補正地獄を生き延びる日々

補正地獄を生き延びる日々

朝の机に積まれた補正通知の山を見て思うこと

司法書士として迎える朝。出勤してまず確認するのは、メールでも予定でもなく、登記情報提供サービスに届いている「補正通知」。机に積まれたその束を前に、コーヒー片手に小さくため息をつくのが日課になってしまっている。全部が全部こちらのミスではない。それでも「また補正か」と落胆する心は止めようがない。世間では「書類仕事」と軽く見られるこの職業の、見えないストレスの大部分はここにある気がしてならない。

昨日片付けたはずの案件がなぜか戻ってくる

終わったと思っていた登記案件が、1日経ってひょっこり戻ってくる。しかも添付書類の「番号が不明確」といった、誰もがスルーしそうな内容で。正直、登記官ごとに基準が違うとしか思えない。昨日の自分に「ご苦労さん」と言った直後に、今日の自分が「やり直しかよ」と呟く。そういう繰り返し。達成感を奪われるのは、思っているよりずっと心に堪える。

補正理由の曖昧さに振り回される日々

「書類が整っていないため補正を要する」とだけ書かれた通知を前に、何がいけなかったのかを読み取るゲームが始まる。しかも、そのルールは登記官によって変わる。こっちが探偵のように真相を探りながら、正解を当てるような作業。たった一言の補正理由に、何時間も費やす羽目になることもある。依頼人には「簡単ですよね」と言われるこの仕事の、どこが簡単なのか説明したくなる。

確認漏れは自分の責任 でもやっぱり納得できない

自分のチェック不足が原因であることもある。それは潔く反省するし、次に活かす。だが、どうしても腑に落ちない補正もある。「ここまで細かいこと言う?」というレベルの指摘に、理不尽さを感じながらも結局は従わざるを得ない。司法書士は行政との付き合い方を覚えなければ生き残れない職業だと、改めて痛感する瞬間だ。

登記官ガチャは存在するのか

正直、同じような書類でも補正されるかされないかは、誰が審査するかによって違うと感じる。これが俗にいう「登記官ガチャ」だ。もちろん建前上そんなものは存在しないことになっているが、実務の世界では多くの司法書士が実感している。まるで審査官によって運命が左右されるくじ引きのよう。公平性とは何か、改めて考えさせられる。

厳しい人に当たると三倍疲れる

同じように提出しても、何も言われない案件と、補正される案件がある。違いは提出先の法務局。もっと言えば、担当した登記官のスタンス。特定の担当者に当たると、どんな小さな不備も見逃されない。神経をすり減らしながら書類を見直し、ため息交じりに再提出する。何が正解か分からないまま、今日も疲れだけが残る。

緩い人の補正基準が基準になればいいのに

中には、こちらの意図を汲んでくれて「問題ありません」とスルーしてくれる登記官もいる。そういう人に当たった日は、まるで福引で当たりを引いたかのような気分になる。結局、人間関係なんだと感じることも多い。でも、そんな“緩めの基準”が業界標準になれば、どれだけ救われる人がいるだろうか。

補正が来ると予定がすべて崩れる

一件の補正が来るだけで、その日予定していた作業が全て狂ってしまう。緊急で対応しなければならないものも多く、他の依頼人とのやり取りや予定していた登記準備が後回しになる。事務所は小規模、スタッフも自分と事務員一人。補正に振り回されるたび、時間と心の余裕が削られていく。

一つの補正が連鎖的にスケジュールを壊していく

補正対応のために1時間予定を取れば、当然そのあとの相談予定や書類作成が遅れる。遅れた分は夜に回すしかない。結局、家に帰ってからも仕事。自宅の机にパソコンを広げて、補正対応の続きをする虚しさ。これはもう「生きるための修行」なのかと思ってしまうほどだ。

一人事務所に休みという選択肢はない

週末に休むつもりで予定を組んでも、金曜日の夕方に補正通知が届いたら全てが水の泡。月曜日まで放置すれば、補正期間を超えるリスクもあるから結局土日に対応することに。法務局は休みでも、こちらは休めない。誰にも文句は言えない。自営業の厳しさは、こういうところに表れる。

事務員さんの顔を見るのがつらい朝もある

「また補正ですか」と言われるのが怖くて、事務所のドアを開けるのをためらう朝がある。もちろん事務員さんに責任はない。でも、疲れた顔を見せたくない自分がいる。余裕のあるふりをしているけれど、本当は限界ギリギリ。誰かに「よく頑張ってるね」と言ってほしいと願いながら、今日も黙ってパソコンを開く。

どうやって心を持ち直すか

補正が来たとき、「またか」と思うのではなく、「これは成長の機会だ」と思えれば、どれだけ気が楽だろう。でも、現実はそんなにポジティブではいられない。だからこそ、小さな工夫で心を持ち直す術が必要になる。自分なりのメンタルリセット法があって、なんとか持ちこたえている。

誰にも頼れないときの自分の回復術

疲れ切ったときは、コンビニでアイスを買って車の中で食べる。誰にも見られず、一人になれるその数分が、何よりも心のリセットになる。元野球部のくせに根性論は嫌いで、むしろ逃げることで保っている自分がいる。意地を張るより、甘えることのほうが自分には向いていると最近ようやく気づいた。

たまに来る「補正なし完了」に泣きそうになる

まれに、完璧な書類が一発で通ることがある。通知を見て「完了しました」とだけ書かれていたら、それだけで泣きそうになるほど嬉しい。誰かに報告したくなる。でも、誰もいない。独身男性司法書士の、静かな勝利の瞬間である。

自分なりの補正対策の積み重ね

どれだけ頑張っても補正ゼロにはならない。けれど、自分なりの工夫を積み重ねることで、少しでも減らす努力はできる。完璧を求めすぎず、でもいい加減にはならず。そのバランス感覚を身につけることこそが、生き延びる術だと思っている。

チェックリストを作っても防げないときは防げない

独自に作ったチェックリストを何度も見直す。でも、思わぬところで補正がくる。書類って、見れば見るほど抜けが出てくる不思議なもの。完璧なんてあり得ない。だから、ミスは必ず起きるという前提で動いている。重要なのは、起きたときの対応力だ。

一つ一つの経験がマニュアルに変わる

初めて補正された項目は、すぐにメモに追加する。そして次に同じことが起きないように、自分用マニュアルを更新していく。経験は無駄にならない。時間をかけて築いた知識の蓄積が、ようやく武器になってきた気がする。

それでも補正ゼロにはならない現実

どれだけ対策しても、補正はゼロにはならない。登記官の考え方や法務局の方針は予測不能だし、依頼人の事情で急な変更があることも多い。だから、「補正が来ないように」ではなく、「補正が来ても慌てないように」。その意識が、補正地獄を生き延びる鍵なのだと思う。

ミスを受け止める力と図太さの話

失敗を恐れすぎても意味がない。むしろ「ミスすることもあるさ」と図太く構えるくらいがちょうどいい。元野球部としては、三振しても次の打席があることを知っている。登記も同じ。打ち返せばいいのだ。

元野球部のメンタルが意外と役立っている

高校時代、ノーアウト満塁で三振して怒鳴られたことがある。そのときの悔しさに比べれば、補正通知の一つや二つ、屁でもない。そう思えるだけで、少しは気が楽になる。精神論ではない。経験として、挫折を知っている人間は、意外と強い。

誰も褒めてくれないなら自分で褒めるしかない

この仕事をしていて「よく頑張ってますね」なんて言われることは滅多にない。だから、自分で自分を褒める。補正がなかった日は、コンビニでちょっと高いアイスを買って帰る。それがささやかなご褒美。生き延びるための、自分なりのルールだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。