その狭間で、「説明の仕方」を日々工夫しているのが実情です。

「そんなに見られて困ることあるんですか?」と聞かれたら

見られることで発生するトラブルの実例

実際、「登記簿を調べて昔の夫の住所を突き止めた」なんて話もあります。ストーカーまがいの事例もゼロではありません。もちろん法的には問題がなくても、使い方ひとつでトラブルの種になりうるのが現実です。こうした背景があるからこそ、情報公開には慎重であるべきという声も根強くあります。

名前を検索される時代と登記情報の危うさ

インターネットで名前を検索すれば、登記簿と突き合わせて「この人がこの不動産を持っている」なんて情報までわかってしまうことがあります。個人の時代、情報がどんどんリンクされる時代に、この公開制度が持つ危うさは、決して小さな問題ではありません。

司法書士として感じるジレンマ

制度は正しくても、気持ちは複雑

法的には正しい。でも、現場でそれを「正しいですから」と突っぱねるのは、とても難しいです。依頼者の不安そうな顔を見たとき、何度も「これでよかったんだろうか」と思い返します。制度と感情、その間に立たされるのが司法書士の役割だとも感じます。

「隠したいわけじゃないんですけど…」と言いたくなる瞬間

「隠す=悪いこと」という感覚がありますが、実際には「知られたくないこと」と「隠すこと」は全く違います。依頼者から「知られて恥ずかしい」と言われるたびに、こちらも「いや、そういう意味じゃないんだけど…」と心の中で呟いてしまいます。

これから司法書士を目指す人へ伝えたいこと

知識だけではなく感情にも敏感になる必要

登記の知識はもちろん大事です。でも、それをどう伝えるか、どう受け止めるかの感受性も同じくらい大切です。「法的にこうです」と言えば済む時代じゃありません。相手がどう感じるかを想像できる人こそ、信頼される司法書士になれると思います。

登記の「公開性」をどう伝えるかが力量

登記簿が公開されている理由を、押しつけではなく、納得感を持って伝えられるか。それがプロとしての力量だと思います。説明しきれない場面もありますが、少しでも依頼者が「そういうことなんですね」と理解してくれたときは、心から嬉しい瞬間です。

まとめ:登記簿の公開制度に向き合うということ

制度の正しさと現場の違和感、その間でできること

登記簿が誰でも見れること。それは制度として必要なことです。でも、その事実が感情の面でどう受け取られるかは、また別の問題。司法書士としての仕事は、制度の橋渡しだけでなく、感情の橋渡しでもあるのだと、最近は特に感じます。「見られるのが当たり前」だからこそ、当たり前じゃない感覚にちゃんと向き合いたい。そんなふうに思う今日この頃です。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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