誰とも話さず今日が終わった。味方はパソコンだけだった

誰とも話さず今日が終わった。味方はパソコンだけだった

仕事は山積み。でも会話はゼロ。

朝から晩まで仕事に追われるのは、司法書士という職業上、ある意味慣れた日常だ。ただ、気づけば今日一日、誰ともまともに会話をしていなかったことにハッとする。電話もほとんどかかってこず、対面の打ち合わせはゼロ。事務員の彼女とは挨拶程度のやりとりだけで、あとはずっとパソコンの画面と書類の山に向かっていた。作業効率は上がっているのかもしれない。でも、それが心の充実にはつながらないのが、この仕事の難しいところだ。

朝から晩までパソコンとにらめっこ

午前8時、デスクに座ってから一度も席を立たず、気づけば夜7時。コーヒーを入れるのも忘れていた。ひたすら登記のチェック、メールの返信、契約書の作成と続き、昼食も買いに行かずに済ませてしまった。無音の部屋で、キーボードのカチャカチャという音だけが響いていた。これが効率的だと思っていたけれど、なんだか自分が機械の一部になっているような気もしてきた。少なくとも、”生きている実感”とは遠ざかっていた。

話す相手がいないという違和感

パソコンは文句を言わないし、裏切らない。でも、今日の僕には、「ありがとう」と言ってくれる人も、「大丈夫?」と気にしてくれる声もなかった。これまでは忙しさに紛れて気づかなかったけれど、誰とも話さずに一日が終わることの虚しさは、意外と後から効いてくる。まるで、自分が“社会から切り離された存在”になったような気がしてくるのだ。

目も肩も限界。でも終わらない

夕方には目の焦点が合わなくなり、肩こりで頭痛も出てきた。それでも業務は終わらない。登記の入力ミスを恐れて、何度も見直しをする。誰かと分担できれば…と思うが、任せる人もいない。誰にも頼れない状況で、「全部自分でやるしかない」と歯を食いしばる。正直、体よりも心が疲れていた。

人と接する仕事のはずなのに

司法書士という職業は、基本的には“人と関わる”仕事だと思っていた。依頼者と向き合い、人生の節目に立ち会う。そのはずが、今の僕は画面越しの申請とメールの山に埋もれている。人と接している“気”になっているだけで、実際には誰の表情も見ていないし、声も聞いていない。どこでこんなにズレてしまったのだろうか。

電話は減り、メールが増えた

昔は「先生、ちょっとお時間いいですか?」と、依頼者が事務所にふらっと立ち寄ることも多かった。でも今は、「メールでお願いします」が当たり前。Zoom面談さえ「なるべく短めで」と言われる。効率が正義になった結果、人との関係はどんどん薄くなっていった。こちらもその方が楽だと感じる反面、やはりどこか寂しい。

「人の顔が見えない」ことへの不安

書類はきっちり仕上がっている。でも、相手がどんな気持ちだったのか、どんな表情で受け取ったのか、それがまったく分からない。やりとりが正確であることと、気持ちが通っていることは別物だ。いつしか、自分の仕事が“ただの処理業務”のように感じられてくるようになった。

事務所経営のリアル。相談相手がいない日々

司法書士として事務所を運営するということは、ある意味「孤独」との付き合い方を常に問われているようなものだ。業務に関する相談相手もいない。経営について愚痴る場もない。特に地方では、同業者との交流すら限られている。仲間というよりは、競合。そんな距離感が壁を作る。

ひとり雇ってはいるけれど

事務員の彼女はよくやってくれている。文句も言わず、ミスも少ない。でも、どこか話しかけづらい。変に気を遣ってしまって、雑談も生まれない。たった二人の事務所なのに、無言の空気が続くと息が詰まる。もっと気軽に話せたらいいのに…と思いつつ、自分の性格も災いしてか、距離を縮められないまま今日も終わる。

気を遣いすぎて会話にならない

「今、話しかけたら迷惑かな」「変に思われたら嫌だな」といった気遣いが先に立ってしまい、結局何も話せずに一日が終わる。相手も同じように思っているのかもしれない。でも、こちらが口火を切らない限り、空気は変わらない。そう分かってはいるのに、動けないまま時間だけが過ぎていく。

逆に「一人の方が楽」な自分もいる

正直なところ、人と話すのが面倒だと感じる自分もいる。言葉を選び、空気を読み、笑顔を作る労力を考えると、「一人の方がマシだ」と思ってしまう瞬間がある。それでも、一人の静寂が積み重なると、心のどこかが空っぽになる。楽さと引き換えに、何か大事なものを失っている気がする。

相談できる同業者がいない地方の孤独

都市部ならまだしも、地方で司法書士として活動していると、同業者の顔を見ることすら稀だ。みんなそれぞれ自分の仕事で精一杯なのだろう。こちらもそうだ。年に一度の研修で会う程度では、悩みや愚痴を打ち明ける関係性にはなりにくい。

同業者=ライバルという現実

地方では、顧客の数も限られているため、司法書士同士が「同士」であると同時に「ライバル」でもある。だからこそ、余計なことは話せない。失敗も不安もさらけ出せない。それがわかっているから、いつしか“誰にも本音を話さない”というスタイルが出来上がってしまった。

SNSでつながる勇気が出ない

最近はSNSで同業者とつながる人も増えている。でも、自分の考えや悩みを不特定多数に見せるのは怖い。無意識に「見栄」や「強がり」が先に出てしまいそうで、結局アカウントだけ作って放置している。もっと気楽に発信できたらいいのに。それでも今日も、何も書き込めないまま、タイムラインを眺めて終わる。

このままじゃまずいと、ふと思う

最近、感情の起伏が減ってきたように感じる。嬉しいとか悔しいとか、そういう「動き」が少なくなってきた。ただ淡々と処理をこなすだけの日々。ふと、それって“生きてる”って言えるのかなと思ってしまう。仕事は順調。でも、自分がどこに向かっているのかが、見えなくなってきている。

感情のアップダウンが無くなってきた

以前は、登記が無事に終わればちょっとした達成感があったし、依頼者からの「ありがとう」にも心が動いていた。でも今は、そうした反応すら鈍ってきた。まるで、自分が感情をオフにして働いているような感覚。それは、疲れのせいだけじゃない気がしている。

嬉しいことがあっても、共有する人がいない

些細な成功やいい出来事があっても、それを話す相手がいない。「おめでとう」と言ってくれる人も、「よかったね」と言ってくれる人もいない。結局、自分の中で消化するだけで、記憶にも感情にも残らなくなる。誰かと共有するって、想像以上に心の支えになるんだと痛感する。

愚痴すら言えない状態が一番キツい

意外かもしれないが、人間にとって“愚痴をこぼす”というのは大事な排出口だと思う。誰にも愚痴れず、弱音を吐けない日々が続くと、知らぬ間に心の中が澱んでいく。たった一言「しんどいね」と言ってもらえるだけで救われることがある。だけど、誰に言えばいいのかわからない。

誰かとつながるための、小さな一歩

何も大きなことはできないけれど、まずは小さな変化から始めてみることにした。いきなり人間関係を広げるのは無理でも、日々の中にちょっとした“つながり”を取り戻すだけでも違う気がしたのだ。

日報に「ありがとう」を書いてみた

事務員の日報に、初めて「ありがとう」と書き添えてみた。最初は少し照れくさかったけれど、翌日彼女の態度が柔らかくなっていた気がした。たった一言で空気が変わることもある。自分が変われば、周りも少しずつ変わっていくかもしれないと思えた瞬間だった。

Zoomじゃなく、声で話す勇気

普段メールで済ませていた取引先に、電話をかけてみた。たわいもない話だったけれど、声を聞いた瞬間、なんだかホッとした。文字じゃなく、声じゃないと伝わらないものがある。ちょっと面倒でも、やっぱり人と“話す”ことって大事なんだと実感した。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。