プライベートがうまくいかないからこそ、せめて仕事だけは
この年齢になると、人生のいろいろな面が「想像していたものと違ったな」と感じることが増えてくる。結婚もしていないし、誰かと住んでいるわけでもない。帰っても部屋は静かで、誰もいない。そんな私にとって、唯一自分を保っていられるのが「仕事の丁寧さ」だ。どれだけ部屋が荒れていても、提出する書類だけは誤字一つなく、きっちり整えておきたい。何か一つくらいは、「自分はちゃんとしている」と思えるものがないと、心がぐしゃぐしゃになってしまいそうなのだ。
「ちゃんとしてるね」と言われるのは、仕事だけ
最近では、人づきあいもめっきり減ってしまった。友人も少なく、親戚付き合いもほとんどない。そんな中で、唯一誰かから言われる言葉が「書類、きっちりしてますね」「さすがプロですね」だったりする。たったそれだけの言葉でも、心の中では「ありがとう」と何度も繰り返してしまう。結局、私が自分を肯定できる場所は「仕事」しか残っていないのだ。
身なりも会話も雑になってきたけれど
以前はネクタイの結び目の形にまでこだわっていたのに、最近はスーツもしわしわ、髪も伸びっぱなしになりがちだ。人と会話する機会が減ると、声のトーンさえ忘れてしまうような気がする。だけど、それでも私が「書類の見た目」だけは手を抜かないのは、自分がまだ壊れていないと信じたいからかもしれない。
それでも書類の記載ミスだけは絶対にしたくない
どれだけ眠くても、疲れていても、判子を押す位置にはこだわる。ミスのない書類が提出できた日は、小さな勝利を感じる。「自分はまだ役に立てている」という確かな証明になるからだ。どれだけ生活が崩れていても、この一枚が丁寧であることが、私にとっての拠り所になっている。
誰も褒めてくれないけど、自分だけはわかってる
この仕事、派手さもなければ表舞台に出ることもない。感謝されることも、ニュースになることもない。だけど、確実に誰かの暮らしを支えているという実感がある。それは褒められなくても、自分だけはわかっている。誰かが安心して次の一歩を踏み出せるように、その土台を整える。静かな仕事だが、誇りは持っている。
地味で見えない努力に価値があると信じて
たとえば登記の修正や相談対応など、地味な作業の連続。見落とされがちだけど、細かい配慮や下準備がないと、トラブルになる可能性は高い。それを防ぐのが自分の仕事だと思っている。だからこそ、見えない努力に価値があると思えるようになった。評価されなくても、自分の中に芯を一本通しておきたい。
不器用な自分にできる唯一の「誠実さ」
私は要領がいいタイプではない。ミスもあるし、時間もかかる。でも、だからこそ丁寧さだけは譲らないようにしている。派手さがなくても、スピードが遅くても、「誠実であること」が私にとっての唯一の強みなのだ。丁寧に向き合えば、どこかで誰かの役に立てると信じている。
孤独と隣り合わせのデスクワーク
司法書士という仕事は、基本的に「一人」で行うことが多い。書類作成、調査、申請、対応。目の前のパソコンと向き合って、静かに積み重ねていく。電話が鳴ればホッとし、郵便物が届けば小さな刺激になる。人と接する機会が少ないからこそ、自分の声すら久々に聞くような感覚になることもある。
電話の声が今日の唯一の会話だった
「はい、〇〇司法書士事務所です」。この一言が、今日最初の言葉になる日がある。相手はクライアントか、法務局か、もしくは間違い電話。それでも、誰かと話すことが少し嬉しい。人とつながっているという感覚は、案外こんな小さな出来事で支えられているのかもしれない。
たまに事務員さんが話しかけてくれると泣きそうになる
事務員の〇〇さんが「コーヒーいかがですか?」と声をかけてくれた時、本気で泣きそうになったことがある。「人に優しくされる」って、こんなに嬉しかったっけ?と。日々の忙しさに埋もれて、そういう感情すら忘れていたことに気づいた瞬間だった。
愚痴りながらも、私はまだ辞めていない
「辞めたいなぁ」とは、正直毎週のように思う。朝がしんどい日もあるし、帰りたくない夜もある。それでも、私は今日も机に向かっている。愚痴をこぼしながらでも、まだ続けている自分を、少しだけ褒めてやりたい。
誰にも気づかれないまま、こなす毎日
司法書士という仕事は、トラブルがないのが成功という世界。つまり、うまくいって当たり前。誰にも気づかれないまま、何事もなく終わる。それでも、陰で支えている人間がいるからこそ、物事はスムーズに動く。誰かの人生の「当たり前」の裏に、私がいる。それでいい。
「やめ時」は何度も考えた
報酬のこと、人間関係、業界の将来性。いろんな理由で「もうそろそろ潮時かな」と思う瞬間は、何度もあった。でも、結局今日も出勤して、書類に向き合っている。続けているという事実が、何よりの答えかもしれない。
でも「ここまでやったし」という想いが、また背中を押す
やめる理由は山ほどある。でも、「ここまでやってきたんだから」という気持ちが、いつも最後に勝つ。どこかで「もう少しやってみよう」と思える限り、私はこの仕事を続けていくんだと思う。