自分の予定より誰かの予定が優先される現実
司法書士という職業は、日々の依頼に追われながらも自分のペースで仕事をするのが理想です。ところが実際には、そううまくはいきません。特に「ちょっとだけ見てもらえますか?」という、あの魔法のような言葉。誰かの「ちょっと」は、自分にとって「ずっしり重たいひと仕事」であることがほとんどです。今日も予定していた書類作成を後回しにして、急ぎの相談に対応してしまいました。結果、残業決定。誰かの予定が、自分の時間をあっさり塗り替えてしまう。そんな毎日が続いています。
「少しだけ見てほしい」が地味に積み重なる
例えば午後3時過ぎ、電話が鳴る。「すぐ終わると思うんですけど、登記の件で少しだけ相談を…」。この“すぐ終わる”が曲者で、結局1時間以上かかったりするんです。相手に悪気がないのもわかる。だからこそ断りづらくて受けてしまう。そうすると、本来やるべきだった仕事は後ろ倒しに。どんどん詰まっていって、気づけば夕方。そこから本来のタスクをこなすのだから、そりゃあ残業にもなりますよね。毎回同じパターン。でも「少しだけ」を積み重ねた結果が今の疲労です。
昼休みに来る電話一本が流れを変える
唯一の休憩時間である昼休み。事務員さんは弁当を広げて、私はコーヒーを淹れて一息つこうとしたそのときに、電話が鳴る。たった一本の電話。取らなければよかったと後悔するのはいつもその後です。相続の相談で、事情は深刻。だから無碍にはできず、結局30分以上対応してしまう。その30分が、その後のリズムを完全に狂わせてしまうんです。コーヒーは冷め、昼食は流れ、頭の中だけがずっと対応モード。こんなふうに、たった一本の電話に仕事の流れをかき回されることが、私たちには日常茶飯事です。
断れない性格が今日も裏目に出る
私は元野球部で、どちらかというと体育会系の「頼まれたら断れない」性格です。人に頼られると嬉しくなってしまう癖が抜けず、結果として自分を追い込んでしまう。断ることが苦手というのは、司法書士として致命的かもしれません。無理を重ねると結局、精度が落ちたり、後回しにした作業が雑になったりする。わかってるんです。でも、頼られるたびに「仕方ないなあ」と引き受けてしまう。断らないことが誠意だと信じていたけれど、今はそれが自分の首を絞めているように思えてなりません。
悪気がない分、余計に断りづらい
「忙しいところすみませんが…」と前置きされると、もう逃げられません。相手は気を遣っているつもりだし、本当に困っているのも伝わってくる。だからなおさら断れない。悪気のある人ならまだ対応を考える余地があるけれど、誠実で真剣な相談者ほどこちらも本気で向き合いたくなる。そうやって時間を割き続けた結果、自分の仕事が押し出されていく。この矛盾に、毎度毎度、胸の中で小さなため息が漏れます。
「助かったよ」に罪悪感すら感じる
相談が終わった後に「本当に助かりました」と言われると、不思議なことに少しだけ罪悪感が湧いてきます。「いやいや、本当は今日中にやらなきゃいけない登記があるのに…」と、内心で自分を責めてしまう。助けたはずなのに、自分を後回しにしたことにまた後悔する。こんな感情のループに陥って、仕事が終わるころには精神的にも疲れてしまう。優しさって、使いすぎると刃にもなるんですね。
優しさと自己犠牲の境界線
人のために動くことは、美徳だと思っていました。でも最近、その行動が“自己犠牲”に片足を突っ込んでいるような気がしてなりません。相手に感謝されるたび、「これでいいのかな」と自問する。自己犠牲と優しさは紙一重。司法書士として長くやってきて、やっとその違いに気づきはじめました。優しさで倒れたら、元も子もないんですよね。
終わらない残業の理由はいつも自分じゃない
気づけばまた今日も終業時間を過ぎていた。パソコンの時計は18時を回っているけれど、机の上には処理待ちの書類がまだ5件。どれも「少しだけ」の積み重ねのせいで手をつけられなかった仕事です。事務員はもう帰宅していて、事務所には私一人。なんとも言えない静寂のなかで、キーボードの音だけが響きます。自分で選んだ仕事とはいえ、この“孤独な残業”には何度やっても慣れません。
本当は18時に終わるはずだった
朝の段階では、今日は定時で終わる予定だったんです。事務員にも「今日は早く帰ろうね」なんて言ってた。でも、予定は未定。午前中に相続の相談が入って、午後には売買契約のチェックが急遽追加される。ついでに登記漏れの修正も発覚して…と、結局いつもと同じ時間に残業スタート。もう慣れたけど、やっぱりガックリきますね。
見積もりが甘いのか、見込みが優しすぎるのか
一日にできる仕事量って、実はそれほど多くありません。わかってるはずなんですが、ついつい“なんとかなるだろう”と甘く見積もってしまうんです。それに加えて、つい人の頼みに応じてしまう“優しさ”が仇になって、結果いつも予定オーバー。もっと冷たくなれたら、もっと効率的に回せるのに…と思うけれど、それができない自分がいます。甘さか優しさか、その違いを突き詰める間もなく、今日もまた書類に埋もれています。
「あと1件だけ」が今日も地雷になる
帰り支度をしているときに限って飛び込んでくる「あと1件だけなんですけど…」という相談。それが本当に1件で終わった試しがないんです。登記簿のチェックから始まって、家族構成、財産の所在、過去のトラブルまで広がっていく。結果、1時間半コース。「今日もやられたな」と思いつつも、結局また対応してしまう。これが、私の“残業あるある”です。
事務員は帰り、自分は残る
夕方6時。事務員さんは「お先に失礼します」と言って帰っていきます。いいんです、当然のことです。私は経営者ですから。でも、ふとドアが閉まったあとの静けさが、心に沁みます。誰もいない事務所で一人、書類をめくる音だけが響く時間。孤独というより、空虚に近い。こういうときほど「なんで自分だけ…」という気持ちが湧いてしまうんですよね。
ひとりきりの事務所が急に広く感じる時間
事務所って、昼間は狭く感じるくらいなのに、夜になると不思議と広く感じるんです。誰もいない空間が、冷たく静まり返る。その空気が、今日もまた“終わらなかった仕事”を静かに責めてくる気がします。「もういいよ」と言ってくれる人がいないって、こういうときにこそ応えるんですよね。元野球部の私でも、さすがに疲れます。
誰にも見られていない背中の疲れ
深夜、最後の書類に押印し、ようやく椅子から立ち上がる。誰も見ていないけれど、ため息が出る。こんなに頑張っても、誰かに褒められるわけでもない。でもやらなきゃ終わらないし、結局自分がやるしかない。そんな背中の疲れを知っているのは、自分だけです。だからこそ、こうして誰かに聞いてほしくなって、愚痴をこぼしてしまう。そんな日が、また今日もひとつ積み重なりました。
それでも辞めずに続けている理由
こんなふうに、毎日誰かの「ちょっと」に振り回されながらも、なぜか辞めようとは思わないんです。むしろ、やるべきことがあることに、どこか安心している自分もいる。たとえ報われなくても、たとえ疲れていても、この仕事の中に「誰かの助けになっている」実感があるから。結局、それが私にとっての原動力なのかもしれません。
感謝の言葉ひとつで救われる瞬間もある
どれだけ疲れていても、「助かりました」「先生に相談してよかったです」と言われるだけで、心がふっと軽くなる瞬間があります。その一言のために、また明日も頑張れる。司法書士というのは、書類の仕事に見えて、人の感情に寄り添う仕事でもある。だからこそ、大変でもやめられないんだと思います。
「頼ってくれる人がいる」は支えになる
「先生じゃないとだめなんです」と言われると、やっぱり嬉しいです。頼りにされるって、心の支えになるんですね。自分の存在が誰かの助けになっていると感じることで、多少の無理も受け入れられるようになる。身体はキツイ。でも、心が少しでも報われれば、それでなんとか持ちこたえられるんです。
自分を必要としてくれる場所のありがたさ
田舎でひとり、こぢんまりとした司法書士事務所をやっていると、孤独を感じる瞬間も多いです。でもそのぶん、地元の人たちが頼ってくれるのがすごくありがたい。大手の事務所にはない、人との距離の近さ。効率では測れないやりがいが、ここにはあります。今日もまた誰かの「ちょっとだけ」に振り回されましたが、それもまた、必要とされている証だと思えば、少しだけ心が救われるのです。