家に帰っても終わらない「仕事の気配」
「仕事は家に持ち込まない」なんて言葉、どこの世界の話なんでしょうか。司法書士をやっていると、業務時間なんてあってないようなもの。とくに一人事務所でやっていると、自分の頭が職場みたいなものです。事務所を出て自宅に戻っても、玄関のドアを閉めた瞬間に「あれ?あの書類…」と脳内でリフレインが始まる。ソファに座っていても、お風呂に入っていても、ずっと“気配”がまとわりついてくるんです。
書類の山が脳内に引っ越してくる
机の上にあった書類たちが、なぜか頭の中に勝手に引っ越してくる。今日はこれとこれを処理して、あの書類は明日提出、こっちの案件は…と、無意識に頭が勝手に動いているんです。いっそ机の写真を持ち帰って眺めてるようなもので、何も手につかない。「片付けたはずなのに気になる」って、もう軽い呪いです。
テレビを観ていても「○○登記」が気になる
バラエティ番組を観て笑っているつもりなのに、心のどこかで「抵当権抹消の登記済証は返送されてきてたっけ?」とか考えている。番組の内容が頭に入ってこないままエンディングテーマ。そんな夜が増えました。誰かと一緒なら会話で紛れるけど、独り身だとその“空白”に書類がどんどん入り込んでくる。
夜中に「あの書類、出し忘れてないか?」と飛び起きる
これ、司法書士あるあるだと思うんですが、夜中にふと目が覚めて「あの添付書類、印鑑証明入れたっけ?」と焦って起き上がることが何度もあります。枕元にメモ帳を置いてるんですが、翌朝見ると自分でも読めない字が並んでて笑える。でも笑えるだけならいいんです。実際に忘れていた時の恐怖、経験したら忘れられません。
オフの時間が「ただの職場の延長線」になる瞬間
家に帰ってきたのに、気づけば職場と同じ姿勢でパソコンに向かっている。なんなら、うっかり書類のファイルを自宅に持ち帰ってしまった日なんか「もうここで仕事した方が早いんじゃ?」ってなることも。オフがオフじゃなくなるのは、誰かに強制されてるわけじゃなく、自分で自分を追い込んでるんですよね。
帰宅後、机に座ってパソコンを開いてしまうクセ
「ちょっとだけ確認…」がクセモノで、気づけば30分、1時間と時間が溶けていきます。しかも誰も見てないからブレーキが利かない。事務所だと「帰る時間」っていう区切りがあるけど、自宅にはそれがない。好きなだけやれてしまう環境は、時として心の健康を奪います。
事務員には頼めない、けど抱え込む
一人雇っている事務員さんがいるけど、すべてを任せられるわけじゃない。「あの人にはここまで」「これはまだ任せるには難しい」そんな線引きを無意識にしてしまって、結局自分が処理するハメになる。悪循環ですよね。でも責任のある仕事だからこそ、失敗が怖いという気持ちもある。そこをどう折り合いつけるか、ずっと悩んでいます。
“自分がやった方が早い病”からの抜け出し方は?
この病、重症です。たとえば郵送準備も、「あれ頼もうか」と思っても「いや、自分でやれば5分だし」と思ってしまう。積もり積もって気づけば20通分…。でも、だからこそ「任せる」という決断が必要。手を離す勇気を持たないと、ずっと“書類が頭から離れない”夜は続いてしまうんですよね。
独り身だからこそ陥る“無限労働スパイラル”
家族がいれば、「今日はもうやめなよ」とか「一緒にご飯食べよう」とか、誰かが声をかけてくれるかもしれない。でも、独り身だとそれがない。「自分の自由にできる時間=仕事できる時間」になってしまい、結局どこまで行っても働いてしまう。これはある意味で、孤独な自由の代償なのかもしれません。
誰にも止められない。だから止まらない
好きでこの仕事をしてるのは事実。でも好きなだけじゃどうにもならない部分もある。「これ以上やっても意味ない」と自分でブレーキをかけるのが難しくなってくる。昔は趣味の時間もあったのに、今では全部が“片手間仕事”になってしまったような感覚。たまには誰かに「もうやめとけ」と言ってほしい。
気づいたら食事も会話も全部後回し
コンビニのおにぎりをかじりながら登記の確認。スマホ片手に添付書類のメールチェック。人との会話も「とりあえずこの仕事が終わってから」と後回しにして、気づけば人と話す時間がまるでない。こうなると、仕事だけが自分の世界になってしまって、どんどん視野が狭くなっていく感覚があります。
「ひとりの夜」が書類と孤独を加速させる
静かな夜は本来リラックスの時間のはずなのに、気づけば机に向かって作業している。しかも誰も止めないし、見ていない。これは意外とメンタルにくる。テレビをつけっぱなしにしたり、音楽を流したり、無音に耐えられなくなっている自分がいます。書類の音が頭の中で反響しているような夜、ありませんか?
書類を頭の外に出すための小さな習慣
完全に忘れるのは無理でも、少しだけ頭から外に出す工夫はできます。僕の場合は「書くこと」で少し楽になります。頭の中の“タスク”を書き出すだけで、脳が「もう覚えてなくていいよ」と言ってくれる気がするんです。小さな習慣ですが、これが意外と効きます。
寝る前に「頭の中の書類箱」を空にする工夫
僕は寝る前に、今日やったこと・明日やることを3行だけノートに書くようにしています。最初は面倒だったけど、だんだん「書いたら終わり」と思えるようになってきた。自分で自分に区切りをつける感覚。これができると、少しだけ寝つきが良くなりました。
“メモに書く”の本当の意味
ただのメモではなく、「頭から追い出す」という意味でのメモ。思いついたことを一旦紙に出すと、少なくともその瞬間は安心できます。パソコンやスマホのメモアプリより、あえて手書きにしているのもポイント。物理的に「出した感」があるんですよね。デジタルでは得られない安心感があります。
「忘れるために記録する」という逆説的効能
「大事なことだから覚えておかなきゃ」ではなく、「大事だからこそ書いて忘れる」という考え方。司法書士という仕事柄、正確さが求められるからこそ、記憶に頼らないことが重要だと感じています。頭の中に詰め込むとパンクするし、何より日常が楽しくなくなってしまう。忘れる技術も、大切なスキルかもしれません。
理想の“オフ”を手に入れる日は来るのか
書類が頭から離れない夜は、たぶん今後も何度も来ると思います。でも、それをちょっとだけ軽くする方法を見つけていくのが、今の自分にできること。完全にオフにするのは難しいけれど、「少しだけ書類から遠ざかる」ことを、自分に許してあげるのも大事なんじゃないかと思うんです。
結局、仕事が好きだからこそ…という苦い真実
この仕事が好きだから頑張れる。でも、だからこそ「休む理由」が見つけにくい。好きなことに熱中するのは素晴らしいけれど、やりすぎると自分が壊れてしまう。何事もバランス。そう思いながらも、気づけばまた書類に手が伸びている自分がいます。
「誰かに任せる」がいちばん難しい
任せるって、信じることなんですよね。でも、自分の責任が重いからこそ、信じるのが怖い。事務員さんには感謝してるし、頼りにもしてるけど、どうしても「これは自分がやらなきゃ」と思ってしまう。信頼する力、自分が一番足りないのかもしれません。
たまには“何もしない勇気”を持ってみてもいい
何かをやるより、何もしない方が難しい。これは本当にそうです。ぼーっとする時間、ただ空を眺める時間、そういうのを「ムダ」と思ってしまうけど、実はその“ムダ”の中に、自分を保つ力がある気がします。たまには、自分に「今日は何もしないでいいよ」と言ってあげる勇気を持ちたいですね。