年末調整の書類は片づいても、気持ちは片づかない
年末調整の時期になると、司法書士としての「お仕事モード」が加速する。書類の山、確認の嵐、期限への追われ感。これは毎年のことだし、ある種の「ルーティン」にすぎない。だけど、そんな業務が終わった頃にやってくるのが、もっと厄介な問題——自分の心の整理だ。数字は合うのに、なんだか心が合わない。書類の束を提出したあと、ふと一人になった事務所で感じるあの空白。年末って、忙しさの終わりじゃなくて、孤独の始まりみたいな気がしてしまう。
数字はきっちり合うのに、心はどこか曖昧
司法書士という仕事は「数字」と「証明」に支えられている。数字が合っていればOK、手続きが完了していればミスなし。でも、自分の中の“感情”にはそんな基準はない。今年、何人の依頼人に感謝されたか?何件の登記を滞りなく終えたか?そんなものはすぐに思い出せるのに、「自分がどう感じたか」については曖昧だ。どれだけ忙しく働いても、なぜか“満たされない感じ”が残る。それは、きっと数字では測れないものに、僕が飢えているからだと思う。
計算は合っても感情は合わない
「年収も上がってるし、事務所も安定してるじゃないですか」と言われるたびに、笑ってうなずく。でも、心の中では「それで?」と問い返している自分がいる。計算上は成功しているのかもしれないけれど、気持ちがどこか噛み合わない。たとえば、クライアントと話しているとき、ふと「この人の人生と、僕の人生は交わらないんだな」と感じてしまう瞬間がある。誰かの人生に関わっているようで、実はどこにも関わっていない——そんな感覚。
「今年も終わるんだな」と思った瞬間の虚無感
12月の後半、ふと手帳を見返して「今年ももう終わるのか」と思ったとき、毎年同じような虚しさに襲われる。忙しかったのは確かだし、それなりにやりきった感もある。でも、「今年、自分は何かを変えられたか?」という問いには、答えに詰まる。日々の業務に追われるうちに、自分の感情や思考は後回しになっていた気がする。書類の片づけはできても、心の中のぐちゃぐちゃは放置したままだ。
仕事は積み上がる、でも心の余白は削られていく
書類は増え、案件は積み重なる。それはありがたいことなのかもしれない。でも、その分だけ心の余白がどんどん削られていくのを、僕は感じている。たとえば、仕事がひと段落した金曜の夜。家に帰っても「今日は何して気持ちを回復させようか」とすら考える気力がない。テレビもつけず、コンビニ弁当を片手に、ただぼんやり過ごす時間。誰かと話したい気持ちもあるけど、その“誰か”が思いつかない。そんな自分に、ちょっとびっくりする。
自分を癒す時間が、どうしてこんなに少ないのか
仕事の合間にふとスマホを見て、他人の幸せそうな投稿に目が止まる。家族と過ごすクリスマス、趣味に打ち込む休日、自分をいたわる温泉旅行。「そんな時間、俺にはないよ」と笑って済ませるけど、内心では羨ましいと思っている。気づけば、自分を癒す時間はいつも「あとで」「そのうち」ばかり。事務所のこと、クライアントのこと、事務員のこと……その全部の“あと”に、自分が回されている。
昼は法務局、夜は自己反省会
午前中は登記申請、午後は書類作成。夕方にはメールと電話の対応に追われ、夜はようやく一息つく。そんなとき、ふと「なんでこんなに疲れてるんだろう」と思う。身体というより、心が重たい。たぶん、それは「やれてないこと」が積もり積もって、自分を責めているからだと思う。運動不足も、本を読んでないことも、誰かに優しくできなかったことも。夜な夜な、ひとりで自己反省会を開くのが癖になっている。
好きで選んだ仕事のはずなのに
司法書士という仕事を選んだのは、自分のペースで、人の役に立てると思ったからだ。でも今は、自分のペースどころか、他人の事情に追い立てられてばかりいるような感覚。好きなはずだったこの仕事が、いつの間にか“義務”に変わってしまったのかもしれない。感謝の言葉をもらえることもあるし、やりがいがゼロなわけじゃない。でも、「これがずっと続くのか」と思うと、ちょっと怖くなる。
年末のご挨拶ラッシュが、妙に胸に刺さる
「お世話になりました」「良いお年を」——年末の挨拶が飛び交う時期になると、どこか落ち着かない気分になる。みんなが未来に向かって希望を語っているように見えて、自分だけがその波に乗れていないような気がするからだ。僕も形式的には挨拶をするけれど、心の中は「何が“良いお年を”だよ」とちょっとすねていたりする。
「良いお年を」がつらく感じる理由
この挨拶、別に嫌いなわけじゃない。むしろ、日本人らしい美しい習慣だと思う。でも、どうしても“別れ”のニュアンスがある。1年頑張ったことを褒め合って、来年に向けて希望を持って別れる……そんな流れに、うまく乗れない自分がいる。だって、来年がどうなるかなんて、全然わからないから。来年もたぶん、似たような日々が続くだけなんじゃないか——そんな不安を抱えていると、「良いお年を」すら言いづらくなる。
笑顔の裏で、「俺は何をしてきた?」
事務員が年末に「今年もありがとうございました」と言ってくれると、心がぎゅっとなる。彼女なりに気を遣ってくれているのはわかるし、ありがたい。でも、その瞬間に「今年、俺は何をしてきたんだっけ?」と振り返ってしまう。大した成果もないし、人を幸せにした実感も薄い。ただただ、淡々と仕事を回してきただけ。そんな自分に「ありがとう」と言われるのが、少し申し訳ない。
事務員との会話が唯一の年末交流
年末になると、飲み会の予定がゼロになるのは毎年恒例。もともと誘われるようなタイプでもないし、自分から誘うこともない。だから、事務員との何気ない会話が唯一の交流になる。「大掃除、どこまでやります?」「ストーブ、もう片づけてもいいですか?」そんな何気ないやりとりに、妙に救われたりする。気づけば、彼女の存在が事務所の空気を整えてくれていたんだと、しみじみ感じる。