スマホの検索履歴、それは“誰にも言えない心の声”
ある日ふと、自分のスマホの検索履歴を見てゾッとした。「司法書士 疲れた」「士業 向いてない」「田舎 一人 老後」……こんな言葉ばかり並んでいた。なんだか自分の弱さがそのまま可視化されたようで、スマホを投げたくなった。人に見せられないのは自分自身も直視したくない。でも、これがいまの正直な自分なのだ。いつのまにか、検索欄が“本音の吐き出し口”になっていたことに気づかされた。
「疲れた 司法書士」「やめたい 士業」——そればかりが並ぶ日
最近は仕事の合間に、気がつくと検索してしまう。「司法書士 やめたい」「士業 つらい」「無職 幸せ」。もちろん答えなんて出ないし、現実が変わるわけでもない。でも、検索することで少しだけ心が落ち着く気がする。まるで「そう思ってる人は自分だけじゃない」と確認するための儀式みたいなものだ。履歴はどんどん暗くなっていくけど、これが今の心の温度なんだと思う。
誰にも見られたくない、でも誰かに気づいてほしい
検索履歴なんて誰かに見られることはまずない。だけど、どこかで「誰かが気づいてくれないかな」と思ってる自分もいる。事務員さんに見られたら恥ずかしすぎるけど、かといって一人で全部抱えるのもしんどい。愚痴る相手がいない日々に、検索履歴だけが黙って付き合ってくれている。ちょっと悲しいけど、それがリアルだ。
深夜に検索しているのは、大抵“弱さ”だ
深夜、仕事がひと段落ついたあと、つい布団の中でスマホを握る。「人生 やり直したい」「一人 寂しい」「老後 不安」。これって結局、自分の弱さに正直になれる唯一の時間なんだと思う。昼間は仕事モードでごまかせるけど、夜は言い訳がきかない。眠れない夜に検索する言葉ほど、その人の本音が出るものなんじゃないか。
“相談される側”が“相談できない現実”
司法書士という立場上、いつも「相談される側」に立たされる。でも正直、自分の相談をしたい時だってある。問題解決のプロ、というラベルが貼られているせいか、弱音を吐けない雰囲気がある。だけど、それがしんどい。人間なんだから、落ち込む時もある。自信をなくす時もある。それでも「大丈夫そうに見える」自分を演じなきゃいけない毎日は、思ったより苦しい。
「それはあなたがプロだからでしょ」と言われてしまう壁
何か愚痴をこぼしたとき、「でもあなたは司法書士だからいいじゃない」と言われることがある。それは一見褒め言葉のようでいて、実はとても孤独な言葉だ。立場がある分、悩みを“持ってはいけない”ように見られる。そんなことないのに、と思いながら、言い返せない自分もまたつらい。
家族にも言えない。恋人なんていないし
相談したくても、家族は遠いし、恋人もいない。誰にどう話せばいいのか分からないから、スマホの検索欄にすがるしかなくなる。ペットでもいればなあと思うけれど、忙しくて飼えそうにない。司法書士としての孤独は、思っている以上に深い。
検索履歴が「ひとりごと」みたいになる理由
最近では、検索が“独り言の代わり”になってきている気がする。口に出せば誰かに否定されるかもしれない。でも検索なら、誰も文句を言わないし、ただ情報が返ってくるだけ。感情も気遣いもいらない。それが今の自分にはちょうどいいのかもしれない。
会話が少なすぎる一日
気がつけば、今日も事務員さん以外と話していない。しかもその会話も、「お疲れさまです」「これお願いします」程度。電話対応も最低限に抑えているし、訪問は予約制。話さなくても仕事は進むけれど、気持ちはどこかで置いてきぼりだ。そういう日々が続くと、スマホに頼りたくなるのも無理はない。
唯一の事務員さんとのやりとりは、たったの数語
うちの事務所は、小さな小さなワンルーム。事務員さんとはもう何年も一緒にやってるが、特に雑談があるわけでもない。お互いに距離感を保ちながら、淡々と業務をこなす毎日。悪くはない。だけど「ちょっと聞いてよ」なんて話せる関係でもない。寂しいが、仕方がない。
沈黙が日常すぎて、それを変える元気もない
会話が少ないことに慣れすぎて、たまに人と話すと逆に疲れる。飲み会も遠慮しがちになってきた。変えたい気持ちがゼロじゃない。でも、それを行動に移すほどのエネルギーが、今はちょっと足りない。スマホの履歴だけが、自分の「本音の証拠」として積み上がっていく。
スマホだけが、愚痴を黙って聞いてくれる存在に
ある意味で、スマホは優しい。話を遮らないし、否定もしない。どんなキーワードを打ち込んでも、怒ったりしない。「司法書士 つらい」と入れれば、それに応えるように似たような悩みが並ぶ。「ああ、俺だけじゃないんだな」と安心する。スマホって、冷たいようでいて、一番そばにいてくれる相手かもしれない。
「Googleさん、どうして私はモテないんでしょう」
ふとした夜に、ふざけ半分でこんな言葉を打ち込んだ。「司法書士 モテない」。すると、悲しいくらいにたくさんヒットする。“知的で堅実なはずなのに、なぜか恋愛対象に見られにくい職業”。そんな見出しを見て笑いながらも、なんだか切なくなる。こんなこと、誰にも言えないからこそ、スマホに打ち込む。
AIより、そろそろ人間と話したい
スマホもAIも便利だ。だけど、やっぱり“人間”と話したい時もある。雑談でもいい。「今日寒かったですね」だけでもいい。そんな一言があるだけで、だいぶ救われる気がする。でも、いざ誰かに話しかけようとすると、言葉が出てこない。そんな自分がもどかしい。
「みんなも、検索してる?」という問いかけ
こんな風にスマホに頼る毎日を送っているのは、きっと自分だけじゃないと思いたい。司法書士に限らず、誰にも言えない思いを検索にぶつけている人は、たくさんいるはずだ。そう思うと少しだけ心が軽くなる。スマホの履歴に共感してくれる誰かがいたら、どれだけ救われるだろう。
同業者も、きっと同じように夜に検索してる
「司法書士 集客 失敗」「士業 将来性なし」……そんな言葉を検索してるのは、きっと自分だけじゃない。誰もが不安を抱えながらも、表には出せずにいる。それでも明日は来るし、仕事はあるし、お客様も待っている。だからこそ、こうやって検索に心を預けてしまうのかもしれない。
弱さは見せられない。でも、なくなるわけじゃない
弱音は見せちゃいけない、と思ってしまう。でもそれって、本当にそうだろうか? 弱さを見せるのはカッコ悪いことじゃない。むしろ、その弱さと向き合っている姿こそが、同じように悩んでいる誰かの支えになることだってある。履歴に出てくるのは、まぎれもなく“自分の声”なのだ。
“検索履歴で語り合う会”、あったら行きますか?
もし「みんなの検索履歴を囲んで語る会」があったら、自分は参加したい。きっとみんな似たような言葉を検索してるはずだから。笑い話にもなるし、少しだけ肩の荷も下りるかもしれない。孤独を抱えたまま検索してる人に、「あなただけじゃないよ」と伝えたい。