司法書士という肩書きの重みと誤解
「司法書士」という肩書きは、時に思ってもいない重圧を生む。実際、外で「先生」と呼ばれたり、役所で妙に丁寧に扱われたりすると、自分の実力以上の期待を背負っている気がして息苦しくなることがある。もちろん信頼されることは嬉しいが、その肩書きの裏には日々の試行錯誤と、終わらない業務に追われる現実がある。「司法書士」としての信用と責任、それは時に“人としての自分”を置き去りにしてしまうほど重たいのだ。
看板があるだけで安心される現実
看板を出していれば信用される。それはありがたい反面、怖さもある。実際に「ここに頼めば安心です」と言われたとき、「いやいや、まだ不安しかないけど?」と思ったことがある。私は魔法使いじゃない。人間だ。初めての案件もあるし、毎回毎回、答えが明確にあるわけじゃない。それでも依頼者は「先生なら大丈夫」と言う。その言葉がプレッシャーになる日もある。
「先生」と呼ばれてしまう違和感
正直、「先生」と呼ばれるのはくすぐったいし、居心地が悪い。元野球部だった頃、先輩からの呼び捨てやニックネームに慣れていたからか、あまりにも敬われると構えてしまう。たとえばスーパーでレジに並んでいて「先生ですよね?」と声をかけられた時、変な汗が出た。たまたまボサボサの頭で、牛乳とカップラーメンしかカゴに入ってなかったから余計に。自分は“偉い人”じゃない、ただの町の事務屋なんです。
中身はただの一人の働くおじさん
肩書きが立派に見えるかもしれないけど、中身は冴えないおじさん。朝起きて、顔を洗って、パンかじって事務所に向かう。忙しい日はコンビニ弁当で済ませ、夜は事務員さんが帰った後、書類に囲まれてひとりパソコンとにらめっこ。誰にも褒められないし、誰にも怒ってもらえない。だけどやるしかない。こんな日常を、果たして世間は“司法書士の仕事”として見てくれているのだろうか。
地方でひとり事務所を回すという現実
都会のように分業できるわけでもなく、すべての仕事が自分に降ってくるのが地方の現実。電話応対、資料作成、登記申請、営業、郵便物の確認まで、誰かに振るにも人がいない。たった一人の事務員さんに助けられているとはいえ、事務所のすべての責任は自分が背負う。独立開業という夢が、まるで“ひとりブラック企業”になることだなんて、開業当初の自分は思ってもいなかった。
効率化どころじゃない毎日
世間では「業務効率化」「DX化」なんて言葉が飛び交っているけど、現場ではそんな余裕は正直ない。何か新しい仕組みを入れるにも、まずは勉強、次に準備、そして導入。結局その作業も全部自分でやる羽目になる。だったら今あるやり方で回す方が早い、そう思って手を出せずにいる。だから一向に業務は楽にならず、昔ながらのアナログ作業で今日も時間に追われている。
休みも心も、いつも後回し
たとえば月曜が祝日で、やっと休めるかと思った矢先、「その日、法務局休みですよね?早めに出せませんか」と依頼者。言われれば断れない性分だから、結局出勤して申請準備。こんな調子でカレンダー通りの休日を過ごせた記憶はもう遠い。たまに「最近何してますか?」と友人に聞かれても、「いや、仕事しか…」としか答えられない自分がいる。それが地味にしんどい。
事務員さん一人のありがたさと苦しさ
うちの事務員さんはとても頑張ってくれている。本当に感謝している。でも一人だけだからこその難しさもある。仕事量が多すぎる日は「これお願いしていいかな?」と言いながらも心の中では「本当は無理だよな」と思っている。無理をさせたくないけど、任せたい。そんなジレンマが続いている。
任せたいけど任せきれない矛盾
「任せるのが苦手ですね」と言われたことがある。たしかにそうかもしれない。でも、責任が重い業務だからこそ、つい「あとで自分で確認しよう」と思ってしまう。それは信頼していないからではなく、責任を押し付けたくないという思いから。でもそれって、結果的に自分の首を絞めているのかもしれないと、最近よく思う。
小さな失敗が自分の責任になる怖さ
昔、たった一文字の入力ミスで登記が受理されず、依頼者に頭を下げに行ったことがある。そのとき「担当者がやったことで…」なんて言い訳はできなかった。全部、自分の名前で申請してるのだから。責任の所在が明確なこの仕事は、ミスがそのまま信用の失墜につながる。そのプレッシャーに日々晒されているからこそ、確認と再確認が癖になり、事務員さんに任せきれない自分がいる。
誰かの役に立てた瞬間だけが救い
愚痴ばかりの毎日だけど、それでもこの仕事を続けている理由がある。それは、誰かの「助かりました」という一言。どれだけ疲れていても、どれだけ嫌なことがあっても、その一言があるだけで、不思議と気持ちが前を向く。多分、それがこの仕事の中で唯一“報われる”瞬間なんだと思う。
感謝の言葉が染みる理由
たとえば、相続のことで悩んでいた高齢のご夫婦が、手続き終了後に「先生、これで安心して眠れます」と言ってくれたことがある。こちらとしては、ただ法律に基づいた処理を淡々と行っただけだった。でも、相手にとっては人生の不安が一つ晴れた瞬間だった。あの言葉は、今でも仕事に迷ったときの支えになっている。
また明日も頑張ってみようと思える瞬間
「司法書士の仕事って大変ですね」と言われることがある。そのとき、「まあね」と笑いながらも、内心では「でも、捨てたもんじゃないよ」と思っている。つらいことは山ほどある。でも、その中にほんの少しだけ、心が温かくなる瞬間がある。それがある限り、きっと私はこの仕事を辞めない。愚痴をこぼしながらでも、明日もまた、誰かの役に立ちたいと思ってしまう。