“知り合いに司法書士がいるんだけど”と言われた瞬間の絶望

“知り合いに司法書士がいるんだけど”と言われた瞬間の絶望

「知り合いに司法書士がいるんだけど」と言われた瞬間の絶望

この一言を聞いた瞬間、頭の中で何かが凍りつくような感覚になる。それまで丁寧に対応していた依頼者の言葉の端に突然現れる「知り合いに司法書士がいるんだけど…」。悪気がないのは分かっている、でもそれを聞いた瞬間に思考が止まるのも事実。比べられるのか?信用されていないのか?そもそも依頼する気がなかったのか?──考えすぎかもしれない。でも、この一言が地味に効くのは、きっと全国の司法書士あるあるなんじゃないかと思う。

なぜその一言が胸に突き刺さるのか

仕事をしていれば、比較されることは避けられない。けれど「知り合いに司法書士がいる」という言葉には、単なる比較以上の複雑な感情がにじむ。それは自分の存在が“仮の選択肢”であるかのような印象を残すからだ。私たちは、ただの情報提供者ではなく、信頼を前提とした関係性で仕事を進めたいと思っている。だからこそ、この一言が妙に刺さるのだ。

比較されることへのプレッシャー

「知り合いの司法書士はもっと安かったって言ってました」「あの人はすぐ対応してくれるんだけど」──直接そう言われるわけではない。でも、「知り合いがいる」と言われた時点で、こちらはすでに比べられているような気分になる。ましてや、報酬の話や対応スピードの話を持ち出されたら、もうダメージは倍増だ。知らないうちに他人の土俵に乗せられて、評価されるなんて、なかなかしんどい。

信頼関係が揺らぐ微妙な空気

こちらとしては誠意を持って対応していても、「知り合いがいる」と言われた瞬間から、どこか探り合いのような空気が漂う。依頼者は本当にこちらに任せる気があるのか?それとも、ただ情報だけ引き出して他に持っていくつもりなのか?──そう考えてしまうと、自然と警戒してしまう。結果として、信頼関係の構築にブレーキがかかるのは否めない。

“知り合い”の存在が生む不安

「知り合い」と一口に言っても、その範囲は非常に広い。家族ぐるみで付き合いのある人なのか、ただの同級生程度なのか。それが分からないからこそ、こちらの対応にも迷いが生じる。さらに、「実は前にうちで対応したことがある人だったらどうしよう…」なんて余計な不安も頭をよぎる。

そもそも“どこまでの知り合い”か分からない

「知り合いがいる」と言われても、こちらにはその人物が誰なのか、どういう関係なのかが分からない。実はあまり関係が深くない場合もあるし、逆にがっつり身内ということもある。それが分からないまま対応を進めるのは、地雷原を歩くような緊張感がある。特に、地元で仕事をしていると、どこでどう繋がっているか分からないだけに、余計に慎重にならざるを得ない。

親族?友人?元依頼者?正体が不明な恐怖

過去にあったケースで、「知り合いの司法書士がいる」と言っていた相手が、実は私が新人の頃にトラブル対応した方の親戚だったことがある。こちらはすっかり忘れていても、相手は覚えている。そしてその時の印象が、今回の対応にも影響しているかもしれない。そう考えると、下手なことは言えないし、慎重すぎるくらいがちょうどいい。でもその慎重さが、逆に距離を感じさせてしまうこともあるのが、難しいところだ。

情報が漏れていないかという疑念

「先生って、このあたりではどんな評判なんですか?」と聞かれるとドキッとする。その背後には、「知り合いから何か聞いてきたのでは…」という疑念がよぎるからだ。もちろん守秘義務は守っているし、悪いことはしていない。でも、口コミや噂話というのは、一度広がるとこちらではどうにもできない。その存在を感じた瞬間、心の中にじわっと不安が広がる。

プライバシーと守秘義務への配慮

逆にこちらが依頼者の「知り合い」として名前を聞いても、下手に反応するわけにもいかない。「ああ、その人なら知ってますよ」なんて言ったが最後、どこで何が伝わるか分からない。だから、知っていても知らないふりをしなければならない場面が多くて、それもまた疲れるのだ。沈黙の気遣いって、地味に神経を使う。

本当に困る「相見積もり」状態

「知り合いがいる」と言いながら、こちらにも相談してくるケースは少なくない。つまり、相見積もり的な状況だ。相手は悪気なく、「いろいろ聞いて決めたい」と思っているだけだが、こちらとしては“品定めされている”ようで気が重い。しかも報酬額だけでなく、人柄や対応のスピードまで含めて判断されるとなると、もう気が抜けない。

善意で言っている場合が逆につらい

「一応、知り合いにも聞いてみようと思って」と、さらっと言われると、こっちはもう笑うしかない。でもその“善意の比較”が一番しんどいのだ。あくまで公正に選んでいるつもりなんだろうけど、裏を返せば「あなたは今のところ第一候補ではない」と宣言されているようなもの。そんな状況でベストな対応を求められるのは、正直きつい。

「一応あの人にも聞いてみようかな」の破壊力

「あの人にも聞いてみようかな」は、私たちからすれば“保留”の言い換えにしか聞こえない。そのまま返事が来ないケースも多いし、別の司法書士に決まっていたと知ると、なんとも言えない脱力感がある。「最初からそっちに行くつもりだったのでは?」と疑いたくなるのを、なんとかこらえる日々である。

見積もりの“内容”より“関係性”で選ばれる理不尽

一生懸命丁寧に説明して、書面もしっかり整えても、最終的に「やっぱり昔からの知り合いに頼むことにしました」と言われると、本当に力が抜ける。「内容じゃなくて関係性なのか」と、思わずつぶやいてしまう。それは分かる。分かるけど、こっちだって時間をかけて資料を用意してるんだよ、という気持ちはどうしても拭えない。

どう対応するか迷う、その場の空気

こうした場面では、どんな表情でどんなトーンで返すべきか、今でも迷う。「そうなんですね」と無難に受け流すことが多いけど、本心ではいろんなことがぐるぐるしている。うっかり顔に出してしまったら終わりだし、かといって作り笑顔も限界がある。その場の空気が、妙に重たくなるのを感じるたび、心の中で「またか」とつぶやいている。

反応を間違えると信頼を失うリスク

軽く流したつもりが「なんか冷たかった」と思われたら損だし、食い下がっても「営業っぽくてイヤ」と思われる。結局、どっちに転んでも微妙なのだ。だったら誠実に、淡々と対応するしかない。でもその“淡々と”が実は一番難しい。感情を押し殺して仕事をするって、意外と消耗するんですよ。

否定も肯定もできない難しい距離感

「その知り合い、優秀な方なんでしょうね」と言いたくても、それが皮肉に聞こえるかもしれない。「でもうちはこういうスタンスです」と主張すれば、押し売りに見えるかもしれない。結局、無難な言葉を選びながら、会話の核心には踏み込めずに終わることが多い。なんだか、すごく消化不良なやりとりだ。

結局は様子見で終わることも多い

その場では穏やかに終わっても、結局依頼にはつながらない。そんな経験、何度あったことか。後日思い出して「あの人どうしたんだろう」と思っても、こちらから連絡するわけにもいかない。結局、モヤモヤしたままフェードアウトしていくのが常である。

心のダメージをどうやって受け流すか

毎回真剣に向き合っていれば、こうした一言一言に傷ついてしまう。だからある程度、受け流す力も必要になってくる。「また来たな、このパターン」と自分の中でラベリングしておけば、少しは楽になる。とはいえ、やっぱり一度は落ち込むけど。

いちいち気にしていたら身がもたない

仕事柄、いろんな人と会話する。良い人もいれば、そうでない人もいる。だからこそ、いちいち振り回されていたら、本当にメンタルが持たない。無理にポジティブになる必要はないけど、せめて「今回はご縁がなかった」と区切りをつける。それだけで、少し気が楽になる。

事務員との愚痴タイムが唯一の癒やし

「また“知り合いがいる”って言われたんですよ…」「ああ、またですか(笑)」──そんな会話が、うちの事務所の日常。たった一人の事務員だけど、この人の存在が救いになっている。共感してくれる人がいるだけで、気持ちはだいぶ軽くなるものだ。

それでも依頼を続けてくれる人がいる

そんなこんなで心が折れそうになることも多いけれど、それでも「やっぱりこちらでお願いしたい」と言ってくれる人がいる。そういう人たちの存在が、この仕事を続ける理由になる。結局、最後は“人”なのだとつくづく思う。

「やっぱりこちらで」と言われたときの救い

比較された末に、こちらを選んでもらえたときは、本当にうれしい。「いろいろ聞いたけど、やっぱり先生が一番話しやすかったです」──たった一言で、全部報われる。苦労やモヤモヤも、その瞬間に少しだけ晴れていく。

信頼は肩書きじゃなく関係性で築かれる

どれだけ知り合いがいようと、どれだけ安い見積もりが出ようと、最後に選ばれるのは「この人なら安心できる」という感覚だと思っている。だから、今日も淡々と、誠実に仕事を続ける。それしかできないけど、それでいいと思える日も、確かにある。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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