ふと気づく、誰とも話していない一日
司法書士という仕事は、人と関わることが多いようで、実は一人で完結する作業も多い。朝、事務所のドアを開けて事務員さんに「おはようございます」と声をかけ、それっきり。気づけば夕方。電話も来客もなし。書類とにらめっこしているうちに、一日が終わることもある。そんな日が何度も続くと、「あれ、今日誰かとちゃんと会話したっけ?」とふと不安になる。話すことのない日々に、言葉も感情も鈍くなっていく感覚がある。
事務所には事務員さん、でも会話は最小限
ありがたいことに事務員さんは真面目で優秀。だからこそ、こちらから無理に話しかけることもない。必要な業務連絡と、たまの「おつかれさまです」くらい。以前はもう少し世間話をしていた気がするけれど、今は互いに“効率”を優先するようになった。もちろん悪いことではないが、そのぶん、人としての温かさを少しずつ削っているような気もする。
挨拶は交わすけど、それ以上は話せない
「おはようございます」「お先に失礼します」――それだけで一日が回るのはある意味すごい。でも、本当にそれだけでいいのだろうか。冗談の一つも言えない空気になっていないか。会話のきっかけを作ることすら、気を遣いすぎてしまう自分に気づく。職場での会話が減ると、仕事の精度も、心の柔らかさも落ちていくような気がする。
雑談って、こんなに難しかったっけ?
昔はもっと自然に話していたのに。今では「こんなこと話しかけたら迷惑かな」とか「いま忙しそうだし」とか、余計なフィルターが頭にかかる。結果、黙って作業を続けるだけ。誰にも話しかけず、誰にも話しかけられず。それが日常になってしまった今、たまに無性に雑談が恋しくなる。
「また飲みに行きましょう」が、社交辞令で終わる
誰かとばったり再会したとき、よく言われるのが「今度飲みに行きましょう」。その言葉を真に受けて、実際に連絡してみることもある。でも、大抵は「今ちょっと忙しくて…」の返答か、未読スルー。自分も誰かにそうしていたかもしれない。結局、「また今度」は、永遠に来ない未来の言葉なのかもしれない。
士業の集まりも、最近はめっきり減った
以前は月に一度くらい、同業者同士の懇親会があった。愚痴を言い合ったり、変な登記の話で盛り上がったり。あの時間が、意外と自分を支えていたのかもしれない。でも、今ではオンライン開催になったり、そもそも開催自体が少なくなったり。顔を合わせて話す機会が減った今、誰に気軽に話をしていいのかも、わからなくなってきた。
Zoomよりも、もう誘われてない現実
最初の頃は「Zoomでもつながれるからいいか」と思っていた。でも、画面越しのやりとりはどこか味気ないし、終わった瞬間の孤独感が強烈だ。そして最近は、そのZoomの誘いすら来なくなった。きっと自分がつまらない返ししかできなかったからだろう。社交が下手な人間は、こうして少しずつフェードアウトしていくのかもしれない。
昔の友達は家庭持ち、誘いにくくなった
同級生のSNSを見れば、子どもの写真、家族旅行、運動会。連絡しようにも、「いま、迷惑じゃないかな」と気が引ける。気軽に誘える関係だったのに、今は「相手にとっての大事な時間を奪ってしまうんじゃないか」と思ってしまう。結果、連絡するのをやめてしまう。自分だけが取り残されているような、寂しさが残る。
「子どもが…」の一言に返せる言葉がない
誘ってみても、「ごめん、子どもの行事で」などの返答。もちろん断られるのは仕方ない。でも、自分にとっては久々の外食の誘いだったりする。なんだか一人で浮かれて、勝手にがっかりしているようで、恥ずかしくなる。独身の気楽さと引き換えに、こういう寂しさも背負うことになる。
休日の過ごし方がまったく違うという壁
日曜に何してた?と聞けば「家族サービス」という答えが返ってくる。それはそれで尊い。でも、自分は掃除して、スーパーで半額弁当買って、昼寝して――。まったく違うライフスタイル。会話の接点もどんどん減っていく。このまま疎遠になってしまうのが、どこか予感できてしまうのも、少しつらい。
気づけば、年賀状も片手で数えるくらいに
以前は正月になるとポストがにぎやかだった。今年はどうだろうと確認すると、届いたのは数枚。しかも半分は取引先。年賀状をやめたという人も多いのだろうけど、もしかしたら自分が「出すのをやめた側」として、関係を断ってしまったのかもしれない。年賀状すら出さなくなった関係――それが、今の自分の“交友関係”の縮図のように思えてしまう。
人付き合いが減って、仕事に向き合う時間が増えた
良い面もある。静かな時間が増えたことで、仕事に集中できるようになった。登記の間違いも減り、報酬明細の整理も丁寧になった。でも、それが本当に“前向き”なのかどうかは、正直わからない。ただ人と関わるのが億劫になっただけかもしれない。仕事が恋人、なんて冗談も、今では少し痛い。
それは良いこと?それとも、逃げ道?
人付き合いから逃げているだけじゃないか?そう思う日もある。誰とも会わない生活は楽だ。でも、心が少しずつ冷えていくのを感じる。誰かと無駄話をして、笑ったり、怒ったりする時間が、こんなにも自分を支えていたのだと、今になって気づく。
忙しさに紛れて、孤独をごまかしていたのかもしれない
「忙しいから」と言って誰とも会わず、「仕事があるから」と休日も家に引きこもる。でも、それは本当に“忙しい”のか。単に、心のスイッチを切っていただけでは?――そんな自問をすることが増えた。もう少し、自分の時間を“誰かの時間”と共有する勇気を持ってもいいのかもしれない。
同じように頑張っている誰かへ
こんな文章を読んでくれる誰かも、きっとどこかで似たような孤独を抱えているのだろう。士業でも、会社員でも、主婦でも、誰でも。人付き合いが減ったからこそ、自分の輪郭が見えることもある。そんなとき、「自分だけじゃない」と思えるだけで、少し救われる。そう信じて、このコラムを書いている。