仕事は終わった。でも心は終わってない
「今日の登記、無事完了しました」——報告としてはそれで十分なんだけど、何かが足りない。そんな日がある。報告メールの文面に、今日の自分の気持ちを一行でもいいから添えたい。たとえば「正直、今日は疲れ果てました」とか、「朝から頭が働かなくて大変でした」とか。だけど、そういう感情の断片は、業務の外にあるものとされる。特に司法書士という職業は、正確さと冷静さを求められるだけに、感情を見せることが“甘え”に映りそうで、なかなかできない。だけど、今日みたいに気持ちがぐしゃぐしゃに疲れた日には、「完了しました」よりも、「心が終わってないんです」と言いたくなるのだ。
「完了報告」はできても、気持ちは報告できない
司法書士の業務は、結果がすべての世界だ。「完了」「送信済」「受理」——この言葉が並んでいれば、仕事は「終わった」ことになる。だけど、心の中までは誰も確認しないし、誰も聞いてこない。今日もひとりで何件もの登記をこなし、クライアントとの電話を回し、裁判所に行って、不動産屋からの急な問い合わせに対応して……終わったはずなのに、全然スッキリしない。「今日は疲れたね」と言ってくれる誰かがいれば、少しは違ったのかもしれないけど、そんな存在はうちの事務所にはいない。
チェックリストに感情は書けない
ToDoリストの項目には「会社設立登記申請」や「登記完了書類の発送」などが並ぶけれど、「今日は気が滅入っていた」なんて書き込める欄はない。でも本当は、そういう“感情のタスク”こそ重たかったりする。たとえば、依頼人に無理な要求をされて、笑顔で対応しながらも心の中では何度もため息をついていたり、孤独を感じながら残業していたり。タスク管理アプリにチェックマークをつけるたび、「誰か、気持ちも見てくれませんかね」と呟きたくなる。
進捗より沈黙のほうが重い日もある
「今日はどこまで進みましたか?」と聞かれるのは慣れている。けれど、「今日はどんな気持ちでしたか?」と聞かれることはない。それでも、ときどき思うのだ。進捗の報告よりも、自分が沈黙していた理由のほうが、ずっと重たかったりするのではないかと。電話の後、ふと無言になってしまったのは、ただ疲れていたから。昼ごはんを食べ忘れていたのは、気を張りすぎていたから。そういう沈黙の裏側にある感情を、誰かが受け取ってくれたら救われるのになと、ぼんやり思う。
ただ「疲れた」と言える場所がない
うちの事務所には、事務員さんがひとり。とても気が利くし、真面目に働いてくれる。でも、だからこそ、私のしんどさを軽々しく口に出すことができない。「今日の相談、精神的にきつかった」なんて、言えない。雇ってる立場であり、経営者であり、所長であるから。責任ある立場の人間が、簡単に弱音を吐いてはいけない。そう思い込んでいる。だけど、内心はボロボロで、「誰かに話を聞いてもらいたい」気持ちが押し寄せてくる日も、当然あるのだ。
事務所では愚痴も封印される空気
一人雇っているだけの小さな事務所。だからこそ空気が濃い。無駄にしゃべれば空気が悪くなるかもと思ってしまう。たとえ愚痴をこぼしたくても、聞き手が一人しかいないという環境は、逆にその一人に遠慮してしまう。「愚痴ったところで何も変わらない」と自分に言い聞かせて、また黙る。結果、口を閉じる癖がついてしまった。昔、誰かに「ひとりごとが増えたら黄色信号だよ」と言われたことがある。その意味が、最近わかってきた。
雇ってる事務員に弱音を吐けるか問題
「上司として」「所長として」——こういう肩書きがあると、自分の感情を表に出すのがとにかく難しくなる。どんなにしんどくても、事務員の前では平常を装ってしまう。特に女性の事務員さんだと、なおさら。年齢も離れているし、無駄に気を使わせたくないと思ってしまう。だから、しんどくても「大丈夫です」と言い続ける。気づけば、自分の心の居場所がどこにもなくなっている。誰にも甘えられない環境というのは、けっこうきつい。
独り言が増える=気持ちの出口がない証拠
最近、やたら独り言が増えた。「はぁ」とか「なんで今日こんな多いんだ」とか、「あ、また忘れてた」とか。誰にも聞かせるつもりじゃないけど、どこかで“気づいてほしい”気持ちがあるのかもしれない。声に出すことで、少しだけ気持ちを紛らわせているのかもしれない。でも、それってつまり、誰にも本音を聞いてもらえない状況が常態化しているということでもある。そういう日々が続くと、心が乾いていくのを感じる。
数字に残らない仕事、誰が見てくれる?
司法書士の仕事には、「目に見えない頑張り」が山ほどある。登記申請書を作るのにかけた数時間の緊張感、依頼人とのやり取りで神経をすり減らした時間、正解のない判断を迫られて悩み抜いた一日……。どれも「件数」や「売上」には反映されないけれど、確実に消耗している。なのに、それを誰かに伝えることはできない。「今日も数字ゼロか」なんて、ちょっとした冗談にすら心がささくれる。数字に残らない仕事、誰か見ていてくれてるのかな。
相談3件、電話5件、登記1件より疲れたこと
ある日、特に大きな仕事があったわけじゃないのに、異常に疲れたことがあった。相談3件、電話5件、登記1件。それだけ見れば「いつもより少ないくらいじゃない?」って言われるレベル。だけどその日は、どの対応もやたら神経を使って、気を張りつめ続けていた。だから、終わったときにはもう、ぐったりだった。「今日、何したっけ?」と自問しても、数字で説明できない疲れしか残っていない。そういう日こそ、「疲れました」と言わせてほしい。
「なんで疲れてるか分からない疲れ」
正直、何にそんなに疲れたのか、よく分からない日がある。だけど体は重いし、心は晴れない。「無意識にがんばってしまっていた」って、あとになって気づく。小さな気遣いの連続や、目に見えないプレッシャーが積み重なって、気づいたら限界を超えていた、みたいな。そういう疲れが一番こたえる。誰かに説明するのも難しい。だからこそ、「今日はもう、ただ疲れました」で済ませたいときもある。それが許される場所があれば、どれだけ救われるだろう。
司法書士も人間なんです
肩書きが先に立ってしまう職業だけど、司法書士だって、ひとりの人間だ。弱さもあれば、寂しさもある。プライベートでは誰にも相手にされない寂しい男だとしても、毎日それなりに必死に生きてる。そんな姿を、せめてこのコラムの中だけでも、見せていきたい。きっと、どこかで同じようにしんどさを抱えている誰かがいるはずだから。
強がってばかりでは続かない
「大丈夫です」「なんとかなります」そんな言葉ばかり使っていたら、本当に心が折れそうになった。強がることでしか自分を保てなかったけれど、結局それは自分を追い詰めていただけだった。勇気を出して、「今日は本当に無理でした」と言ってみたら、思ってたより気が楽になった。弱音を吐くことは、負けじゃない。続けるための手段だ。
「しんどい」と言える勇気が救いになる
司法書士を目指す人、今、同じように頑張っている人に伝えたい。「しんどい」と言えることは、甘えじゃない。言葉にして誰かに伝えることで、自分の気持ちを救うことができる。それがたった一言でも、たとえば「今日はダメだったなあ」でも、それだけで明日は少し前を向けるかもしれない。だから、どうか自分の気持ちを無視しないでいてほしい。
がんばる誰かに「今日はよく耐えましたね」と言いたい
今日、何も成果がなかったと感じている人がいたら、伝えたい。ちゃんと生きてるだけで、十分です。司法書士だって、報酬ゼロの日もあるし、気持ちだけでギリギリのときもある。だけど、それでも一日を終えたあなたに、「よくやりました」と声をかけたい。私もまた、そんな言葉を自分自身に言い聞かせながら、生きている。
仕事の正解なんて分からないけど
何が正しい選択かなんて、あとになってみないと分からない。それでも、今日を乗り越えたという事実だけは、間違いじゃない。うまくいかなくても、失敗しても、「終わらせた」「がんばった」——それだけで充分だと、声を大にして言いたい。
完了してなくても、気持ちを報告する価値はある
「今日は〇〇を完了しました」という報告もいいけど、「今日は少ししんどかったです」とか、「思うように進みませんでした」っていう報告も、あっていいと思う。むしろ、そういう気持ちの共有があってこそ、人はつながっていけるのかもしれない。今日もお疲れさまでした。私も、なんとか生き延びました。