気づけば、今日も同じ席で一人ランチ ― 忙しさと孤独が交差する司法書士の日常

気づけば、今日も同じ席で一人ランチ ― 忙しさと孤独が交差する司法書士の日常

一人で食べる昼休み、それが当たり前になった

司法書士として独立してから10年以上、気がつけば昼休みはいつも一人。最初は「時間が合わないだけ」と自分に言い聞かせていたが、今ではそれが日常だ。事務所で弁当を広げる姿、スマホを見ながら静かに箸を進める。誰に見られるわけでもないけれど、どこか「見られていないこと」に対する寂しさも感じる。働くことに追われて、いつの間にか誰かと一緒にランチをする余裕も、気遣いも、そして欲求すら薄れていった。

弁当を持っていくと決めたのは「誘われない」から

以前は、近くの喫茶店や定食屋で食べることも多かった。でも、一人で食べると「おひとりさまですね」と確認されるのが地味に傷つく。たまに顔を合わせる他士業の知人とも、ランチの誘いは続かず自然消滅。次第に自ら壁を作るようになり、ついには弁当派へ。今では「健康管理のため」ともっともらしい理由をつけているけれど、実際はただ、断られるのが嫌だっただけだ。

同業者とのランチは気を遣いすぎる

士業同士の付き合いも、時に面倒だ。ランチでも気が抜けない。あれこれと実務の情報交換が始まると、頭の中はすっかり業務モード。結局、仕事の延長線のような時間になる。「これって休憩だっけ?」と感じる瞬間も多い。黙って食べるのが楽だと思うようになり、それが一人ランチの習慣化を後押しした。

「あ、また今日も一人か」の慣れと諦め

最初は寂しかった。でも慣れてしまえば、それはそれで心地よく感じる瞬間もある。気兼ねなく自分のペースで食べられるし、時間の調整も自由が利く。ただ、一日誰とも口をきかずに過ぎると、ふと「あれ、俺、今日一言も会話してないな」と気づくことがある。それがなんとも言えず、心にじわっと染みる。

事務員さんは休憩時間がずれている

唯一のスタッフである事務員さんとは、休憩時間を意図的にずらしている。これはお互いの気遣いでもあるし、集中力を保つためでもある。でも、そのせいで昼休みに「会話」らしい会話が消えた。結果として、事務所全体が静寂に包まれる。弁当をレンジで温める音だけがやけに大きく響く午後だ。

気軽に話せる相手がいないオフィスの静けさ

大人数の職場なら、「今日のお昼どうする?」なんて気軽な会話もあるのだろう。でも、こちらは二人きり。しかも上下関係もある。気軽に話せる相手、というのが実は一番難しい存在だと痛感する。適度な距離感と業務効率を保つための配慮が、かえって孤立を生んでいるのかもしれない。

会話のない昼は、頭の中の独り言が増える

気づけば頭の中でずっと何かをつぶやいている。「あの案件、いつまでに仕上げようか」「この弁当、冷めた方がうまいな」そんなどうでもいいことばかり。でもそれが、会話の代わりになっているような気もする。外に出て声を出すことすら、面倒になってきた自分が少し怖い。

一人ランチに慣れたけど、本音では寂しい

一人ランチの生活に慣れてしまったけれど、それを「好き」だと思ったことはない。ただ、「楽」ではある。でもその「楽」は、感情を麻痺させる方向に進んでいく。ランチタイムという本来リラックスできる時間が、少しずつただの“空白の時間”になっていくのを感じる。

スマホを見ながらの時間つぶしが日常

食事中の相棒はもっぱらスマホ。SNSを見たり、ニュースを眺めたり、気づけば食べ終わっている。でも、心が満たされることはない。何かに夢中になっているふりをして、時間の流れをごまかしているだけ。スマホの画面は明るいのに、心はどこか薄暗い。そんなランチが、今日も終わる。

近所の定食屋の店員にだけは覚えられた

たまに行く定食屋の店員さんだけが、「いつものですね」と声をかけてくれる。それが唯一の人との接点だったりするから、ついその店ばかり通ってしまう。けれど、常連扱いされることで「また一人で来てるんですね」と思われてる気がして、それが居心地の悪さにもつながる。自分でも矛盾してるとは思う。

「いつものですね」と言われることの安心と虚しさ

「いつもの」と言われる安心感。でもその裏には、「また一人で来てるんですね」というメッセージを勝手に感じてしまう。たぶん、誰もそんなふうに思っていない。でも、自分がそう思ってしまう。人の目を気にしすぎる性格が、静かなランチ時間を少し苦くさせている。

そもそも人と一緒に食べると疲れる性格

根本的に、人と一緒にいると気を遣ってしまう性格だ。話の間、相手の食べる速度、空気の読み合い…。気楽なはずの食事が、神経戦になってしまう。だから一人で食べることが悪いわけではない。だけど「選んで一人になった」と「仕方なく一人になった」には、大きな違いがある。

誰かと食べると、つい仕事の話になるのが嫌

士業同士でのランチだと、話題はすぐに業務や報酬の話になる。情報交換は大切だけど、そればかりでは休まらない。食事というより、会議に近い。だからつい、「一人でいいや」と思ってしまう。けれどそう思うたびに、少しだけ自分が小さくなっていくような気もしている。

「休憩」は本当に休憩になっていない

本来は「ほっと一息」のはずの時間が、ただ黙々と咀嚼してスマホをいじる時間になってしまった。心も体もリフレッシュされることはない。どこか惰性で過ごしてしまっている。だからこそ、自分にとって本当の「休憩」とは何か、もう一度見直す必要があるのかもしれない。

一人ランチから見えた、自分の仕事との向き合い方

一人で食べる昼食の時間。それは寂しさもあるけれど、同時に自分と向き合う時間でもある。誰にも邪魔されない時間に、自分が何を考え、何を感じているのか。司法書士という仕事とどう向き合っているのか。それを問い直すきっかけになる。

誰にも気を遣わず、自分のペースで過ごせる時間

確かに一人でいる時間は、誰にも邪魔されない貴重なものだ。誰かと一緒にいると気を張ってしまう僕にとっては、それは休息であり、自分の「素」を取り戻す時間でもある。だからこそ、その時間をどう使うかが大事なのだと思う。スマホではなく、自分の心と対話できたら少し違うかもしれない。

でも、それだけで良いのか?とふと立ち止まる午後

自分の時間を大切にするのは悪いことではない。でも、それだけで良いのか?という疑問もある。誰とも交わらないまま、年だけ重ねていく現実。それが今の自分だ。気楽さの裏にある「孤立」。その影に気づきながらも、つい目をそらしてしまう。きっとそれが一番の問題なのだ。

「孤独」と「自立」は紙一重なのかもしれない

一人で何でもこなせるのは、頼もしさの証なのかもしれない。でも、それが「孤独」からくる強がりなのか、「自立」なのか。その境目はとても曖昧だ。一人ランチは、そんな自分の姿を映し出す鏡のようでもある。今日も同じ席に座って、静かに箸を動かす中で、また自問自答が始まる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。