はじまりは一通の不受理通知だった
午前十時、机に置かれた一通の封筒。差出人は市役所戸籍課、宛先はとある女性。依頼人の代理人として手続きしていた私は、妙な胸騒ぎを覚えながら封を切った。
中には「婚姻届不受理通知書」。理由欄には「形式不備」とだけ書かれていたが、それだけでは済まないような気配があった。
日付も妙だ。提出日とされる日は、依頼人から婚姻届を預かった日より前だった。まるで時間が逆行しているかのように。
届出人の名前に見覚えがある
婚姻届の届出人欄に記載されていた名前。それは、過去に不動産の相続手続きを担当した男性の名前と一致していた。
偶然だろうかと思いながらも、私の頭の片隅には、その依頼の際にチラリと聞いた“複雑な家庭事情”がよぎっていた。
「サトウさん、あの相続登記の件、再確認してくれ」と伝えると、彼女はいつも通り無言で頷き、端末を叩き始めた。
婚姻届が不受理になった理由
「形式不備って、具体的にどこがですか?」市役所の窓口で聞いた私に、担当職員は困ったように資料を差し出した。
署名の位置がずれていた。確かにそこは重要な欄だ。しかし、依頼人が署名したのは私の目の前。書き損じもなかった。
にもかかわらず、提出された届出書は、どこか少しだけ“違っていた”。
依頼人は泣いていた
「どうしてこんなことに…私、本当にあの人と結婚するはずだったんです」
依頼人の女性は、婚姻届の写しを手にしながら静かに泣いていた。婚約者との未来を信じて疑わなかったその表情は、どこかあまりにも無防備だった。
私は黙ってティッシュを差し出し、頭の中で点と点をつなごうとしていた。
戸籍の記載と現実の乖離
調べていくうちに、婚姻予定の男性にはすでに婚姻歴があることがわかった。戸籍には、三年前に離婚済みとあるが、その日付がまた奇妙だった。
離婚届の提出日と受理日が一週間ずれており、その間に仮装の婚姻届が提出されていた可能性が浮上した。
「やれやれ、、、これはただの婚姻届じゃなかったか」と、私は苦笑いした。
相談の最中に現れたもう一人の妻
相談室のドアがノックされた。現れたのは、依頼人と同じ名字を名乗る別の女性だった。「あの人とは十年前に籍を入れたままです」
まるでドラマのワンシーン。いや、サザエさんのカツオがまた宿題を忘れたときのような「またやったの!?」という空気。
依頼人は絶句し、私も無言のまま、ただ冷たいお茶に口をつけるしかなかった。
サトウさんの違和感
「先生、これ…変ですよ」
サトウさんが提示してきた資料には、届出書の筆跡を比較したものが並んでいた。婚姻届と依頼人の署名、微妙に異なっていたのだ。
「…偽造、ですか?」そう尋ねると、彼女は少しだけ口角を上げて「多分、元婚約者の仕業です」と言い切った。
筆跡が微妙に違うという指摘
依頼人の本来の筆跡は右上がり気味で勢いがあるが、届出書のものはやや抑制的でクセが強かった。
しかも、証人欄にも同じような違和感があった。誰かが依頼人になりすまして、意図的に婚姻手続きに細工をしたのだ。
その動機とは――復讐、それ以外に考えられなかった。
旧姓に隠された嘘
届出書の添付書類に目を通していくと、依頼人の旧姓がひとつだけ異なる書式で記載されていた。
調べたところ、元婚約者が偽名を使って他の女性と婚姻しようとしていた証拠も見つかった。
この事件は、単なる手続きミスではなく、複数の女性を欺いた計画的な犯行だった。
役所で起きていた偽装
市役所職員が無意識に処理してしまったその届出書は、偽造されたものだったが、受理番号が割り当てられていた。
それがのちに“取り下げ”として記録されていたのも不可解だった。内部の誰かが、それを黙認した可能性が高い。
私は知り合いの行政書士に連絡を取り、情報提供を依頼した。
消された受理番号の謎
提出された婚姻届には確かに受理番号が記載されていた。しかし、役所のデータベースからはその番号だけが削除されていた。
紙の届出書の控えだけが残っていたのだ。まるで「それがなかったことにされた」ように。
誰が、何のためにそんなことを――全てがまだ霧の中だった。
提出日が改ざんされていた
実際の提出日は依頼人が婚姻届を持参した日だったが、記録上は一週間前にされていた。
つまり、依頼人が出す前に、誰かが別の書類を先に差し込んでいたことになる。
古典的だけど、完全に“入れ替えトリック”だ。怪盗キッドかと思ったよ、ほんとに。
やれやれ、、、またかと思った瞬間
役所の提出箱の運用に目をつけた私は、そこで仕組まれたトリックを解いた。用紙入替、印影偽造、そして受理番号の横流し。
まるでルパン三世のような手口だったが、実行犯はなんとも小者だった。
「やれやれ、、、また書類か」と私は書類束を抱えたまま、ソファに沈んだ。
郵送による申請トリック
提出箱には直接投函されるが、郵送提出のものも混ざる。そこを利用されていた。
元婚約者は郵送分を先に送付し、依頼人の正規のものを“後出し”にしたのだ。
提出順で処理される制度を逆手に取った、悪知恵の働いた計画だった。
元婚約者の復讐計画
調査の結果、元婚約者がかつて詐欺罪で略式起訴されていたことが判明した。
依頼人がその過去を理由に別れを告げたことに逆恨みし、書類で人生を壊そうとしたのだ。
婚姻届を逆に利用した、感情に任せた歪んだ犯行だった。
真実の記載事項
証拠を整理し、私は行政書士や弁護士と連携しながら、正規の婚姻届を再提出させた。
同時に、偽造届出の無効確認と、不正アクセスに関する刑事告発も進めた。
公文書偽造、それに加えて名誉毀損も視野に入れて動き出した。
司法書士としての反撃
こういうときこそ、法律職の腕の見せどころだ。
私は地味な書類一つ一つに魂を込め、正義を積み重ねていく。
どんなに地味でも、法に守られる人がいる限り、それは光になる。
不受理通知の裏面に残された指紋
警察の協力で、不受理通知の裏に付着していた指紋が元婚約者のものであると判明した。
決定的証拠となり、告発は受理された。後は司法の判断を待つだけだ。
依頼人は静かに「ありがとう」とだけ言って、頭を下げてくれた。
結末とその後
事件は無事に解決し、依頼人はもう一度自分の人生を取り戻すことができた。
私はというと、サトウさんに「先生、ようやく一件終わりましたね」と言われながら、冷めたコーヒーをすする。
やれやれ、、、また紙との戦いだ。だが、それが俺の仕事なのだ。
偽装婚姻届の真犯人
元婚約者は、すべての罪を認めた。偽造、虚偽記載、そして目的は復讐。
だがそれは、自分自身の人生をも狂わせる結果になった。
法は嘘を許さない。そのことを、彼は一番知っていたはずだった。
依頼人の涙の意味
依頼人は最後、何も言わなかった。ただ静かに窓の外を見つめていた。
その瞳には、怒りでも悲しみでもない、淡い諦めと、新たな覚悟が宿っていた。
婚姻届一枚の重さを、誰よりも知った彼女は、これからの人生を強く歩むのだろう。