一番しんどいのは、“自分のせいかも”と思ってしまう時間

一番しんどいのは、“自分のせいかも”と思ってしまう時間

「何が悪かったんだろう」と夜にひとりで考える時間

一日が終わって、ようやく静けさが訪れる夜。そんな時間ほど、心がざわついてくる。「あのとき、ああ言わなければよかったかな」「もう少し丁寧に話せていれば…」。クライアントの不満そうな表情や、何気ない一言が頭をグルグル回って離れない。司法書士という仕事柄、責任が重くのしかかる場面も多く、失敗は即、信頼の低下につながる。そんな思い込みに飲み込まれて、「全部自分のせいかもしれない」と思ってしまう時間が、一番しんどい。

誰かの怒りも、依頼のキャンセルも、全部自分のせい?

電話越しのため息ひとつに、内心はドキドキしている。明らかにこちらに非があるわけでもないのに、「気を悪くされたんじゃないか」「また依頼が減るんじゃないか」と頭の中で最悪のシナリオを描いてしまう。事務員さんがミスしても、「俺がチェックできてなかったからだ」と背負い込み、結局自分を責める癖がついてしまっている。気づけば、相手が怒っていなくても、勝手に傷ついてしまう。

事務所の電話のトーンひとつで、胃が痛くなる

午前中、いつも通りの電話が一本鳴る。それだけで気分が揺れるのは、自分でも不思議だと思う。少し語気の強いお客さんの声に反応して、胃がキリキリする。内容はたいしたことじゃない。でも「何か不満があったのかも」「そもそも、こっちの説明が悪かったのか」と、自己評価が下がっていく。電話が終わった後も数時間引きずるから、何も手につかなくなることもある。

些細なミスを引きずってしまう性格

書類の誤字脱字、日付の記載ミス、相手の社名の変換間違い。どれもすぐに修正できるような小さなミスでも、「こんなこともできないのか」と自分に怒りが湧く。昔から完璧主義なところがあって、自分の許容範囲が異様に狭い。お客さんが笑って許してくれても、自分の中では数日間反省会が続く。「またやるんじゃないか」という不安が、さらに行動を慎重にさせ、かえってまたミスにつながる悪循環だ。

反省会が無限ループになる夜の習慣

夜、布団に入っても目が冴えて眠れない。頭の中では昼のやりとりを反芻していて、「あの言い回しはまずかったかも」と何度も繰り返している。謝るべきだった? いや、黙ってたほうがよかった? そんな考えがグルグルしているうちに、深夜を越えてしまう。睡眠不足が続けば、翌日の判断にも影響が出る。でも、心が納得しないままでは眠れないという面倒くさい性格だ。

布団の中でも終わらない「答え合わせ」

まるで中間テストの解答用紙をひとりで眺めているように、「今日のやりとり」の答え合わせをしてしまう。あの時の返しは何点だったか? 相手の反応から察するに、たぶん赤点だ。なんて、勝手に点数をつけて落ち込んでいる。「人の機嫌は自分の責任じゃない」と頭ではわかっていても、心が追いつかない。

気がついたら午前3時、「眠れない日」の多さ

午前3時、やっと寝つけると思ったら、朝はすぐやってくる。寝不足のまま出勤し、顔を洗って無理やりスイッチを入れる日々。眠れないのは神経が細いせいか、それとも未熟だからか。なんて自問して、また自分を責める。そんな夜を何度も越えてきたけれど、正直、今も慣れることはない。

責任感と孤独感がグルグル回る日々

「代表」という肩書は、誇らしさと同時に、責任の塊でもある。誰にも相談できない決断、最終判断の重さ、そして孤独。スタッフが一人いるとはいえ、最終的には「自分の責任」に戻ってくる。そんな日々の中で、誰にも言えない不安や後悔をこっそり抱えている。

「代表」って言葉が、急に重くなる瞬間

役所とのやりとりやトラブル対応、クレーム処理など、最後はすべて自分が出ていかなければならない。「代表の責任ですから」と言われるたびに、胃のあたりが重くなる。特にトラブルが重なった日は、「もうやめたい」と思ってしまうこともある。でも、それを誰にも言えない。だって代表だから。

ひとりきりの決断は、たまに崩れそうになる

「これで合っているのか」「もっといいやり方があるのでは」そう思いながらも、誰にも聞けず、自分で決めるしかない。責任をとる覚悟はあるつもりだけど、心はいつもグラついている。そんな時、誰かが「それでいいと思いますよ」と言ってくれたら、どれだけ救われるだろうと何度思ったかわからない。

スタッフに言えない弱音と罪悪感

事務員さんはよくやってくれている。だからこそ、自分の不安や悩みは見せたくない。仕事の手を止めさせたくないし、心配もかけたくない。でも、そうやってひとりで抱え込むうちに、どんどん疲弊してしまう。「頼っていいんだよ」と自分に言い聞かせるけど、それがなかなか難しい。

地域密着型の「期待」が逆につらいとき

「あそこの司法書士さんは丁寧で親切らしいよ」。そんな口コミが、ありがたい反面、プレッシャーになることもある。期待に応えようとすればするほど、ミスが怖くなる。人の目があるというのは、信用を得やすい反面、裏切ってしまった時の恐怖が倍増するものだと感じる。

お客さんの顔が見えるからこそのプレッシャー

スーパーで偶然会ったお客さんから「あの時はありがとうね」と声をかけられる。ありがたい。でも、同時に「次はもっと完璧にしないと」と思ってしまう。「またお願いするかもしれないね」と言われたら、「絶対失敗できない」というプレッシャーがのしかかる。顔が見える安心感と、見られている不安。その両方を抱えながら働いている。

「ありがとう」が怖い日もある

「ありがとう」の言葉が、なぜか胸に刺さる日がある。「こんなに感謝されて、自分はそれに応える資格があるのか」「実は裏で怒ってるんじゃないか」そんな風にひねくれてしまう自分が嫌になる。でも、そう感じるのも、たぶんずっと自分に自信がないからなんだと思う。

「自分を責める時間」を少しずつ減らす試み

最近は、自分を責める時間を少しずつ短くするよう意識している。完璧じゃなくてもいい。間違ってもいい。ただし、繰り返さなければいい。そう思えるようになるまで、ずいぶん時間がかかったけど、それでも少しずつ前に進んでいる。

ミスは共有財産にする、を心がける

ミスをした時、昔は自分ひとりで抱え込んでいた。でも今は、スタッフと共有するようにしている。「ここでつまずいたから、次はこうしよう」と言えば、自然と対策が生まれる。自分だけの問題にせず、チームの財産にする。そう考えるだけで、ほんの少し肩の力が抜けた。

事務員さんと一緒に「一日ひとつの振り返り」

毎日、終業後に5分だけ「今日よかったこと・反省点」を話し合っている。小さなことでも共有すると、「ひとりじゃない」と思えるようになる。事務員さんも「ここ、こうしたほうがいいかもしれませんね」と言ってくれる。その言葉にどれだけ救われているか、きっと彼女は気づいていない。

「悪いのは自分だけじゃない」って言葉の効果

どんなミスも、100%一人の責任ということは少ない。それに気づいてから、「悪いのは自分だけじゃない」と口に出すようにしている。たったそれだけでも、頭の中で「自分=原因」という思考がほどけていく気がする。完璧じゃなくても、支え合えばなんとかなる。そう信じたい。

少しずつ、自分にも優しくなる練習

昔は、自分を甘やかすことは悪だと思っていた。でも今は違う。疲れたら休んでもいい。失敗したら笑ってもいい。そう思えるようになるまでに、45年かかった。これからは、もっと肩の力を抜いて生きたい。

完璧主義をやめるのに10年かかった話

一つの書類のチェックに30分以上かけていた時期があった。「どこかに見落としがあるんじゃないか」と疑い続ける自分に嫌気がさしていた。そんなある日、ベテランの司法書士が「多少のミスは、正直あるよ。でも、次に活かせれば大丈夫」と言ってくれた。その言葉に、肩の荷がスッと下りたのを覚えている。

「まあいっか」が言えるようになるまで

今では、失敗しても「まあいっか」と言える瞬間が増えてきた。それは諦めではなく、許しだと思う。自分を許すことが、こんなにも楽になるなんて、昔は知らなかった。少しずつでもいい。責める時間を、許す時間に変えていきたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。