血の跡が語る真実
朝から頭が重かった。寝不足か、それとも気圧のせいか。机に向かって申請書類を整理していると、電話が鳴った。ああ、またかと受話器を取ると、声の向こうから妙に湿った空気が流れ込んできた。
「至急見ていただきたい書類があるんです。前の司法書士さんが亡くなって…」
そんな物騒な話から、一日が始まった。
朝のルーティンと一本の電話
事務所にはコーヒーの香りと、サトウさんの無表情な「おはようございます」が漂う。僕はその声だけで、今日も生きていることを実感する。朝の書類チェックが終わる前に、例の電話が鳴った。
依頼人は若い男性で、前任の司法書士が急死し、残された申請書類に不審な点があるという。言葉の端々に、怯えのようなものを感じた。
どこかで聞いたことのある声だが、思い出せないまま予定を空ける羽目になった。
見慣れた書類に違和感が走る
届いた封筒には、土地の名義変更に関する申請書が一式入っていた。形式は整っている。捺印も揃っている。しかし、何かが違う。まるで「完璧すぎる」ことが、不自然に思えてならなかった。
僕は一枚一枚を光にかざし、指先でなぞるようにめくった。ある一枚の右下に、赤黒い染みがあった。
インクではない。ボールペンでもない。まさかと思い、サトウさんに声をかけた。
赤い染みと無言の依頼人
「この染み、見てくれ」
僕が差し出すと、サトウさんはルーペで確認し、ため息交じりに呟いた。
「血ですね。たぶん乾いて数日は経ってます」
電話の主に再度連絡を取ろうとしたが、繋がらない。まるで最初から存在しなかったかのように。
サトウさんの冷静な分析
「そもそも、この土地って相続登記じゃないですか?」
サトウさんが指差したのは、所有権移転の理由欄。「贈与」と書かれているが、状況的にどう考えても不自然だった。
彼女の指摘で、僕の頭の中に点がつながっていくのがわかった。
過去の申請書に隠された矛盾
古い登記簿謄本を取り寄せると、そこには今と異なる所有者名が記載されていた。変更理由が「贈与」となっていたが、被相続人の死亡日はそれより後だった。
つまり、生きていることになっている人から、生前に土地を譲り受けたという理屈。だが現実にはその人は、当時すでに亡くなっていた。
「贈与」など成立しているはずがない。誰かが嘘をついている。
消えた前任司法書士の謎
故人となった前任の司法書士。死因は転倒による頭部外傷とされていたが、妙に歯切れの悪い報道だった。
調べを進めると、彼がこの件の登記申請直後に亡くなっていたことがわかった。関係性がなさすぎるとも思えるが、偶然にしては出来すぎている。
しかも、あの赤黒い血痕が、まさに申請書のそのページにあったのだ。
血痕の位置が物語ること
血痕は署名欄のすぐ下。もし記入中に負傷したなら、そこに飛ぶ可能性は高い。
「でも、司法書士って普通そんなケガします?」サトウさんの疑問はもっともだった。
それは偶発的なものではなく、意図的な接触。つまり、彼は“何か”を伝えようとしていたのではないか。
この書類誰が触ったんですか
再度依頼人に電話をかけたが、不通。電話番号そのものが現在使われていなかった。
僕はうっかり、最初の電話で「依頼人の名前」を確認していなかったことを思い出す。
やれやれ、、、昔から抜けていると言われるが、こんな大事な場面でとは。
登記情報に残された手がかり
管轄法務局のデータベースには、申請番号と時刻が記録されている。そこからIPアドレスのような情報が漏れるわけではないが、提出された書類のスキャンデータには、消しきれなかったメタデータが残っていた。
「最終保存者:satou_03」
なんでサトウさん!? 一瞬焦ったが、これは彼女がスキャンしたことを意味していた。つまり、この原本は事務所にあったのだ。
シンドウの野球部的ひらめき
野球部時代、監督によく言われた。「迷ったら、視線をボールに戻せ」
今回で言えば、「迷ったら、書類に戻せ」だ。すべての証拠は紙の上にある。
再度見返した瞬間、小さな鉛筆書きの数字が裏面に見えた。6桁の番号。それは、、、
地方紙に載ったある死亡記事
その6桁は、地元の新聞の死亡記事番号と一致していた。記事には、司法書士事務所で倒れていた男性が発見されたとあった。身元不明とされていたが、これは明らかに前任司法書士だ。
死亡記事の裏側には広告主が記録されている。なんとそれが、登記対象の土地の現所有者だった。
依頼人など、最初からいなかったのかもしれない。
サトウさんのひと言で真相が動く
「これ、司法書士が真相に気づいたから消されたんじゃないですか?」
サトウさんの声は静かだったが、鋭く核心を突いていた。
僕は頷きながら、警察に連絡を取る準備を始めた。
最後のページに刻まれた真実
最終ページの余白に、前任司法書士の筆跡と思われるメモがあった。
「贈与は嘘。殺されるかも。〇〇(名前)が怪しい」
その名前は、登記名義人そのものだった。
依頼人の正体とその動機
その後の警察の捜査で、登記名義人が贈与登記のために前任司法書士を脅し、真実を知った彼を事故に見せかけて殺害した疑いが濃厚になった。
申請書に残された血痕は、彼の最後の抵抗だったのだろう。
「やれやれ、、、命がけで登記するなんて、割に合わないな」
書類と血痕が導いた結末
事件は無事に解決した。だが、誰かの死を前提に動く制度の冷たさが、胸に引っかかった。
サトウさんは机の上の書類を整えながら、ぽつりと言った。
「申請書って、結構しゃべるんですね」