登記の説明が始まるときは真剣そのものだった
午前10時、約束の時間きっかりに来所された依頼人。年配の男性で、手に分厚い封筒を握りしめていた。少し緊張されている様子で、目は真剣そのもの。「登記って、正直よくわからなくて……」と正直に言ってくれるその姿に、こちらとしても説明のやりがいを感じていた。久々に気合いを入れて資料も作り込んだ。パワーポイントならぬ「司法書士ポイント」を駆使して、分かりやすく整理したA4資料を片手に、私は意気揚々と説明を始めたのだった。
少しでも分かりやすく伝えたいという気持ち
専門用語を減らし、例え話を多めに取り入れるのは、自分なりのこだわりでもある。例えば「登記簿は家の履歴書みたいなもの」とか、「所有権移転は名義変更みたいなもの」とか。もちろん本職の方には突っ込みどころ満載だろうが、依頼人が理解してくれるならそれでいいと思っている。以前、登記完了後に「先生の説明が一番わかりやすかった」と言ってもらったことがあり、それがいまだに支えになっている。その記憶があるから、毎回全力で説明している。
手元の資料に工夫を凝らす地味な努力
図解を増やしたり、フォントサイズを少し大きくしたり。表紙の色も、昔は地味なグレーだったのを最近は薄いブルーに変えた。「資料が読みやすいですね」と言われたい一心で、コンビニのカラーコピー機と格闘して印刷している自分がいる。誰も見ていない地味な作業だけれど、依頼人が少しでも安心できればという思いがそうさせる。だからこそ、説明の前日は睡眠を削ってまで手直しをしてしまうのだ。
実は前日ほとんど寝ていなかった話
正直に言えば、その日の朝は眠気と戦っていたのは自分の方だった。なぜかプリンタが紙詰まりを起こし、資料の修正が終わったのは午前3時前。気がつけば、こたつでうたた寝をしていた自分が、首を痛めたまま資料を鞄に詰めて出勤していた。そんな自分が、まさか説明中に「寝られる」側になるとは、思いもしなかった。
その瞬間静かな寝息が聞こえた
説明の途中、なんとなく違和感を覚えた。「ん?」と思って顔を上げると、依頼人の目が半分閉じている。頷く動作が段々とゆっくりになっていき、そのうちに完全に首がコクリと落ちた。数秒の沈黙のあと、聞こえてきたのは静かな寝息。……ああ、寝てる。まぎれもなく寝てる。資料の一部に小さなシミができていて、「あれ、これヨダレ……?」と思った瞬間、もういろんな意味で笑うしかなかった。
最初は体調不良かと本気で心配した
目の前で急に動かなくなった人がいたら、最初に疑うのは「倒れたのか?」という不安。だから最初の一瞬は、心臓がバクっと鳴った。思わず「大丈夫ですか?」と声をかけたが、反応なし。その代わりに聞こえた寝息に、こちらの不安も一気に冷めた。体調不良ではなく、ただの睡眠。どこか安心した自分と、同時に力が抜けたような自分がいた。
ゆっくりまばたきしたままフェードアウトする目
まるで古いブラウン管テレビがスーッと画面を閉じていくかのように、依頼人の目が徐々に閉じていった。私の説明が催眠効果でもあるのかと、内心でツッコミを入れながらも、少しショックを受けていたのも事実だ。頑張って作った資料よりも、彼の眠気が勝ったのだとすれば、それは悲しい。そんな目の動きが今も鮮明に脳裏に焼き付いている。
いびきを我慢して聞き流すという修行
その後5分ほど、私は一人で説明を続けるという選択をした。なぜかというと、起こすタイミングを完全に失ったからだ。寝ている相手に対して、資料を見せながら話すというのはかなりシュールだった。途中、ふと耳に入ってきた軽いいびきが、なぜか自分の心にぐさりと刺さった。これは修行か。試されているのか。そう自問自答しながら、ページをめくる手を止めなかった。
これってこっちの責任なのかと考えてしまう
説明が終わり、彼がハッと目を覚ましたとき、「すみません、ちょっと寝てました」と申し訳なさそうに言ってくれた。だが、その一言では救われないものがこちらには残った。自分の話が退屈だったのか。声が単調だったのか。説明が冗長すぎたのか。どれだけ準備しても、結果がこれでは意味がないのでは――そんな負のスパイラルに陥るには十分すぎる出来事だった。
説明が下手だったのではという自己嫌悪
昔から、「説明上手な人」に憧れてきた。教師のように分かりやすく、かつ飽きさせない話術。自分にはそれが足りない。そう思って本を読んだり、録音して聞き返したりしてきた。だからこそ、今回の「寝落ち事件」はきつかった。あの一瞬で、これまでの努力すら否定されたような気がしてしまったのだ。
疲れてるのはお互いさまだろうけども
依頼人の方も忙しかったのだろう。書類を集めて役所を回り、ようやく来所されたのかもしれない。そう考えれば、寝てしまったのも無理はない。だけど、こっちだって毎日ギリギリでやっているのだ。眠る時間を削ってまで準備して、寝られるとは、やはり堪える。
一瞬だけふてくされた気持ちになったことは否定できない
正直に言えば、あの瞬間、自分の中に「やってらんねぇな」という気持ちが芽生えたのは否定できない。誰のために頑張っているのか分からなくなりそうになった。だけどそれを依頼人にぶつけることはできない。あくまで仕事だから。プロとして振る舞うしかない。その分、心の中で少しだけ拗ねていた。
モチベーションの火が小さくなる音がした気がした
静かな事務所に響く寝息と、めくる紙の音。その中で、自分のやる気の火がパチンと音を立てて小さくなるのを感じた。誰にも見えないけど、確かに自分の中で何かが終わった気がした。だけど、その火が完全に消えたわけではない。むしろ、そのあとに残る小さな温もりが、次の行動に繋がっていく。
誰のために頑張っているのか分からなくなるときがある
「先生がいてくれて助かりました」と言ってくれる人もいれば、「登記ってこんなに面倒なんですね」と文句を言う人もいる。そんな日々の中で、時折、頑張る理由が分からなくなる。でも結局は、「ああ、今日もやるしかないな」とデスクに戻る自分がいる。それが司法書士という仕事なんだと思っている。
でもそんな日は誰にでもあるんだと思うことにしている
自分だけじゃない。きっと、どんな職業でも、「なんでこれやってるんだろう」と思う日はあるはずだ。そう思えば、少しだけ気が楽になる。そして翌朝にはまた、「今日は寝られずに説明聞いてくれるかな」と、ちょっとだけ期待して資料を作る。そんな繰り返しを続けていけたら、それでいい。
それでもまた資料を作ってしまう自分がちょっと悲しい
それでも今日もまた、パソコンに向かって資料を修正している自分がいる。「もう説明とか、最小限でいいや」と思ったはずなのに、やっぱり少しだけ分かりやすくしたくなる。そんな自分が、ちょっとだけ切なくて、ちょっとだけ誇らしい。そうやってまた、依頼人に会う日を迎えるのだ。