資格があれば仕事がくる、なんて幻想だった
司法書士という国家資格を持っていれば、黙っていても仕事が舞い込んでくる――そんな希望を抱いていた頃が自分にもありました。開業当初は周囲から「すごいね」「立派だね」と言われることが多く、名刺を配れば何かが始まる気がしていた。でも現実は、名刺を受け取ってくれた人のほとんどが二度と連絡をくれなかった。資格はあっても、実務はゼロ。プライドだけが膨らみ、日に日に萎んでいく気持ちに気づかないふりをしていました。
開業すればなんとかなると思ってた
開業届を出した日、事務所に飾った名前入りの表札を見ながら「これで自分も独立だ」と胸を張りました。ところが、待てど暮らせど電話は鳴らず、郵便受けに届くのはDMばかり。何が悪いのかも分からず、ただパソコンの前で時間が過ぎるのを待つ日々。「自営業は厳しい」とは聞いていたけれど、こんなにも孤独で、こんなにも報われないなんて思いもしませんでした。
「司法書士=安定職」の罠
世間のイメージでは「士業=安定」と思われがちです。親戚からは「司法書士なんて食いっぱぐれないでしょ」と笑われますが、そんな幻想を抱かれていることが何より苦しかったりします。資格があっても仕事がなければ収入はゼロ。安定なんてどこにもなく、むしろ不安定そのもの。世間とのギャップが、じわじわと心をすり減らしていきます。
思ったより地元は冷たかった
「地元で独立すれば地縁があるし、多少は仕事になるだろう」と思っていました。ところが蓋を開けてみると、地元ほど“知ってるけど頼まない”という空気が強かった。昔からの付き合いがある他の司法書士に頼むからと断られることも多く、よそ者扱いされているような気さえしました。近すぎる関係が逆に頼みづらさを生むという、想定外の壁にぶつかりました。
結局、仕事は“人”が持ってくる
どんなに専門知識を詰め込んでも、仕事に直結するのは“信頼されるかどうか”なんだと痛感しました。書類の正確さやスピード以前に、「この人に頼みたい」と思ってもらえないと始まらない。技術職でありながら、実は人間関係がすべて。それを理解するまで、随分と遠回りしました。資格を取った時の喜びが、今では少しだけむなしく感じます。
頼られないのは信用されてないから?
ある日、たまたま話した同業の先輩が「信頼って、結局“日常の関わり”から生まれるんだよ」と言いました。その言葉が今でも頭に残っています。確かに、自分は地域の人との関わりを避けてきた気がします。面倒な人付き合いが苦手で、挨拶すらおざなりになっていたのかもしれない。技術より先に、関係性を築く努力をしなかったツケが回ってきたのかもしれません。
SNSもうまく使えない自分
今どきの司法書士はSNSでの発信が当たり前。X(旧Twitter)やInstagramで業務内容を発信して顧客を獲得する人も多い。でも、文章を短くまとめるのが苦手だったり、自分の顔を出す勇気がなかったりして、投稿は三日坊主。バズるどころか誰にも見られていない投稿を前に、スマホをそっと置いた日もありました。時代の波に乗りきれない自分が、ますます取り残されていく気がします。
契約されない日々が心をすり減らす
「今日も依頼がない」という現実が、毎朝じわじわと心にのしかかってきます。誰にも頼まれていない自分は、本当に存在しているのか――そんな思考に囚われてしまう日もあります。何かを間違えたのか、それとも何かが足りないのか。独立してから、自分自身と向き合う時間が増えた分だけ、余計なことも考えてしまうようになりました。
電話が鳴らないだけで不安になる
事務所の電話が鳴ると、無意識に期待してしまう自分がいます。でもその大半が営業の電話。留守電に切り替わった後の沈黙が、なんとも言えず空しい。昔、勤めていた頃は電話応対にうんざりしていたのに、今ではその“うんざり”が恋しいほどです。人から頼られている実感が欲しいだけなのに、それがこんなにも難しいとは思いませんでした。
暇だと“自分の存在価値”が消えるようで
何もしないまま夕方を迎えると、「今日は何の役にも立てなかったな」と感じます。仕事で疲れているときのほうが、実は精神的には安定していた気さえします。やることがないというのは、身体よりも心を削るんです。資格を取ったことがゴールではなく、その後も“頼られる存在”でい続ける努力をしなければ、ただの肩書きになってしまう。そんな危機感があります。
事務員の給料だけが確実に出ていく
うちには事務員が一人います。真面目で気配りもできて、とてもありがたい存在です。でも、彼女の給料を払うたびに、ふと「自分の報酬より先に人の生活を支えてるんだな」と思うことがあります。責任ってこういうことなんだと、日々実感します。経営者として当然のことなのに、ふとした瞬間に重くのしかかる現実に、目を背けたくなることもあります。
「私の給料は大丈夫ですか?」の一言に泣きそうになる
ある月、こちらの顔色を察したのか事務員から「私の給料、今月も大丈夫ですか?」と聞かれました。そのとき、情けなさと申し訳なさと、何とも言えない感情が込み上げてきて、トイレでこっそり泣きました。たった一人の雇用を守るだけでもこんなに苦しいのかと痛感した瞬間でした。
「司法書士のくせに」と言われる前に
人から「司法書士のくせに何してんの?」なんて言われたことはありません。でも、自分の中にいる“もう一人の自分”がそう言ってきます。資格に見合った働きをしていないこと、期待に応えられていないこと。自分自身の声が一番厳しくて、逃げ場がなくなります。でもそんな声を聞くことが、きっと必要な時間なんだと思いたいのです。
肩書きにあぐらをかいていたかもしれない
司法書士という名前だけで信頼されると思っていたのは、単なる思い上がりだったと今なら思います。経験も人脈もないまま、ただ看板を掲げた自分を振り返ると、恥ずかしさと同時に、あの頃の自分を励ましたくもなります。必要なのは、肩書きじゃなくて、信頼を積み上げていく姿勢なんだと今さらながら気づきました。
自分を見つめ直す時間だと思うようにした
契約がこない日々は、苦しいけれど無駄ではない。そんなふうに思えるようになったのは、ごく最近のことです。時間があるからこそ、地域に出向いて人と話すこともできるし、過去の自分の対応を振り返って改善点を探す余裕もあります。焦ってばかりだった自分に、今は「一歩ずつやろう」と言い聞かせています。
それでもこの仕事を選んだ理由
どれだけ契約がなくても、やっぱりこの仕事が好きです。依頼者から「ありがとう」と言ってもらえたときのあの気持ちは、何度味わっても色あせません。たった一件の契約が、何日分もの無力感を吹き飛ばしてくれるから。こんなにも自分が単純で、人に感謝されたいだけだったんだなと実感することもあります。
誰かの“安心”を支える仕事だから
司法書士の仕事は派手ではないけれど、人の人生の節目に関わる重要な仕事です。不動産登記、相続、会社設立…。そのひとつひとつに「安心」を届ける役割がある。契約がこない日は自分の存在意義を疑ってしまうけれど、その価値は確かにあると信じています。今は、その価値をわかってくれる人と出会えることを願いながら、今日も机に向かっています。
同じように悩む誰かに届いてほしい
この文章が、同じようにくすぶっている司法書士の方や、これからこの業界を目指す方の背中を少しでも押せたらうれしいです。「わかるよ、その気持ち」と誰かに言ってもらえるだけで、ほんの少し救われる。そんな共感の循環を、自分から始められたらいいなと思っています。契約がなくても、誰かに届けば、今日は悪くない日です。