もう限界だと思った、その帰り道
あの日も、いつも通りに時間に追われていた。朝から登記の準備に追われ、銀行と法務局を往復し、午後には相続の相談が2件。昼飯をコンビニでかき込んだだけなのに、消化すらされていない気がした。身体が重くて頭が回らない。電車に揺られながら、「もう辞めたい」とぼんやり考えていた。でもそんなとき、ふと浮かんだのは、今日最後に訪れた依頼者の笑顔だった。
書類に追われ、電話に詰められる日々
司法書士という仕事は、裏方のようでいて責任の重い仕事だ。提出期限が迫る登記書類、抜けや誤字を見逃せない緊張感。少しでも間違えれば、依頼者に損害が出る。それでも、外から見ればただの「書類屋」。電話一本でも、「そんなのそっちがやってよ」と理不尽な言葉を投げかけられることも少なくない。
スケジュールに余白はない
朝9時から動いても、事務員に指示を出して、登記簿をチェックし、案件ごとの調査を進めて…とやっているうちに、もう夜。ご飯を炊く余裕なんてなく、外食かカップ麺で済ませるのが日常だ。休もうと思っても、気になってスマホを見てしまい、結局メールに返信してしまう。自分の時間なんて、もはや「存在していたことがある」のレベル。
誰かが助けてくれる仕事ではない
医者や弁護士のようなチーム体制が整っている職種とは違い、地方の司法書士事務所は「ほぼ個人戦」だ。事務員に任せられる範囲にも限界がある。結局、判断するのは自分で、尻ぬぐいするのも自分。助けてくれる人はいない。だからこそ、失敗が怖いし、誰にも弱音が吐けない。
無表情で判子を押される日々のむなしさ
手続きが終わっても、依頼者が笑顔になるとは限らない。むしろ多くは、黙って判子を押して、そそくさと帰っていく。感謝されるどころか、「やってもらって当然」といった空気すら感じる。それが積み重なると、自分がなんのためにこの仕事をしているのか、わからなくなる。
感謝されることは稀
「ありがとう」と言われることは、実際にはあまり多くない。相続登記だって、「遺産がもらえるようにしてくれた人」というより、「面倒な手続きを請け負ってくれる存在」として見られている感じがする。それでも期待には応えなきゃならない。それが専門職の責任というやつだ。
「専門職だから当たり前」という冷たさ
誰かの役に立ちたくてこの道を選んだ。でも、いざ現場に立ってみると、求められるのは「人間性」ではなく「正確性」ばかり。相談に乗ったり、丁寧に説明したりすることよりも、ミスのない処理のほうが優先される。そんな環境に、自分の存在価値を感じられなくなる瞬間もある。
そんな中で、ふいに救われる瞬間がある
だからこそ、その日のことは忘れられない。高齢の依頼者が、すべての手続きが終わったあと、手を合わせるようにして「本当にありがとう」と笑ってくれた。心の底から安堵したような、あたたかい笑顔だった。その笑顔を思い出すたびに、「やっぱり続けてみよう」と思える。
依頼者の「ありがとうございます」が刺さる
形式的な挨拶としての「ありがとうございます」ではない、言葉に重みのある「感謝」。それは、こちらの姿勢や努力が伝わった証でもある。書類の裏にあるストーリーを理解しようとして良かったと、初めて実感できた。
形式的な言葉でも響くことがある
依頼者は、法律の世界に不慣れな人が多い。だからこそ、「助かった」「よく分かりました」といった言葉だけでも、こちらには十分響く。むしろ、慣れた口調のビジネス用語よりも、素朴な言葉の方が心に残る。
思わず言葉を返せなかった自分がいた
「本当にありがとうございました」と頭を下げられたとき、不意打ちのように胸が熱くなった。言葉を返そうとしたが、うまく声が出なかった。こんな風に自分が救われることがあるとは、思ってもみなかった。
笑顔は武器ではなく、救いだった
どれだけ忙しくて、どれだけ疲れていても、依頼者の笑顔ひとつで、不思議とリセットされることがある。無理に頑張る必要はないけれど、踏ん張ってよかったと思える。笑顔は「感謝の証」であると同時に、こちらを救う「光」だ。
こちらが元気をもらう立場になるとは
依頼者を支えるはずの自分が、逆に支えられることがあるなんて、資格を取ったときは想像もしなかった。でも今は、その逆転現象を素直に受け入れられる。そうやって続けてきた。
独身の自分には沁みすぎる笑顔
普段、人との接触が少ない独身生活。事務員と事務的な会話を交わす日々の中で、ふと見せられるあたたかい笑顔は、心に染み込むように沁みてくる。笑ってくれる人がいるだけで、今日も生きてる意味があると思えてしまう。
それでも愚痴は止まらない
救われることはあっても、愚痴は止まらない。完璧を求められるこの仕事に、心がすり減るのは事実だ。だからこそ、誰かに聞いてほしい。吐き出さないと、自分が壊れそうになることもある。
優しさだけじゃ食っていけない
依頼者に優しくしたい気持ちはある。でも、そればかりでは事務所は回らない。善意が報酬になるわけじゃない現実は、時に冷酷だ。笑顔に救われたって、電気代は払えないのだ。
報酬のことを考えると複雑になる
たとえ感謝されても、報酬が見合っていなければ生活は苦しい。「この案件は手間がかかったけど、報酬はこれだけ…」と悩むこともある。やりがいとお金、そのバランスにいつも葛藤している。
好かれたくて司法書士になったわけじゃない
人に好かれることを目指してこの道を選んだわけじゃない。でも、嫌われながら仕事するのもまたしんどい。だからつい、人に気を遣いすぎてしまう。結局それでまた疲れるのだけれど。
人に言えない弱音もある
愚痴をこぼせる同業者がいればいい。でも地方ではそんな仲間も少なく、結局自分の中にためこんでしまう。相談したくても「ダメな奴だと思われたくない」と思ってしまい、誰にも言えない。
同業者にもなかなか言えない孤独
SNSではキラキラと活躍してる司法書士が多く見える。自分だけが取り残されているような気持ちになることもある。でも、それがリアルかどうかはわからない。結局、みんな孤独を抱えてるのかもしれない。
「大丈夫です」と言いながら崩れそう
依頼者には「大丈夫ですよ」「安心してください」と言う。でも本当は、自分のほうが「大丈夫じゃない」ことのほうが多い。それでも笑顔を保っている自分が、ちょっと情けなくて、でも誇らしい。
それでも続けている理由
色々あるけれど、やっぱり「人の役に立てた」と感じられる瞬間があるから続けている。そして何より、依頼者のあの笑顔が、自分にとっての最大の報酬だ。
ふとした瞬間の「ありがとう」が支えてくれる
たった一言でも、本気で言ってくれている「ありがとう」には、何十ページの契約書よりも重みがある。それがあるから、また明日も机に向かおうと思える。
成功報酬より重たい一言
成功報酬や完了報告書よりも、「助かりました」と言ってもらえることが嬉しい。お金より、評価より、感謝の言葉こそがこの仕事の価値だと信じたい。
「役に立てた」と実感できる数少ない瞬間
正直、報われないと感じる日も多い。でも、それでも続けられるのは、「誰かの不安を軽くできた」と思える瞬間が、確かに存在しているからだ。
自分も誰かにとっての支えでありたい
独身で、誰にも頼られていないような気がしても、この仕事を通して誰かの支えになれている。それがわかるだけで、今日もまた、静かに立ち上がれる。
仕事じゃなく人間関係の中に意味がある
仕事そのものよりも、「人と人」としての関係性に、この仕事の本当の意味がある気がする。依頼者の笑顔の中に、それが垣間見える。
だから今日も机に向かう
誰に褒められるでもない。でも、あの笑顔をもう一度見たくて、今日も書類に目を通す。そんな日々を、これからもなんとか続けていきたい。