人の話を聞くって、こんなに疲れるの?共感しすぎてヘトヘトになるあなたへ
人の話を聞く。それは想像以上の「肉体労働」
話を聞くって、そんなに大変なこと?とよく言われます。でも、司法書士をやっていると「ただ聞くだけ」の重さに何度も打ちのめされます。相手の言葉の奥にある感情や背景を読み取りながら、自分の感情はできる限り抑える。その繰り返しに、終業後はどっと疲れが押し寄せるのです。まるでフルマラソンを終えたかのようなぐったり感。座っていただけなのに、全身がだるい。これはもう、体力勝負としか言いようがありません。
「ただ座って話を聞いてるだけでしょ?」という誤解
「どうせ机に座って聞いてるだけでしょ」と軽く見られることも多いですが、実際には違います。相手の話をうなずきながら聞き、タイミングを見て言葉を返す。これは神経を研ぎ澄ます作業です。特に相談者が感情的になっていたり、話があちこち飛んだりする場合、それを整理して意味を把握しながら聞き続けるのは本当に骨が折れます。
共感力のある人ほど消耗するという現実
私はもともと「聞き上手だね」と言われるタイプで、相談者も安心して話してくれるのですが、それが逆に自分を苦しめる原因になることもあります。相手の気持ちに寄り添いすぎると、自分の中にもその感情が入り込んできてしまう。心が重たくなる。まるで自分がその人の人生を生きているような感覚になり、終わったあとにどっと疲れてしまうんです。
聞き役が疲れる本当の理由は「我慢」かもしれない
本音を言えば、「それってあなたが悪いんじゃ…?」と思うこともあります。でも言えません。専門家として中立を保ち、相手を否定しないように気をつける。こうした「我慢」が積み重なっていくと、まるで自分の感情をすべてロッカーに預けて仕事をしているような感じになります。感情の圧縮は、いつか爆発するのが怖いんです。
司法書士の仕事の9割は「人の話を聞くこと」なのかもしれない
書類を作ったり、登記をしたり、そういう「作業」は実は全体のごく一部。ほとんどの時間は「相談対応」に費やされます。そして、相談の中身は法律に関係する話だけではないのが現実です。相続の相談に来たはずが、家族の不和、子どもの悩み、仕事のストレスまで話題は広がっていきます。心の中に溜まったものを吐き出す場所がない人が多いんだと、日々痛感します。
登記よりも相談。書類よりも愚痴
「登記の相談です」と電話予約してきた方が、実際に来てみると「兄弟と絶縁してるんです」「親の介護が限界で…」といった人生相談になってしまうことも多々あります。私はカウンセラーではありません。でも、誰も聞いてくれないことを話せる場として、司法書士が選ばれているのだと思うと無下にはできません。
感情のゴミ箱になっていないか、ふと怖くなるとき
「あの人も、この人も、どんどん私のところに吐き出していく…」そんな日が続くと、ふと不安になります。「私は誰の話を聞いてもらえるんだろう?」と。感情のゴミ箱になっているような感覚になり、空っぽになっていく自分が怖くなる瞬間があります。
「こんな話、どこにも出せなくて…」の重み
ある日、80代の女性がこう言いました。「誰にも話せなくて…あんたが聞いてくれて本当によかった」。その一言に重さを感じながら、同時にプレッシャーも感じました。「この話、私はどう処理すればいいの?」と心の中でつぶやきながらも、ただうなずくしかない。そんなことばかりです。
聞いたからには背負ってしまう職業病
「聞いたからには、何かしてあげなきゃ」と思ってしまう性分なので、余計に疲れます。割り切ればいいと言われても、簡単にはいきません。相手の言葉を受け止め、心にしまいこむ。背負いすぎて、時々自分が誰だったのか分からなくなることもあります。
一人事務所の辛さ、「誰かに聞いてほしい」が言えない
小さな事務所を一人でやっていると、吐き出す先がありません。事務員さんが一人いるとはいえ、何でも話せるわけじゃない。どこか気を遣ってしまう。だからこそ、こちらが抱え込む情報も感情も、どんどん溜まっていきます。
聞く専門だけど、聞いてくれる人はいない
「人の話は聞くけど、自分の話はできない」。これは司法書士に限らず、士業に共通する悩みかもしれません。仕事柄、弱音を吐くこと自体に抵抗があるし、「この程度で疲れてるなんて思われたくない」と思ってしまいます。だからこそ、自分の限界にも気づきにくいのです。
事務員さんにグチをこぼすのも気を遣う
事務員さんは頼れる存在ですが、雇用している立場上、愚痴をこぼすにも限度があります。相手に気を遣わせてしまったり、「この事務所大丈夫かな」と思わせてしまったりしたくない。でも、人間だから弱音も吐きたい。そんな葛藤の中で、ひとり抱え込んでいくのです。
専門職ならではの孤独が、さらに疲労を増幅させる
この仕事は、表向きは「信頼される立場」に見えても、裏では孤独と隣り合わせです。相談を受けたあと、誰にも相談できずにモヤモヤを抱えたまま帰宅する。家族にすら話せない内容もある。そうしてまた翌日、同じように話を聞く。疲れは蓄積されていきます。
「人の話を聞く力」には限界があると認めてもいい
「聞く力が足りない」「もっと共感しなければ」など、自分を責める必要はないと、最近やっと思えるようになりました。人の話を聞くにも限界があります。そして、その限界を自分で知ることが大事です。自分の中のバランスが崩れる前に、線を引く勇気が必要なんだと思います。
共感しすぎると自分が壊れる
「わかりますよ」と言った瞬間、相手の感情がどっと流れ込んできます。何度もそれに耐えてきました。でも、ある日ふと気づいたんです。「このままじゃ、自分が壊れるな」と。共感は大事だけど、自分をすり減らしてまで続けるものじゃない。そう思うようになりました。
「聞かない勇気」は本当に悪なのか?
すべての話を真剣に聞く必要はない、と思えるようになるまでに時間がかかりました。「それはお力になれません」と言うことも、相手のためになると信じられるようになったからです。距離を置くことも優しさ。そう思えるようになって、少し気持ちが楽になりました。
少しでも楽になるためにできること
聞くことがつらいなら、何かを変える必要があります。完全にやめるわけじゃなくても、少しずつ工夫することで、心の負担を減らせるかもしれません。
聞く量を減らすか、聞き方を変えるか
予約枠を減らす、初回相談の時間を短縮する、話の途中で方向修正をするなど、物理的に「話を聞く量」を調整することも有効です。また、相手の話に感情移入しすぎないよう意識的に聞き方を変えることも大切です。
一線を引く勇気と、その実践方法
線を引くのは冷たいことではありません。自分を守るためには必要なことです。私が実践しているのは「何でも受け止める」姿勢ではなく、「必要な部分だけ拾う」聞き方。そのほうが、結果的に相手の話も整理しやすくなり、助けになると実感しています。
「それは専門外です」と言える勇気
つい何でも聞いてしまいがちですが、家庭の事情や精神的な問題は専門外です。「その点については他の専門家が適任です」とやんわり伝えること。それが自分を守る第一歩になります。
感情に引きずられない技術を身につける
話を聞くときに「自分の中に入れない」技術、意識のスイッチを切るコツを少しずつ覚えていくと、驚くほど疲れ方が変わります。心の距離感を保ちながら、それでも相手に敬意をもって接する。それがプロとしての聞き方なのだと思います。