なんでアイツばっかり?コツコツ頑張る人が報われない現実と、その突破口

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なんでアイツばっかり?コツコツ頑張る人が報われない現実と、その突破口

「コツコツやってるだけじゃダメ?」と感じる瞬間

日々、地味な仕事を積み重ねていると、ふと頭に浮かぶのがこの疑問。「自分は真面目にやってるはずなのに、なぜあの人ばかり評価されるのか?」司法書士の仕事は、派手さはなくとも確実さが命。それでも、目立つ案件をこなした同業者やSNSで自己アピールする人たちのほうが評価されやすいという現実に、やるせなさを感じることがあります。

地味な仕事を積み上げても、誰も見ていない虚しさ

相続登記の書類を何十枚も丁寧にチェックし、訂正印一つの漏れも許さないようにやっても、誰も褒めてくれません。むしろ、「できて当たり前」とされてしまう。たとえば、先日も必死で期限前に仕上げた書類が、結局お客様の都合で提出が遅れたことで、こちらの努力はなかったことのように扱われました。虚無感って、こういうことだなと思いました。

評価されるのは、声の大きい人や目立つ案件

会合や会議の場で、自分の業績をアピールできる人は、どうしても得をします。私のように黙って現場を回し、書類の山と向き合っているタイプは、正直損な役回り。たとえば、一度、ちょっとしたセミナーで話した司法書士が、その後市役所関係の仕事をどんどん獲得していくのを見て、「ああ、俺には向いてないな」と思ったものです。

報われないと感じる日々のループ

真面目に働くこと自体が苦になるわけではありません。でも、「報われる」という実感がないと、心が削れていくんです。私自身も、月末になると「今月、何か良かったことあったかな…?」と考えてしまうことがあります。そしてたいてい、思い出せない。これがまた、地味につらい。

「正しくあること」が損になる場面

たとえば、依頼者が無理な要望をしてきたとき。法的にできないことは「できません」と説明する。これは当たり前の対応です。でも、営業重視の司法書士は「なんとかします」と言って案件を取ってしまう。結果、その人の方が「親切な先生」扱い。誠実に対応したこちらが悪者になる。これが“報われなさ”の象徴です。

苦労を重ねる人ほど抱える“割に合わなさ”

完璧を目指すと、時間も神経も使います。書類の細かい部分に気を使い、依頼者の事情にも寄り添う。だけど、そうした努力の多くは表に出ません。「ありがとう」と言われることもあるけれど、それが報酬や評価に直結することは少ないんです。むしろ、要領よく回している人のほうが楽そうに見えることも多い。

司法書士という仕事の「性格」も関係している

私たちの仕事は、目立たず、間違いなく、滞りなく進めることが前提。つまり、「問題が起きなかった」という事実が最上の成果。しかし、それは誰の目にも留まりません。むしろ、何かトラブルがあった時にだけ注目されるという構造があるのです。

仕事の本質が“縁の下”であることの功罪

支える仕事というのは尊い反面、評価されにくい。スポットライトが当たらないまま、日陰で黙々と働くことになる。事務員さんと二人だけの事務所だと、誰にも自分の頑張りを話す相手がいない。これが精神的な負荷を倍増させます。

ミスが許されないからこそ目立てない矛盾

一発アウトのプレッシャーがあるからこそ、慎重にならざるを得ない。それでも、うまくやって当たり前、うまくいかなければ責められる。そんな“目立てない構造”が司法書士には根付いています。

慎重で真面目な人ほど損な役回りになりがち

声を張り上げることが苦手で、でも誠実さは人一倍。そういう人こそ、損をしやすい。私自身、そうです。派手なPRも苦手、でも書類の精度には命をかけている。だけどその「精度」に価値を感じてくれる人は、実はそう多くないのが現実。

こんな時、周りの「報われてる人」が気になってしまう

隣の芝生が青く見えるのは仕方ない。でも、気になってしまうと自分の足元の草がどんどん枯れて見える。SNSや事務所ホームページでバンバン実績アピールしている人を見て、なんとも言えない気持ちになることが増えました。

営業が得意な司法書士と比べてしまう

「あの人は頭の回転が早くて、人付き合いも上手いしな」と言い訳をしつつ、内心では悔しさが拭えない。そう思う自分に対しても、「いや、自分には自分のやり方があるだろ」と言い聞かせてみるけど…正直、モヤモヤは消えません。

SNSで「成功報告」ばかりが流れてくる心理的圧迫

最近はSNSも疲れる場所です。「おかげさまで月○件達成!」とか「紹介が止まりません!」とか。事務所でひとり黙々と登記簿を読み込んでる自分が、バカみたいに思えてきてしまう。それがまた心をすり減らしていく。

じゃあ、どうしたら報われるのか?

「報われたい」と思うなら、自分の中で「何をもって報われたと感じるのか」を明確にする必要があります。ただ頑張るだけでは足りない。頑張りが“見える形”になるような工夫も必要です。

「報われる=誰にどう見られるか」を明確にする

自分は誰に評価されたいのか。依頼者?同業者?家族?自分自身?この基準を曖昧にしていると、いつまでたっても報われた感覚は得られません。私自身も、「依頼者からの一言」が一番効くということに気づいてから、仕事のやり方が少し変わりました。

頑張る方向を少し変える勇気

正直、方向転換には勇気がいります。でも、「今まで通りやってても苦しい」なら、ちょっとでも違う動きをするしかない。今まで避けていたSNSを少し始めてみたり、小さな講演を引き受けたり。動けば何かが変わる可能性は出てきます。

“信頼”と“売上”のバランスを意識する

信頼だけでは食えないし、売上だけでは虚しい。このバランスを取るのが難しい。だからこそ、信頼を売上に変える導線を意識していく必要があります。紹介が紹介を呼ぶような、そんな流れを作ることが理想です。

目に見える成果も作っておくことの重要性

たとえば「お客様の声」や「実績紹介」をきちんと残しておく。自分の中で達成感を感じるだけでなく、他者にも伝わるようにする。それが、真面目な人が報われるための“橋”になるのかもしれません。

実際に試して効果のあった工夫

試行錯誤のなかで、自分なりに工夫してきたことがあります。すぐに劇的な効果があるわけじゃないけれど、確実に「少し報われた」と感じられることは増えました。

「ありがとう」をもらう導線を意識した業務設計

説明の際に少しだけ相手の立場に寄り添って話すことを意識したり、案件完了時に「今後も気になることがあれば遠慮なく連絡ください」と一言添えるだけで、お礼の言葉が増えました。それだけで、ちょっと心が救われます。

月に一度の仕事棚卸しと自己評価の見直し

月末に、「今月何をやったか」を箇条書きでまとめる。誰に見せるでもないですが、自分の中で「これだけやった」と思えることが、心の支えになります。忙しい時ほど、これをやると気持ちが安定します。

それでも心が折れそうなときの処方箋

どんなに工夫しても、しんどい時はしんどい。そんな時は、無理にポジティブにならず、まずは「疲れた」と認めることが大切です。

誰かに愚痴をこぼしていい。それだけで救われる日もある

同業の友人に「もう嫌になるな…」と漏らした時、「わかるわー、その感じ」と返されただけで、だいぶ楽になりました。人間って、共感だけでずいぶん救われるものです。

“報われたい”と思える自分は、まだ前を向いている証拠

「もうどうでもいい」とすら思えたら危険。でも「報われたい」と思っている間は、まだ希望がある。私はそう信じています。だから今日も書類をチェックし、電話に出て、また一日を重ねていきます。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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