あの時の書類ミスが、なぜ今さら夜中に浮かぶのか
夜中の2時、あの登記ミスが急に脳内再生される
「もう終わった話だろう?」と自分に言い聞かせても、夜中の静けさがすべてをぶり返してくる。昼間はなんとか忙しさで紛れていたあの書類ミスが、布団に入った瞬間にまるで映画の再放送のように脳内に流れ始める。特に2時を過ぎたあたりからが危ない。起き上がって冷たい水を飲みに台所に向かったことも一度や二度じゃない。人はなぜ、暗闇の中でだけミスに敏感になるのか。司法書士という仕事柄、「うっかり」が命取りになるだけに、その夜中の反省会はやけにリアルで辛い。
なぜか昼間は思い出さないのに
昼間は依頼者の電話対応、書類の確認、事務員さんへの指示などで忙殺されている。たとえ心のどこかに「この間のミス、気になるな…」という思いがあっても、次々にタスクがやってくるから、それに押し流されていく。でも夜になると話は別だ。特に寝る前、すべてが静かになったとき、頭の中の誰かが「おい、思い出せ」とでも言うように過去のミスを引っ張り出してくる。正直、もうやめてほしい。
終わったことなのに、終わらせてくれない
「もうお客さんには謝ったし、訂正も済んだ。終わったじゃないか」と自分に言っても、その感情だけは終わらせてくれない。きっとあの人はそこまで気にしていなかったかもしれない。でも、自分の中では「なんであの確認をしなかったんだ」「あんな初歩的なミスを」と、自己否定の嵐が吹き荒れる。過去の失敗を「今さら」思い出すのは、自分を律したい気持ちの裏返しなのかもしれない。
心当たりのあるミス:たった一文字の入力違い
忘れられないミスがある。数年前、所有権移転登記の依頼を受けた時、登記申請書の住所に「一丁目二番三号」と書くべきところを「二丁目二番三号」としてしまった。たった一文字。でも、それがどれだけ重大か、司法書士なら誰でもわかるはずだ。訂正処理でなんとか事なきを得たが、依頼者からの電話で「あれ?住所違ってませんか?」と言われた瞬間の、血の気が引くあの感覚は、今でも深夜に蘇る。
「やってしまった…」の反省会は、いつも布団の中
不思議なことに、人は「もう眠ろう」としたタイミングで一番反省を始める気がする。私にとって布団は、安らぎの場所というより、深夜の懺悔室になっていることが多い。仕事上の判断ミス、言葉遣い、確認漏れ。どれも些細なことかもしれないが、「あの時こうしておけば…」という後悔が波のように押し寄せてくる。
司法書士の仕事は「自己責任」の連続
この仕事には「上司の判断」という逃げ道がない。すべての判断は自分の責任で、自分の名前で行われる。だからこそ、ミスが許されない重圧が常にある。顧客の人生や財産に関わる以上、1ミリのズレすら「不安材料」になる。私はそのプレッシャーに耐えきれず、夜中に自問自答するようになった。「本当にこれでよかったのか?」「誰かにチェックをお願いすべきだったのでは?」と。
謝罪文を夜中にシミュレーションしてしまう
一度だけ、かなり厳しいクレームを受けたことがある。メールでも丁寧に謝罪し、訂正書類を用意した。でもその夜、布団に入りながら「もっと他の伝え方はなかったか」と考え続けた。謝罪文を頭の中で何パターンも作り直すうちに、朝になっていた。まるで演劇のセリフ練習みたいなものだ。そんなことをしても、過去は変わらない。でも、やらずにはいられなかった。
誰かに話せれば少しは楽なのに
こういう時、妻でもいればな…と何度思ったか。独身で、愚痴をこぼせる相手がいないと、頭の中だけで感情が膨らんでしまう。事務員さんに相談すればいいかもしれないが、正直なところ、情けない自分を見せたくない気持ちが勝つ。だから、反省会は今日も布団の中で一人開催される。無言で、無観客で、エンドレスに。
事務員さんには言えない。けど、支えられてる
本音を言えば、うちの事務員さんは本当に頼れる存在だ。確認作業も丁寧で、私が気づかないところをさりげなくフォローしてくれている。でも、感謝している分だけ、自分のミスが浮き彫りになってしまうような気がして、素直に頼れない部分がある。
優秀すぎる事務員と、自分の不甲斐なさ
たとえばあるとき、事務員さんが「この欄、念のためもう一度チェックしませんか?」と声をかけてくれたことがある。あの時、私は「大丈夫」と答えてしまった。でも、あとで確認すると、見落としがあった。彼女のほうが冷静で正確。自分のミスを見つけてもらうたびに、「もう立場が逆じゃないか」と思ってしまう。
「この仕事、俺より向いてるんじゃ?」と思う瞬間
事務員さんが一人で申請書を作成し、登記完了の報告をするときの姿を見ると、「この人のほうがよっぽど司法書士に向いてるな」と思うことがある。私はというと、書類の束を前に、気力が萎えてくる。それでも、最後は「自分の責任でやる」という重みが、なんとか背中を押してくれる。だけど、正直しんどい。
独身司法書士の夜は、静かに自己否定が進む
誰にも頼られず、誰にも弱音を吐けず、夜がただ静かに過ぎていく。そんな日が、年々増えてきた気がする。若い頃は「自由が一番」と思っていた。でも、自由には責任が付きまとう。ミスをしても、誰も助けてくれないし、共に反省してくれる人もいない。ただ、一人で全部抱える。
誰にも気づかれず、反省がループする夜
仕事中に「大丈夫そうですね」と笑顔で言ってくれた依頼者の顔が、夜になると浮かんでくる。「本当に大丈夫だったか?」と確認したくなる。でも確認したところで、すでに提出済み。もうどうしようもないのに、「あのとき、あの言葉をかけなければ」と後悔ばかりが膨らんでいく。
寝酒はやめた。でも眠れない
以前は寝酒でごまかしていた。けど、次の日の体調が最悪になるのでやめた。それ以来、眠れない夜は増えた。でも、布団の中で反省し続けるしかない。スマホを開いても、誰にLINEを送るわけでもない。ただ、頭の中で「次は同じミスをしないように」と自分に言い聞かせるだけだ。
それでも朝は来るし、誰かが待っている
どんなに夜が長く感じられても、朝は来る。そして、また依頼者からの電話が鳴る。「先生、昨日の件ですが」と。その声を聞いた瞬間、不思議とスイッチが入る。完璧ではない。でも、誰かの役に立ちたいという思いだけで、今日もまた仕事を始める。それが、私の小さな救いだ。
「先生にお願いしてよかった」のひと言が救い
たまに、依頼者から「先生でよかった」と言われることがある。正直、泣きそうになる。あんなに反省して、眠れなかった夜があっても、この一言ですべてが救われるような気がする。その瞬間だけは、「また頑張ってみようかな」と思える自分がいる。
ミスがあるから、ミスを防ぐ力もつく
今は、ミスをした経験こそが、ミスを防ぐ力になると信じている。完璧な人間なんていない。だからこそ、反省し、見直し、慎重になる。その過程が、自分の中に「危機管理能力」として蓄積されていく。だから夜中に思い出してしまうミスも、きっと無駄ではない。
夜中に悔しがった分だけ、慎重になれる
あの夜の「悔しい」がなければ、今の自分はもっといい加減だったかもしれない。そう思うと、無意味な夜なんてひとつもなかった。眠れなくても、泣きたくなっても、悩みながら進んできた。その分だけ、次の依頼者によりよい仕事を届けられる。それが、司法書士という仕事の、せめてもの救いだと思いたい。