電子化の波に乗り遅れた朝 〜この仕事、誰のためにやってるんだっけ〜

電子化の波に乗り遅れた朝 〜この仕事、誰のためにやってるんだっけ〜

気づけば、周囲はみんなスキャナー片手

ある朝、いつものように出勤して、郵便物の山を前にぼんやりしていた。ふと気づくと、まわりの士業仲間たちは「スキャンしてPDFで送ったらすぐだよ」「共有フォルダに入れておくね」と、軽やかに話している。気づけば、うちの事務所だけがいまだに紙ベースのやり取りをしている。なんだか時代の流れに完全に置いていかれてる気がして、ちょっとだけ胸がざわついた。

郵送よりPDF、は当たり前?

最近は依頼者からも「郵送ではなくPDFで送ってください」と言われることが増えた。昔は「正式な書類は原本で」と言われていたのに、いまやPDFをプリントアウトすれば十分だという感覚らしい。時代は変わった。こちらとしてはプリンターの調子やら、スキャン後のファイル名や保存場所に悩まされるのが目に見えているから、できれば避けたいところ。でもそれが通用しない世の中になってきた。

取引先も顧客も「データ前提」の会話

ある日、登記の内容確認のために法務局と連絡を取っていたとき、「そのデータ、共有ファイルで確認しました」と言われてドキッとした。いや、うちからはFAXで送ってるんだけど…と思っていたら、先方は他の士業から送られてきたPDFを見ていたようだ。完全に情報のスピードに置いていかれている。もはや「紙のやり取り」前提で動いているこちらが、異質なのかもしれないと感じた瞬間だった。

「紙でください」はもはや異端

以前、取引先の若い担当者に「できれば紙でお願いします」と伝えたら、「えっ、逆なんですね?」と素で驚かれたことがあった。自分の中ではまだ紙の方が信頼できる、整理しやすいという感覚があったが、それはもう時代遅れの価値観らしい。むしろ「紙は見落としやすいし、検索できないし、保存も面倒」と言われて、言い返せなかった。たしかに、間違ってはいない。でもなんだろう、この居心地の悪さは。

事務所の片隅に鎮座するFAX機

うちの事務所には、まだ立派にFAX機が置いてある。もう何年も使っている愛用品で、紙の詰まりも見慣れたものだ。このFAXが鳴ると、どこか安心する。人の温もりというか、昭和の名残というか、そんなものが詰まっている気がする。でも、その音が響くたびに「まだこんなの使ってるの?」と思われてるんじゃないかと不安にもなる。懐かしさと不安が交差する、複雑な気持ちだ。

使い慣れた安心感と、取り残される不安

手に馴染んだ操作、迷わず押せるボタン。慣れた道具って、ほんとにありがたい。でもそれは「新しいことにチャレンジできない」言い訳になっていないか、ふと我に返ることがある。FAXを使っていることで、相手の手間が増えていたら?届いたか確認する一手間が、相手にとっては「時代錯誤な人」との印象を与えていたら?…そんなことを考えると、ちょっと胸が痛む。

毎朝の電源オンが、もはや儀式

事務員が出勤すると、まず最初にやるのがFAXの電源を入れることだ。「今日も頑張ろう」という意味でのルーティンのはずだった。でもある日、その電源ボタンを押すときに、「まだこんな機械に頼ってるのか」と呟いてしまった自分がいた。毎日の何気ない習慣が、いつしか「取り残されている証拠」のように感じるようになってしまった。

「これ、いつ壊れてもおかしくない」と言われて

先日、事務員から「このFAX機、音おかしくないですか?そろそろヤバいかも」と言われた。その瞬間、背中がゾワッとした。新しい機械に替えればいい話だけど、もう次はFAXじゃなくてスキャナーにすべきなのか?クラウドに保存するべきなのか?頭の中がぐるぐるした。変えるのが怖い。でも、変えないままでいるのも、もっと怖い。そんな狭間に自分が立たされていることを痛感した。

後半(h2以降)も続けて書きます。次を表示しますか? あなた: html形式にしてコピペできる形で出力してください ダウンロードファイルにはしないでください。!DOCTYPE htmlからスタートしてhtmlを閉じるところまで書いてください。最後まで出力してください。 電子化の波に乗り遅れた朝 〜この仕事、誰のためにやってるんだっけ〜

気づけば、周囲はみんなスキャナー片手

ある朝、いつものように出勤して、郵便物の山を前にぼんやりしていた。ふと気づくと、まわりの士業仲間たちは「スキャンしてPDFで送ったらすぐだよ」「共有フォルダに入れておくね」と、軽やかに話している。気づけば、うちの事務所だけがいまだに紙ベースのやり取りをしている。なんだか時代の流れに完全に置いていかれてる気がして、ちょっとだけ胸がざわついた。

郵送よりPDF、は当たり前?

最近は依頼者からも「郵送ではなくPDFで送ってください」と言われることが増えた。昔は「正式な書類は原本で」と言われていたのに、いまやPDFをプリントアウトすれば十分だという感覚らしい。時代は変わった。こちらとしてはプリンターの調子やら、スキャン後のファイル名や保存場所に悩まされるのが目に見えているから、できれば避けたいところ。でもそれが通用しない世の中になってきた。

取引先も顧客も「データ前提」の会話

ある日、登記の内容確認のために法務局と連絡を取っていたとき、「そのデータ、共有ファイルで確認しました」と言われてドキッとした。いや、うちからはFAXで送ってるんだけど…と思っていたら、先方は他の士業から送られてきたPDFを見ていたようだ。完全に情報のスピードに置いていかれている。もはや「紙のやり取り」前提で動いているこちらが、異質なのかもしれないと感じた瞬間だった。

「紙でください」はもはや異端

以前、取引先の若い担当者に「できれば紙でお願いします」と伝えたら、「えっ、逆なんですね?」と素で驚かれたことがあった。自分の中ではまだ紙の方が信頼できる、整理しやすいという感覚があったが、それはもう時代遅れの価値観らしい。むしろ「紙は見落としやすいし、検索できないし、保存も面倒」と言われて、言い返せなかった。たしかに、間違ってはいない。でもなんだろう、この居心地の悪さは。

事務所の片隅に鎮座するFAX機

うちの事務所には、まだ立派にFAX機が置いてある。もう何年も使っている愛用品で、紙の詰まりも見慣れたものだ。このFAXが鳴ると、どこか安心する。人の温もりというか、昭和の名残というか、そんなものが詰まっている気がする。でも、その音が響くたびに「まだこんなの使ってるの?」と思われてるんじゃないかと不安にもなる。懐かしさと不安が交差する、複雑な気持ちだ。

使い慣れた安心感と、取り残される不安

手に馴染んだ操作、迷わず押せるボタン。慣れた道具って、ほんとにありがたい。でもそれは「新しいことにチャレンジできない」言い訳になっていないか、ふと我に返ることがある。FAXを使っていることで、相手の手間が増えていたら?届いたか確認する一手間が、相手にとっては「時代錯誤な人」との印象を与えていたら?…そんなことを考えると、ちょっと胸が痛む。

毎朝の電源オンが、もはや儀式

事務員が出勤すると、まず最初にやるのがFAXの電源を入れることだ。「今日も頑張ろう」という意味でのルーティンのはずだった。でもある日、その電源ボタンを押すときに、「まだこんな機械に頼ってるのか」と呟いてしまった自分がいた。毎日の何気ない習慣が、いつしか「取り残されている証拠」のように感じるようになってしまった。

「これ、いつ壊れてもおかしくない」と言われて

先日、事務員から「このFAX機、音おかしくないですか?そろそろヤバいかも」と言われた。その瞬間、背中がゾワッとした。新しい機械に替えればいい話だけど、もう次はFAXじゃなくてスキャナーにすべきなのか?クラウドに保存するべきなのか?頭の中がぐるぐるした。変えるのが怖い。でも、変えないままでいるのも、もっと怖い。そんな狭間に自分が立たされていることを痛感した。

この先の話

この先、クラウドやAIの波が司法書士業界にまで本格的に押し寄せてくるのは間違いないだろう。電子化を無視してやっていける時代ではない。わかっている。でも、自分のやり方や考え方を一気に否定されるような感覚が、心のどこかにひっかかっている。正直、しんどい。でも、たぶんそれが「変化」なんだと思う。どこかで折り合いをつけて、自分なりのやり方で、時代と向き合っていくしかない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。