季節が変わるように、気づけば自分もすり減っていた

季節が変わるように、気づけば自分もすり減っていた

気づいたら季節が変わっていた日

朝、事務所のドアを開けた瞬間、ひんやりとした空気が顔を撫でた。「あれ?」と思って上着の前を掴む。ついこの前までクーラーが欠かせなかったのに、今は秋の匂いがしていた。気づかぬうちに季節が変わっていたことに、ふと寂しさを感じた。自分の生活が、どれほど単調で機械的なものになっているのかを思い知らされた瞬間だった。毎日の業務に追われて、外の空気さえ感じなくなっていたのだ。

忙しさの中で置き去りにされた感覚

気づけば季節どころか、人との会話も最低限になっていた。電話、メール、書類、登記簿。感情を挟む隙間がない日々を繰り返していると、喜びや驚きすら「非効率」として処理してしまうようになる。春に咲いていた桜の記憶も、夏の蝉の声も、どこか薄ぼんやりしていて、何月なのか一瞬わからなくなることもある。大げさでなく、僕の時間感覚は業務の〆切単位でしか動いていない。

カレンダーじゃなく、風で季節を知る

司法書士の仕事って、室内でひたすらに書類と向き合うものだから、外気に触れる機会が少ない。だからこそ、ふとした外出時の風の冷たさで「ああ、もう秋か」と知ることになる。クライアントの手続きに気を取られて、事務員のシフトのことで頭がいっぱいで、結局自分の時間はどこにも存在しない。気づいたときには、毎年同じような景色の中をただ通り過ぎている感覚に襲われる。

それでも仕事は待ってくれない

僕が気づこうが気づくまいが、法務局の期限は変わらない。登記は止まらず、依頼者は容赦なく急ぎの案件を持ち込んでくる。誰かの人生の節目に関わっているという自覚はある。でも、それを噛みしめる余裕なんて正直ない。僕が疲れていようと、季節感がなかろうと、やるべきことは山積みで、やらなければ「遅い」「対応が悪い」と言われる。それがこの仕事の現実だ。

司法書士という仕事の「静かな疲れ」

体力的にきついわけじゃない。だけど、精神がじわじわと削られていく。この感覚、わかる人にはわかると思う。大きな声で文句を言うこともできず、誰かに相談できるわけでもない。だから、静かに、気づかないうちに「疲れ」が根を張っていく。ふとした瞬間に、やたら涙もろくなったり、無性に誰かと話したくなったりするんだ。そういう自分にまた驚く。

目立たないけど、責任だけは重い

司法書士って、どこか縁の下の力持ち的な存在だ。華やかさはないし、テレビに出ることもない。でも、手続き一つで誰かの人生が左右される重さはある。それだけに、ミスは許されない。なのに、感謝されることは少なく、気づかれずに済まされることも多い。責任だけが大きくなって、見返りや評価とは比例しないところに、妙な孤独感がある。

「誰も見てない努力」が蓄積する日々

深夜まで書類を見直して、朝にはまた新しい相談が来ている。そんな毎日を過ごしていると、「誰か見てくれてるのかな」と思うことがある。依頼者のためにやっている。でも、人間だから、「報われたい」と思う気持ちを完全には捨てきれない。結局、誰にも気づかれないまま、自分の中だけで溜め込んで、また一日が終わる。

たまに心が折れそうになるとき

電話口で罵倒された日、登記申請が通らなかった日、事務員とのすれ違いが重なった日、何度か心が折れかけた。もうやめようかと思ったことも、正直ある。でも、なぜか踏みとどまっている自分がいる。それはたぶん「今さら辞められない」という意地かもしれないし、ただの惰性かもしれない。でも、心の奥ではまだ誰かの役に立ちたいと思っているのかもしれない。

事務所にこもっていても季節は進む

毎日、窓の外の風景を見ながら昼食を取っているが、そこに四季の移ろいを感じることが減った。目は外を見ているけど、心は中にある業務に支配されている。クーラーの設定温度を変えることでしか、季節の変化に気づけない。こんな生活、いつから始まったんだろう。たぶん、開業してからずっとそうだったんだと思う。

窓の外の世界と自分の世界のズレ

事務所の中は時間が止まったようで、世間とはズレている感覚がある。お盆や年末年始の空気感が、まるで他人事のように思えることもある。世間が浮かれているとき、こっちは登記のトラブルに頭を抱えていたりする。そういうときに、やるせなさが込み上げてくる。せめて季節くらい、もう少し感じたいと思うのに、どうしてもその余裕がない。

「今日って何曜日だっけ?」が口癖に

忙しさに追われていると、カレンダーの意味を忘れてしまう。「今日って何曜日だっけ?」と自分に問いかける日が増えた。祝日があっても気づかないし、事務員に言われて初めて「世間は休みか」と知る。時間に追われる生活をしていると、自分の感覚が少しずつ狂っていくのが分かる。それでも、止まれない。止まったら、怖い。

独身のまま、また春が来る

気づけばまた春。年が変わっても、僕の生活は特に変わらない。変わらないまま、同じような春を何度も迎えている。独身というのは「自由」であると同時に、「孤独」でもある。自分の選んだ道だけど、時折、不安になる。誰かと一緒に季節を感じるということが、どれだけ大切なことだったのか、今さら気づくなんて遅すぎるのかもしれない。

結婚しないという選択じゃなく、できないという現実

昔は「いつかは家庭を持てるだろう」と漠然と思っていた。でも気づけばこの歳になっていた。別に「選ばなかった」わけじゃない。ただ、仕事に追われて、気づいたらチャンスを逃していた。それだけの話だ。人から「どうして独身なの?」と聞かれるたびに、心の奥がチクッとする。でも、今さらどうにもならない気もする。

同窓会の案内状がそっと心を刺す

年賀状や同窓会の案内が来るたびに、どこか気が重くなる。集まれば、子どもの話や家族の話が当たり前のように飛び交う。僕には話せる話題がない。ただ、仕事の話をしてやり過ごすだけ。笑顔を作るのが、どこか虚しくなる。それでも、表面上は元気そうに振る舞う。だって、それが大人の礼儀ってやつだから。

それでも、こうして続けている理由

文句ばっかり言ってるけど、それでもこの仕事を続けている。心の奥には、たしかにこの仕事が好きだという気持ちがある。うまく言えないけど、人の人生の節目に関わる責任感が、やりがいに変わる瞬間がある。だから今日もまた、季節に気づかないほど没頭してしまうのかもしれない。そういう意味では、僕もまだ捨てたもんじゃない。

依頼者の「ありがとう」が、まだ響く

たまに言われる「助かりました」「本当にありがとう」という言葉が、胸にじんわりと響く。それだけで1週間くらい頑張れる。小さな感謝が、大きな支えになっている。それはきっと、どんな仕事でも同じなんだろうけど、僕にとっては特別だ。あの一言があるから、まだやっていけている気がする。

やめられない理由が、報酬だけじゃないと気づくとき

生活のためという現実もある。でも、それだけじゃないと感じる瞬間がある。困っている人の手助けをして、結果が出たときのあの達成感。自分でも不思議だけど、「ああ、司法書士で良かった」と思えるときがたしかにある。そういう瞬間が、日々のしんどさを帳消しにしてくれる。それがある限り、きっと僕はこの仕事をやめられない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。