無理して笑ってる自分に気づく瞬間

無理して笑ってる自分に気づく瞬間

笑顔の裏に隠した疲労と孤独

笑っているつもりなのに、ふとした瞬間に「これ、無理してるな」と自覚することがある。司法書士という仕事は、基本的に人前で取り乱すことが許されない空気がある。相談者に安心感を与えるためには、笑顔も大事な“武器”だ。でも、その笑顔が自分を蝕む瞬間がある。今日はそのことについて、少しだけ本音で書いてみたい。

「大丈夫です」と笑う自分がしんどい

相談者から「お忙しいところすみません」と言われるたび、「いえいえ、大丈夫ですよ」と笑って答える。実際は、予定が詰まりすぎて昼飯もまともに食べられていない。なのに、笑顔で「お気になさらず」と口にしてしまう。これは親切心なのか、プロ意識なのか、それともただの癖か。自分でもわからなくなる。

電話口の愛想笑いが、日に日に苦しくなる

電話対応中にふと、自分の声がやたらと明るくなっているのに気づくことがある。意識してそうしてるのではなく、反射的に「元気なふり」をしている。相手のトーンに合わせるのがマナーだと分かっていても、自分の中身がついてこないことがある。電話を切った後、ふとため息が出る。そしてそのまま、誰とも話さずに次の案件に向かう。

それでも笑わないといけない気がしてしまう

笑わなければ「感じが悪い」と思われる。機嫌が悪いのかと気を遣わせてしまうかもしれない。そんなことを考えると、やっぱり笑ってしまう。でもその笑顔は、もう自分の感情とは関係ない。ただの営業用ツールだ。そんな笑顔を続けることで、自分の本音や本心がどこかへ消えていく感覚がある。

ふと鏡に映った自分にゾッとした話

ある日、トイレの鏡で顔を洗った後、自分の表情を見てゾッとした。口元は笑ってるけど、目がまったく笑っていなかった。そこにいたのは「無理してる人間」だった。司法書士としてではなく、ひとりの男として「これでいいのか」と思った。その時から、笑顔が怖くなった。

笑ってる顔が、ぜんぜん笑ってなかった

人に対して笑っているとき、自分では自然なつもりだった。でも、その鏡に映った顔は、無理に口角だけ上げたような不自然な笑みだった。まるでロボットのように。笑いながら、心のどこかで「このままで大丈夫なのか」と問いかけている自分がいた。その矛盾が、自分をますます消耗させる。

無理してることに自分だけ気づいていないと思ってた

自分はうまくやっているつもりだった。「誰にもバレてないだろう」と。けれど、たぶん周りは気づいていた。事務員さんの優しさがちょっと重く感じる時、それは“気遣われてる”証拠かもしれない。つまり、自分が無理していることはもう隠せていないということ。知られたくないけど、気づいてほしい。そんな矛盾した感情が、毎日胸に積もっていく。

司法書士という仕事に潜む「笑えなさ」

司法書士の仕事は正確さと誠実さが求められる。笑顔もまた、信頼を得るためのツールとして使われる。けれど、その「笑顔」がある種の義務になった瞬間から、仕事がただただ辛くなる。笑わない自分を許さない職業、それが司法書士だと感じることがある。

お客さんの前では絶対に笑顔でいないといけないという呪い

相談に来る方は、不安を抱えてやってくる。だからこそ、安心感を与えたい。でもそれは「こちらが元気であること」が前提になっている。体調が悪くても、気持ちが沈んでいても、笑顔で応じなければならない。そんな日々が続くと、自分自身がどこかへ置いてきぼりになる。

でも本音では「そんな元気ないです」と言いたい日もある

朝起きた瞬間から「今日はもうダメだな」と感じる日もある。だけど予定は詰まっていて、誰かが代わってくれるわけでもない。そんなとき、せめて誰かに「今日はしんどいですね」と共感してもらえたら、少しは救われるのにと思う。でも言えない。だから笑うしかない。それがまた、つらい。

事務所の空気が、笑顔を吸い取っていく

一人で事務所を切り盛りしていると、静かなはずの空間が重くなる。無音の空気に包まれながら、ひたすら作業を続けると、自分の感情すらどこかへ消えてしまうような気分になる。笑顔なんて出る余地もない。

事務員さんに気を遣わせるのも辛い

事務員さんはよく気がつく人だ。私が疲れていると、そっとコーヒーを出してくれる。その気遣いがうれしい反面、「気を遣わせてしまってるな」と思うと、ますます自分が情けなくなる。もっと明るく振る舞わなきゃ、と思えば思うほど、空回りしていく。

一人経営の重圧、誰にも愚痴れない現実

経営者である以上、弱音は基本的に「禁句」だ。経営の不安、仕事のミス、将来の不透明さ。愚痴をこぼしたくても、聞いてくれる相手がいない。友人に話しても、司法書士の仕事をわかっているわけじゃないから、本当に言いたいことは飲み込んでしまう。そしてまた、笑ってごまかす日々が続いていく。

誰も悪くない。でも誰かに優しくされたい

毎日がんばっている。それは誰もがそうだと思う。だからこそ「自分だけが大変」とは思わない。でも、時々でいいから「よくやってるね」と言ってもらいたい。そんな気持ちになる。笑顔でいても、心のどこかではいつも、誰かに甘えたい自分がいる。

笑顔を貼り付けるより、優しい言葉がほしかった

励ましの言葉や感謝の言葉は、本物の笑顔につながる。形式的な「おつかれさま」ではなく、心のこもった一言が、笑顔の裏にある疲労を和らげてくれる。そういう瞬間に出会えた時、自分も「笑っていてよかった」と思える。でもそれがない日々は、笑顔が空虚に感じられてしまう。

弱音を出せる場所が、あればいいのに

本音を話せる場所。本音を出せる相手。それがあれば、たぶん今ほど無理して笑わなくて済むと思う。誰かの前で、泣いてもいいし、黙っててもいい。そんな空間が、司法書士にも必要なんじゃないかと思う。笑顔を取り戻すためにこそ、「笑わなくていい場所」が欲しい。

それでも、また笑ってしまう自分へ

今日もまた、鏡の前で「よし」と笑顔を作って事務所に向かう。もうこれはクセのようなもので、やめようと思ってもやめられない。でも、たまには思う。「今日は笑わなくてもいいや」と。それもまた、自分への優しさのひとつかもしれない。

無理してでも笑うことで救われていた部分もある

笑うことで、相手が安心するだけじゃない。自分の気持ちも少しだけ軽くなる。そういう効能もある。だから、笑顔を完全に否定するつもりはない。ただ、それが義務になった瞬間から、心が壊れはじめる。だからこそ、「選んで笑う」余地を残しておきたい。

だけどたまには「無理だ」って言ってみてもいい

笑えない日があってもいい。元気が出ない日があってもいい。それをちゃんと認めて、誰かに言えることができたら、もっと健全に働ける気がする。今日も、笑ってるふりをしてしまったとしても、それは生き延びるための手段だったと、少しは自分を認めてやりたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。