「え、そんなにかかるんですか?」って言われるたび、心がすり減る

「え、そんなにかかるんですか?」って言われるたび、心がすり減る

「そんなにかかるんですか?」の破壊力

司法書士として日々業務をしていると、避けて通れないのが「え、そんなにかかるんですか?」というお決まりの一言だ。この一言、正直、想像以上にダメージが大きい。説明して、納得してもらったと思った矢先、ぽつんと呟かれる。まるでこちらが何かを盛っているかのような、あるいは不要なことをしているかのような空気が流れ、心の中で「またか…」と呟いてしまうのだ。

言われた瞬間、胸に突き刺さる一言

それは、商談中でもなく、打ち合わせの最後にサラッと投げられる。登記費用の内訳を丁寧に説明して、法務局への登録免許税や郵送料、調査費用に報酬も含めて正当な額を提示したつもりでも、「えっ、そんなにかかるんですか?」と言われると、一気に信頼の土台が崩れるような気がする。こちらの説明不足か、価値の伝え方が足りなかったのかと自問自答してしまう。

あの言葉が持つ、妙な威圧感

相手に悪気がないのは分かる。でも、あの「えっ」という一文字に詰まった驚きや疑念は、こちらの心をざっくり切り裂いてくる。無意識に責められているように感じるのだ。「そんなことも知らないの?」とか、「相場わかってる?」とか、言葉に出ていない圧力を勝手に感じてしまう。そしてそれが積み重なると、次第に笑顔が作れなくなってくる。

責めてないようで、責められている気がする

「責めてるわけじゃないんですけど…」という前置きすらなくても、こちらとしては責められているようにしか聞こえない。「もっと安くできないの?」という真意が透けて見えるようで、何度も自分の存在価値が揺らぐ。実際、そう言われるたびに「じゃあ、どこか別の安いところに頼んだら…」と、心の中で反論してしまう自分がいるのが情けない。

見積もりの説明は、毎回が地雷処理

料金の説明をするとき、こちらも内心ドキドキしている。なにせ、どこで「そんなにかかるんですか?」が飛んでくるか分からないのだ。丁寧に一つ一つ理由を説明しても、相手がそれを“妥当”と思うかどうかはまた別の話。自分の感覚と相手の感覚、そのズレがまさに地雷であり、踏んだ瞬間に関係性が揺らぐ。

報酬と実務のギャップを埋める苦労

例えば、「書類作成と提出だけでこの金額?」と聞かれると、何十件もの法務局とのやり取りや、補正の可能性を踏まえた慎重な確認作業が伝わっていないことを実感する。業務内容の“見えなさ”が、報酬への誤解を生む。実際、資料を整えるために役所を何度も回ることだってある。そこまで説明しても、「でも、書類だけでしょ?」の一言で台無しになることも少なくない。

登記の内容はシンプルでも、事情は複雑

一見、建物表題登記や住所変更なんて簡単そうに思えるかもしれない。でも、実際には現地調査が必要だったり、依頼人とのやり取りで見えない時間が発生していたりする。それを一言で「高い」と言われると、正直やりきれない。シンプルに見える案件ほど、見えない部分の対応が多くなるという皮肉な現実がある。

「前に頼んだときはもっと安かった」と言われた日

過去の記憶は、しばしばこちらの実感とズレている。「前に頼んだときは○万円だったよ」と言われることがあるが、よくよく聞いてみると条件が全く違うことが多い。依頼者にとっては“同じような登記”でも、こちらからすれば手続きの複雑さが全く異なる。比較できるものではないのに、「高くなったね」と言われると、やはりきつい。

記憶と現実のねじれに振り回される

「あのときはもっと早かったし、もっと安かったよ」──記憶の中の前例と比較されると、今の自分の仕事が“劣化”しているように受け取られてしまう。けれど、実際には法改正があったり、資料の取得状況が違ったりする中での対応。それを一括りにされてしまうと、こちらとしてもどうしようもない無力感に襲われる。

比較対象が記憶頼み、こちらは説明責任

前回がどうだったかを、こちらは把握していないこともあるし、そもそも前回とは別の事務所かもしれない。それでも「今回は高い」と言われると、それを覆すだけのエネルギーが必要になる。しかもそのエネルギーは報われる保証がない。説明すればするほど空気が重くなるあの感じ、どうにかならないものだろうか。

それでもこの仕事を続けている理由

文句を言われることもあるし、誤解されることもある。それでも、この仕事をやめようとは思わない。なぜか。たまに、本当にたまに、「ありがとう」と心から言ってもらえる瞬間があるからだ。その一言が、驚くほどに救いになる。そして「また明日も頑張るか」と思える。

誰かの人生をそっと支えていると信じたい

登記というのは、表向きには「書類の処理」だけれど、実際には人生の節目に関わることが多い。相続、売買、離婚、事業承継──そういった人の転機に関われることが、静かな誇りだ。だからこそ、報われなくても、誤解されても、信じて続けたいと思ってしまう。

「ありがとう」がある限り、もう少しだけ頑張れる

この仕事は孤独だ。誰にも評価されず、誰にも頼られず、ただ一人黙々と事務所で書類をにらんでいる日もある。それでも、依頼人から「助かりました」と一言もらえた日は、不思議と孤独が和らぐ。今日もまた、どこかで「そんなにかかるんですか?」と言われるだろう。それでも、頑張る理由は、ちゃんとある。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。