朝の司法書士事務所に咲いた一輪の花
その朝、机の上に置かれていたのは、小ぶりな花瓶に挿された白いカーネーションと、匿名の封筒だった。誰が置いたのか、何のために届けたのか、事務所の誰にも心当たりはなかった。
まるでサザエさんのオープニングのように、どこからともなく不思議なものが転がってくる。それが事件の始まりだった。
封筒の中には、一通の手紙とコピーされた謄本が入っていた。ただ、それは明らかに“何か”が足りていなかった。
差出人不明の封筒と謄本の写し
封筒には差出人の記載がなかったが、筆跡は妙に達筆で、どこか気品が漂っていた。中の手紙にはこうあった——「この家には秘密があります。真実を探してください。」
謄本は空き家のものらしく、建物は古いが土地の権利関係が複雑に見えた。一見すると普通の相続登記のように見えるが、どこか不自然な点がある。
俺の胸の奥に、妙なざわつきが広がっていった。これは、普通の案件じゃない——そう直感した。
花瓶に挿された違和感
サトウさんが無言で花瓶を見つめていた。普段なら「うっとうしい」と一蹴するところだが、その目は観察者の目だった。
「これ、造花じゃありませんね。本物だけど、昨日摘んだ花じゃない。」そう言って彼女はスマホを取り出し、花言葉を調べ始めた。
「白いカーネーションの花言葉、知ってますか?”尊敬”とか”純粋な愛”ですけど、相手が亡くなってたら意味が変わります。」
サトウさんの冷静な観察眼
「花瓶の底に、土の粒が残ってます。持ち込んだ人、屋外から来たんじゃないですか?」とサトウさん。やれやれ、、、俺より先に見抜いていたか。
こういうとき、彼女はキャッツアイの瞳のように鋭く、冷徹なまでに論理的だ。俺の出る幕がなくなっていくのが少し寂しい。
「しかも、この謄本、表紙の紙質が変。コンビニでカラーコピーしたのをさらに加工してます。」と、指摘が続く。
謄本に記された消された所有者
コピーされた謄本には、あるはずの所有者の名が薄くなっていた。まるで誰かが意図的にそこだけを消したように。
公式の謄本でそんなことができるはずがない。つまりこれは偽造、あるいは改変の痕跡。法務局で本物を取り寄せる必要がある。
「削除された名前、気になりますね。昔の恋人とか、隠し相続とか……。昼ドラみたい」とサトウさんがポツリ。
筆跡と印影に潜む矛盾
ふと気づいたのは、名義変更の際に押されていた実印の印影。明らかに他と異なり、にじみが不自然だった。
「スキャナーで取り込んで、別の印影を貼り付けた形跡がありますね。Photoshopの痕跡っぽいです」とサトウさん。
ここまでくると、ただの相続案件ではない。何者かが、意図的に登記を操作しようとしている。なぜ、そこまでして——?
登記の過去を辿る法務局訪問
俺はすぐに法務局に出向き、正式な登記事項証明書を取得した。そこには、消されたはずの名義人「滝川咲」がはっきりと記載されていた。
滝川咲。どこかで聞いた名前だと思ったが、記憶の中では曖昧だった。調べていくと、彼女は2年前に急死していた。
相続はされているが、登記手続きが不自然。しかも、直後に建物が取り壊されたことになっていた。
旧姓のままの名義人と空き家の謎
おかしいのは、死亡時の氏名が結婚前の旧姓で登記されていたこと。本来ならば変更が反映されているはずだ。
つまり、この登記は途中で手が加えられている可能性が高い。どこかの段階で誰かが情報を止めた。
「彼女の死亡届、役所で止められていませんか?」サトウさんの推理が、核心を突き始めていた。
かつての住人と咲かない花
俺たちは元の住所を訪ね、近所の住人に話を聞いた。「咲さん?最後に見たのは、三回忌の前日だったかしら……」
老人が語るには、家にはときおりスーツ姿の男が出入りしていたという。その後、花だけが玄関に供えられていたと。
咲の死を悼む誰かがいて、そしてその人物こそが今回の「謄本と花」の送り主である可能性が高まってきた。
ご近所が語る「最後の来訪者」
目撃情報から、滝川咲の元恋人とされる男性の存在が浮かび上がった。彼は登記変更の時期に、彼女の家に通っていた。
「あの人、よく泣いてたのよ……。未練があったのねぇ」と、近所の人は言った。愛が残っていた。それが動機だとしたら?
俺はある種の確信を抱いて、再び事務所へ戻ることにした。証拠はきっと、最初の花瓶の中にある。
コピーされた謄本と偽造の痕跡
花瓶の底を分解すると、防水テープの奥に小さなUSBメモリが隠されていた。そこには改ざん前の謄本PDFが保存されていた。
さらに、Word形式の遺言書の下書きと、それを書いた人物の日記まで。そこには「このまま忘れられていいのか」との一文が。
やれやれ、、、これじゃまるでコナンのトリックファイルだ。だが、それでも十分な証拠だった。
司法書士の目に映る不自然な加工
これらのデータが示すのは、改ざんされた謄本と、偽造された遺言状。そして、それを暴こうとした一人の男の愛。
男は偽造を暴いてほしかったのだ。正義のためではなく、愛した人の記録を正しく残したかった。
俺たち司法書士の仕事は、紙の上の真実を守ること。その意味を、改めて思い知らされた。
花言葉が告げる犯人の意図
白いカーネーションは、亡き母への愛の象徴とも言われる。だが、この場合は亡き恋人への告白だったのかもしれない。
「彼女は消されるような人じゃない」——男はそう書き残していた。誰も知らない登記の片隅に、想いは咲いていた。
事件性はなかったが、法の外に咲いた一輪の“真実の花”が確かにあった。それだけは俺が証明できる。
白いカーネーションが意味するもの
事務所に戻ると、花瓶はきれいに片づけられていた。「水が濁ると証拠が消えるから」とサトウさん。
「それでも、きれいなままに咲いてましたよ」と彼女は言った。なんだか、それだけで十分だった。
今日は少しだけ、誰かの心に報いることができた気がする。俺の仕事も、まんざらじゃない。
サトウさんの推理と僕のひらめき
帰り際、サトウさんがぽつりと「花、嫌いじゃないですよ」とつぶやいた。たぶん、あれは気遣いだったんだろう。
俺はうっかり、「じゃあ今度は造花でも飾ろうか」と言ってしまい、無言で冷たい目を向けられた。
やれやれ、、、どうにも俺は、女心には鈍すぎるらしい。