やっとの休日に鳴る着信音が怖い

やっとの休日に鳴る着信音が怖い

休みのはずの日に、なぜか鳴る電話

休日。それは、心と身体を休めるための時間のはずだ。でも、司法書士という仕事をしていると、その「はず」が当てはまらないことがある。せっかくの休みに、スマホが震える。その音を聞いた瞬間、胸の奥がギュッと締めつけられるような感覚になる。「またか」。思わずそうつぶやいてしまう。そして、手は勝手にスマホを取っている。出なければいいのに、出てしまう。これは、私だけではないはずだ。

「今日は休みですよね?」という悪魔の一言

電話の向こうから聞こえるのは、依頼者の明るい声。「あ、先生、今日お休みですよね?ちょっとだけいいですか?」この“ちょっと”が、とてつもなく長い。しかも、「今日は休み」という前提を知ったうえで電話をしてくるのだから、余計にタチが悪い。私も昔は、仕事熱心なふりをして「大丈夫ですよ」と応えていたが、心の中はずっとざわざわしていた。断ることは、自分の弱さを見せるような気がしていた。

依頼者の都合、こちらの事情

依頼者にも事情があるのは理解している。平日は仕事がある人も多いし、急ぎの登記や相続で不安になっている人もいる。でも、それはこちらも同じ。こちらにも生活があって、心の余白が必要だ。それを飲み込んでまで対応してしまうのは、相手の都合を優先しすぎた結果である。「プロなら対応して当然」という空気に、何年も縛られてきた気がする。

電話に出ないことで生まれる罪悪感

試しに出なかったことがある。日曜の昼、ちょうどスーパーで半額シールの弁当を見つけて喜んでいたところに、着信が鳴った。でもその日は「出ない」と決めていた。家に帰ってからも落ち着かなかった。「あれは急ぎだったかも」「感じ悪く思われたかも」…そう考えてしまう。この罪悪感との闘いが、休日をさらに疲れさせる。結果、翌日の仕事にまで尾を引いてしまうのだ。

つい出てしまう理由

人はなぜ、出なくてもいい電話に出てしまうのか。自分の性格のせいだと片づけていたけれど、実際はもっと根が深い気がする。私は、自分が“役に立っている感覚”に依存していたのかもしれない。電話に出ることで、「ああ、今日も誰かの力になれた」と安心していた。でもそれは、心の健康を犠牲にして得る安心だった。

“緊急かもしれない”という呪い

「もしかしたら緊急かも」と思ってしまう。過去に一度だけ、土曜日に電話を無視していて、後から「明日の朝一で書類を受け取れないと引き渡しできない」と怒られたことがあった。それがトラウマになって、「またああいうことが起きたら…」という不安が常に頭にある。実際は9割方、急ぎじゃないのに、残り1割のリスクに支配されている。

信頼を失いたくないという恐怖

地方の司法書士は、口コミと紹介で食っている部分が大きい。だからこそ、「感じのいい先生」という印象を守ることに必死になる。たった一度の「電話に出ない」が、悪い評判につながるかもしれないという恐怖。だから今日も、震えるスマホに手を伸ばす。でも、心の中では「誰か代わってくれ」と叫んでいる。

休日に休めない職業病

気がつけば、私の休日は「仕事がない日」ではなく「仕事の電話が少ない日」になっていた。完全に頭をオフにできた日はいつだったか、思い出せない。コーヒーを飲みながらぼーっとする時間にも、ふと登記の内容が浮かんでくる。これはもう、脳の一部が常に“司法書士モード”になってしまっているようなものだ。

「仕事を忘れる」ことができない脳

これは司法書士に限らず、士業に共通する悩みかもしれないが、仕事を“区切る”ことが非常に難しい。自宅と事務所の距離が近く、生活空間と仕事空間の境目があいまいだと、なおさらオンとオフの切り替えが難しい。寝る前に「あの案件どうなったかな」と考えてしまうし、休日でも「あの人から返信来てないな」と気になってしまう。これは立派な職業病だ。

頭の片隅にずっと案件が居座っている

どんなに好きな本を読んでいても、心の隅に案件が住み着いている感じがある。私の場合、それは「まだ届いていない印鑑証明書」だったり、「そろそろ督促すべきかなというメール」だったり。まるで、見えない付箋が何枚も脳内に貼られているような感覚。それがある限り、どれだけ休んでも“休んだ気”にはならない。

オフスイッチがどこにもない

昔、知人の整体師が「手に職をつけたら気が楽だよ」と言っていた。けれど士業の場合、「手に職」は「24時間責任を背負うこと」と紙一重だ。スマホの電源を切っても、頭の中のスイッチは切れない。それどころか、切ることで「何か起きてるかも…」という不安が増す。この“オフにならない身体”が、いま一番の問題かもしれない。

気づけば、休日が怖くなっていた

あるとき、「日曜の朝」が嫌いになっている自分に気づいた。理由は、電話が鳴るかもしれないから。朝から気が張って、心が休まらない。何なら、平日のほうがマシだと思う日すらあった。休むことがストレスになるなんて、本末転倒だ。でもそういう人、きっと他にもいると思う。

電話が鳴るかもしれないという前提

「鳴るかも」「急ぎかも」…そんな前提が、休日の予定を狂わせる。映画館に行っても集中できない。銭湯に行っても、スマホがロッカーにあると思うと落ち着かない。旅行なんてとんでもない。それって本当に“自由”なのだろうか?気がつけば、休みの日の行動範囲がどんどん狭まっていく。

だから出かける気力も失う

休日に出かけるのが面倒になる理由、それは「いつ電話が鳴るかわからないから」だ。バスに乗っているとき、山道を歩いているとき、地下にいるとき…そんなときに着信があると、何となく焦る。だったら家にいよう、スマホのそばにいよう。そうして、せっかくの休日が“スマホの監視員”になる。

どうすれば“本当の休み”が手に入るのか

では、どうすればこの呪いから解放されるのか。答えはきっとシンプルだ。「出ない勇気」と「伝える言葉」を持つこと。ただ、それが一番難しい。私もまだ完全にはできていない。でも、できたときに感じた開放感は確かにあった。だからこそ、この文章を書いている。

勇気を出して「出ない」を選ぶ

ある日、「今日は電話に出ない」と決めて、スマホの通知をすべてオフにした。不安で仕方なかった。でも1日終わってみると、意外と何も起きなかった。それどころか、「あれ、これでいいんじゃないか?」と思えた。それ以降すべての日曜をそうしているわけではない。でも“選択肢”が増えただけで、気が楽になった。

不安とともにある無視の効用

無視は冷たい行為ではない。自分を守るための手段だ。私たちは、つい「すぐ対応するのが正義」と思ってしまう。でも、1時間遅れても大きな問題にならないことのほうが多い。逆に、心が疲れている状態で応対して、言葉が冷たくなってしまう方が危険だ。だから「出ないこと」も、相手への優しさだと思うことにしている。

人間関係と信用の線引き

「休みの日に出るのが信頼関係」と思っていたけれど、それは違った。本当の信頼は、「この人はしっかり対応してくれるけれど、休むときは休む」と思ってもらえること。その線引きができるようになったとき、初めて自分の中にも余白ができた。すべてを抱える必要なんてなかったのだ。

休みの日のルールを決めるということ

「ルールを決める」と言っても、大げさなものではない。たとえば「日曜は10時〜16時以外は電話を見ない」と決めておくだけでもいい。それを事務員にも伝えておけば、急ぎのときだけ教えてくれる。誰かと共有するだけでも、ずいぶん楽になる。ルールは自分を縛るものではなく、守ってくれる盾なのだ。

「土日は出ません」と言えるか

最初にこの言葉を発したときは、本当に怖かった。でも、案外相手は「ですよね〜」とあっさり納得してくれた。「休むのが怖い」のは、たいてい自分だけ。世の中は意外と優しいのかもしれない。何より、そう言えた自分にちょっとだけ誇らしさを感じた。

自分の時間を取り戻すために

休日は、仕事のためにあるわけじゃない。自分が人間らしくいるために必要な時間だ。その時間を取り戻すには、「鳴っても出ない」「出なくても平気」と思える小さな習慣を積み重ねること。司法書士という職業は責任が重い。でも、だからこそ自分を守ることも“プロの仕事”だと、私は思っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。