なんでこうも書類が散らかるのか、自分でもわからない
日々、依頼者とのやり取り、登記の調査、期日管理…それだけでもいっぱいいっぱいなのに、ふと気がつくと、机の上には紙の山。分類した「つもり」の書類が、いつの間にか崩壊していて、どれがどの案件のものか、自分でもわからなくなる。いや、本当に情けない話なんだけど、45歳の司法書士が自分の事務所のデスクで書類に溺れてる。これ、地味だけど、けっこう絶望するんです。
気づけば机の上がカオス、分類の「つもり」は通用しない
一応ね、「これは○○市の不動産登記」「これは相続関係の委任状」って、自分なりに束ねてたんですよ。でも、それが次の日には行方不明になる。優先順位の高い書類だけを上に置いた「つもり」が、全部優先度高くなって、結局何も見えなくなる。最終的に、机の上の半分が「保留」、残りが「あとで見る」、一番上が「急ぎ」…って、もう全部急ぎってことでしょって話です。
思考の順序で並べるクセが災いしていた
どうも私は、書類を「仕事の流れ」に沿って置きがちで、「実際の種類」では分類していないんですよね。たとえば、同じ案件の戸籍謄本と印鑑証明書が別々の束にある。これが後から自分の首を締める原因になっていた。効率的にやってるつもりで、効率を殺していたわけです。まさに、自滅のパターン。
「後でやる」が積み重なった結果、山脈ができる
「これは一旦ここに置いておこう」「後でまとめて綴ろう」。そう思った書類が、ひとつ、またひとつと積み上がっていく。1週間もすると、あっという間にヒマラヤ級の紙の山に育ってしまう。その中から必要な1枚を探すのは、砂漠でコンタクトレンズを探すようなもの。結局、探す時間で1時間以上費やすなんて、ザラにあります。
事務員さんが「ちょっといいですか」と言った瞬間の恐怖
そんなある日、事務員さんがちょっと眉をひそめながら「先生、ちょっと…」と声をかけてきた。なんだかすごく丁寧だけど、逆に怖い。あれ?怒られる?もしかして「事務所、やめさせてください」って言われるのか?と一瞬でいろんな可能性がよぎった。でもその次の一言が、すべてを変えたんです。
まさか怒られる? いや、呆れられる?
「このままだと、どの案件がどこまで進んでるか、私もちょっと把握しづらくて…」と彼女。ああ、やっぱり呆れられてる。でも怒ってない。怒ってもおかしくないのに、冷静に状況を伝えてくれるなんて、天使かよ。私はというと、ただただ平謝り。頭を下げつつも、内心「もうちょっとだけチャンスを…」と願っていた。
でも次の瞬間、彼女の手が動いた
すると彼女は、私の混沌とした机の上にそっと手を伸ばし、すっといくつかの書類をまとめて広げ、「これ、案件ごとに分類しておきましょうか」と提案してくれた。その手つきが、まぁ鮮やか。彼女の中ではすでに整理のルールができているらしく、私がごちゃ混ぜにしていた資料が、どんどん意味を持って並べ替えられていくのです。
「この順番だと見やすいですよ」—プロの所作に唖然
「まず案件ごとに、申請書・添付書類・委任状の順にして、クリップで止めて、ファイルごとにインデックスつけておきますね」と彼女。私はもう、完全に黙るしかありませんでした。事務員というより、書類整理の専門職。そもそも、これが本来の“事務”の仕事なのかと、初心に帰るような感覚でした。
仕事の能力と事務処理能力は別物だと痛感
私は「自分は司法書士として、ちゃんと仕事をしている」と思っていたけど、それは大間違いだった。中身だけでなく、形にして相手に渡すことも含めて仕事。事務処理がぐちゃぐちゃな時点で、プロ失格に近い。きっちりまとめてもらって初めて、依頼者にも安心感が伝わるという当たり前のことを、今さら理解しました。
登記の中身はわかってても、外堀でつまずく現実
「自分は中身を知ってるから大丈夫」という自信が、むしろ足かせになる。登記内容が正確でも、提出書類がバラバラだと法務局で突き返される。いや、もう何度やらかしたことか…。それでも、自分のミスだと気づいてなかったんですよね。なんとなく「相手が細かい」くらいに思っていた自分を、今はぶん殴りたい。
資格の勉強では教えてくれなかった「整える力」
司法書士試験では、六法と実務知識はみっちり叩き込まれるけど、「ファイル整理のコツ」なんて教科書は存在しない。でも、現場ではそっちの方が遥かに大事だったりする。スムーズに業務を進めるために、書類の順番、綴じ方、色分け…全部、地味だけど超重要。事務員さんは、その“試験に出ない技術”のプロだったんです。
周囲が見えていなかったのは自分だけだったのか
多分、彼女はずっと前から「このままじゃまずい」と思っていた。でも、我慢して見守ってくれていた。今回の件で、ようやく私も気づいた。事務所の運営って、自分一人でやってるつもりでも、実はそうじゃない。周囲の目や手に支えられて、なんとか回ってる。そのことに気づけただけでも、崩壊しかけた山の価値はあったかもしれません。