朝、靴を履くときに感じる違和感
最近、朝に靴を履くたびにふと視線が落ちる。つま先の削れ具合、かかとの擦り減り方、それを見るたびに「あぁ、また今日も通勤だけで1日が終わるのか」と思ってしまう。靴って、ちゃんと働いた人が履き潰すものだと思っていた。でも自分のは、ただ通勤という“行って帰るだけの往復運動”で削れていっている。仕事の成果ではなく、距離と時間だけが蓄積されているようで、妙に空しい。
あれ、こんなに削れてたっけ?
ある朝、何気なく靴底を見て驚いた。「え、こんなに削れてたっけ?」と声に出るほどだった。もちろん高級な靴じゃないし、特にメンテナンスもしていない。でも、それにしても削れ方が異常だった。仕事で走り回ったわけでもない。ほとんどは車移動で、事務所と法務局を往復するだけ。唯一たくさん歩くのは、最寄りの駐車場から事務所までの5分くらい。その程度で、こんなにすり減るのか?
仕事は進まないのに靴だけが疲れていく
時間だけが過ぎていって、仕事は進まない。新規の依頼は減ったし、既存の案件もやたら滞る。書類にハンコを押してもらえない、登記が思ったように動かない、ちょっとしたトラブルがいくつも連鎖する。その間も、自分の足は小さな距離を歩き続け、靴は黙って削れていく。まるで、何も成し遂げていないのに「何かを失った」証拠だけが目に見えて残る感じがしてしまう。
通勤時間が一日のハイライト
気づけば、通勤時間が一番頭が冴えている時間帯かもしれない。事務所では誰かに気を使い、電話に追われ、心ここにあらずのまま1日が過ぎていくけれど、車の中ではラジオを聞きながら少しだけ呼吸が整う。信号待ちでボーッと前の車を眺める。そんな時間こそが、自分の「静かな時間」になっている気がする。情けないけれど、それくらいしか「落ち着いた瞬間」がないのだ。
行きたくない職場に向かう自分の影
車から降りて事務所へ歩く、そのときガラスに映った自分の影を見ると、なんとも言えない気分になる。スーツは皺が目立つようになり、肩は少し丸まり、革靴のつま先は白っぽく削れている。なんで毎日こんな思いをしているんだろうと自問しても、明確な答えなんて出ない。登記を通して誰かの役に立っている…はずだけど、実感がない。毎日が自動再生のように過ぎていく。
ラジオと靴音だけが味方
歩くとき、自分の靴音がやけに響く日がある。ガランとした早朝の駐車場や、まだ人の少ない駅前の歩道。そのときだけ、少しだけ「自分が存在している」と感じる。仕事中には感じない実感。それを支えてくれるのが、いつも聞いているラジオと、このすり減った靴だけ。誰にも褒められなくても、誰にも気づかれなくても、このふたつだけは毎日、ちゃんと“働いている”。
事務所に着いたら、すぐ座る
靴を脱ぎたくなる。でもそんな余裕はない。ドアを開けた瞬間から、机の上の書類の山、未読メール、付箋だらけのモニターが現実に引き戻してくる。出勤して3分で、もうぐったりだ。自分で始めた仕事だけど、何のためにやってるんだろう。夢も希望も、最初はあったんだけど。今はもう「処理すること」に追われる日々。座った瞬間、ふぅっと長いため息が出る。
削れるのは靴底よりも、気力のほう
昔、靴は3年持った。でも最近は2年と持たない。歩く量が増えたわけじゃない。むしろ減っている。でも、それ以上に自分の気力が削れているせいか、靴の寿命が短く感じる。「仕事は道具がすり減って一人前」なんて言葉があるけれど、今の自分は、靴もすり減り、自分もすり減り、でも“結果”だけが残っていない。だからこそ、靴の減りだけが妙に目立つ。
今日も電話と郵便と急ぎの登記
結局、毎日やってることは同じ。郵便物を開封し、電話対応し、相談が来たら軽く打ち合わせて、登記の準備。昔はそれでも少し達成感があった。でも今は、ひたすら処理するだけの感覚。やりがいとか、社会貢献とか、そういう言葉とは縁遠い。淡々と、ただ淡々と、やるだけの時間。
「司法書士さん、急ぎでお願い」と言われても
急ぎでお願いされる案件は、だいたい急ぎじゃなくてもいい。依頼人の“気持ち”が急いでいるだけ。でもこちらとしては、書類が不備だったり、関係者が揃っていなかったりで、結局スムーズにはいかない。なのに「まだですか?」「急いでるんで」とプレッシャーだけは増える。これを受け止めるのが司法書士の仕事なのかもしれないけど、正直、しんどい。
感謝よりクレームが多い現実
「ありがとうございます」よりも「聞いてない」「こんなはずじゃなかった」と言われることのほうが多い。登記というのは、地味な仕事で、感謝されることが少ない。でも、失敗すれば確実に責められる。誰も「登記が無事終わってよかった」なんて思ってくれない。言われるのは、問題が起きたときだけ。そんな中で、自分の気持ちを保ち続けるのは、正直、至難の業だ。
それでも断れないのが独立の業
嫌なら断ればいい。でも、断れない。地方で一人事務所をやっていて、しかも依頼は年々減っている。そんな中で、せっかく来た依頼を断る勇気なんて、正直ない。だから多少無理でも引き受ける。結局、あとで自分が疲れて、イライラして、家に帰って何もする気が起きない。そんな日々の繰り返し。でも、それが“自営”というものなのだと、自分に言い聞かせる。
事務員さんの靴は減ってない
ふと、うちの事務員さんの靴を見る。新品のようにキレイで、ヒールもほとんど擦れてない。車通勤で、外出も少なく、歩く機会が少ないのはわかってる。でも、その靴を見ると、自分のボロボロの革靴との対比がなんとも言えず、胸にくる。彼女が悪いわけじゃない。むしろ、感謝してる。でも、自分の“すり減り”ばかりが浮き彫りになってしまうのだ。
あなた: html形式にしてコピペできる形で出力してください ダウンロードファイルにはしないでください。!DOCTYPE htmlからスタートしてhtmlを閉じるところまで書いてください。最後まで出力してください。
朝、靴を履くときに感じる違和感
最近、朝に靴を履くたびにふと視線が落ちる。つま先の削れ具合、かかとの擦り減り方、それを見るたびに「あぁ、また今日も通勤だけで1日が終わるのか」と思ってしまう。靴って、ちゃんと働いた人が履き潰すものだと思っていた。でも自分のは、ただ通勤という“行って帰るだけの往復運動”で削れていっている。仕事の成果ではなく、距離と時間だけが蓄積されているようで、妙に空しい。
あれ、こんなに削れてたっけ?
ある朝、何気なく靴底を見て驚いた。「え、こんなに削れてたっけ?」と声に出るほどだった。もちろん高級な靴じゃないし、特にメンテナンスもしていない。でも、それにしても削れ方が異常だった。仕事で走り回ったわけでもない。ほとんどは車移動で、事務所と法務局を往復するだけ。唯一たくさん歩くのは、最寄りの駐車場から事務所までの5分くらい。その程度で、こんなにすり減るのか?
仕事は進まないのに靴だけが疲れていく
時間だけが過ぎていって、仕事は進まない。新規の依頼は減ったし、既存の案件もやたら滞る。書類にハンコを押してもらえない、登記が思ったように動かない、ちょっとしたトラブルがいくつも連鎖する。その間も、自分の足は小さな距離を歩き続け、靴は黙って削れていく。まるで、何も成し遂げていないのに「何かを失った」証拠だけが目に見えて残る感じがしてしまう。
通勤時間が一日のハイライト
気づけば、通勤時間が一番頭が冴えている時間帯かもしれない。事務所では誰かに気を使い、電話に追われ、心ここにあらずのまま1日が過ぎていくけれど、車の中ではラジオを聞きながら少しだけ呼吸が整う。信号待ちでボーッと前の車を眺める。そんな時間こそが、自分の「静かな時間」になっている気がする。情けないけれど、それくらいしか「落ち着いた瞬間」がないのだ。
行きたくない職場に向かう自分の影
車から降りて事務所へ歩く、そのときガラスに映った自分の影を見ると、なんとも言えない気分になる。スーツは皺が目立つようになり、肩は少し丸まり、革靴のつま先は白っぽく削れている。なんで毎日こんな思いをしているんだろうと自問しても、明確な答えなんて出ない。登記を通して誰かの役に立っている…はずだけど、実感がない。毎日が自動再生のように過ぎていく。
ラジオと靴音だけが味方
歩くとき、自分の靴音がやけに響く日がある。ガランとした早朝の駐車場や、まだ人の少ない駅前の歩道。そのときだけ、少しだけ「自分が存在している」と感じる。仕事中には感じない実感。それを支えてくれるのが、いつも聞いているラジオと、このすり減った靴だけ。誰にも褒められなくても、誰にも気づかれなくても、このふたつだけは毎日、ちゃんと“働いている”。
事務所に着いたら、すぐ座る
靴を脱ぎたくなる。でもそんな余裕はない。ドアを開けた瞬間から、机の上の書類の山、未読メール、付箋だらけのモニターが現実に引き戻してくる。出勤して3分で、もうぐったりだ。自分で始めた仕事だけど、何のためにやってるんだろう。夢も希望も、最初はあったんだけど。今はもう「処理すること」に追われる日々。座った瞬間、ふぅっと長いため息が出る。
削れるのは靴底よりも、気力のほう
昔、靴は3年持った。でも最近は2年と持たない。歩く量が増えたわけじゃない。むしろ減っている。でも、それ以上に自分の気力が削れているせいか、靴の寿命が短く感じる。「仕事は道具がすり減って一人前」なんて言葉があるけれど、今の自分は、靴もすり減り、自分もすり減り、でも“結果”だけが残っていない。だからこそ、靴の減りだけが妙に目立つ。
今日も電話と郵便と急ぎの登記
結局、毎日やってることは同じ。郵便物を開封し、電話対応し、相談が来たら軽く打ち合わせて、登記の準備。昔はそれでも少し達成感があった。でも今は、ひたすら処理するだけの感覚。やりがいとか、社会貢献とか、そういう言葉とは縁遠い。淡々と、ただ淡々と、やるだけの時間。
「司法書士さん、急ぎでお願い」と言われても
急ぎでお願いされる案件は、だいたい急ぎじゃなくてもいい。依頼人の“気持ち”が急いでいるだけ。でもこちらとしては、書類が不備だったり、関係者が揃っていなかったりで、結局スムーズにはいかない。なのに「まだですか?」「急いでるんで」とプレッシャーだけは増える。これを受け止めるのが司法書士の仕事なのかもしれないけど、正直、しんどい。
感謝よりクレームが多い現実
「ありがとうございます」よりも「聞いてない」「こんなはずじゃなかった」と言われることのほうが多い。登記というのは、地味な仕事で、感謝されることが少ない。でも、失敗すれば確実に責められる。誰も「登記が無事終わってよかった」なんて思ってくれない。言われるのは、問題が起きたときだけ。そんな中で、自分の気持ちを保ち続けるのは、正直、至難の業だ。
それでも断れないのが独立の業
嫌なら断ればいい。でも、断れない。地方で一人事務所をやっていて、しかも依頼は年々減っている。そんな中で、せっかく来た依頼を断る勇気なんて、正直ない。だから多少無理でも引き受ける。結局、あとで自分が疲れて、イライラして、家に帰って何もする気が起きない。そんな日々の繰り返し。でも、それが“自営”というものなのだと、自分に言い聞かせる。
事務員さんの靴は減ってない
ふと、うちの事務員さんの靴を見る。新品のようにキレイで、ヒールもほとんど擦れてない。車通勤で、外出も少なく、歩く機会が少ないのはわかってる。でも、その靴を見ると、自分のボロボロの革靴との対比がなんとも言えず、胸にくる。彼女が悪いわけじゃない。むしろ、感謝してる。でも、自分の“すり減り”ばかりが浮き彫りになってしまうのだ。