「どうせ…」が口癖になっていた

「どうせ…」が口癖になっていた

「どうせ…」が口癖になっていた日々に気づいた瞬間

気づけば、心の中で何かにつけて「どうせ…」とつぶやいている自分がいた。誰かが新しい挑戦をしていると聞けば、「どうせうまくいかないさ」。仕事で少しでもうまくいかないことがあれば、「どうせ俺には無理だったんだ」。そんな風に、自分の限界を勝手に決めつけていた。年齢のせいにしたり、田舎の司法書士だからと自分を慰めたり、時には忙しさを理由に何もしない言い訳にしたり。けれど、ある日、ふとしたきっかけでその言葉が自分をどれだけ縛っていたのかに気づく瞬間が訪れた。

無意識のうちにこぼれていた言葉

「どうせ…」という言葉が、自分の口から思っていた以上に出ていたことに気づいたのは、ある朝のことだった。事務所でコーヒーを入れているとき、事務員の彼女が書類の不備について報告してきた。そのとき、私の口から自然に出たのが、「どうせまたか…」という言葉。彼女は何も言わなかったが、なんとも言えない表情を浮かべていた。あれは、「またか」ではなく「また言ってるな」という表情だった。

朝の独り言が全部「どうせ」から始まる

ある日、朝の支度をしながらふと気づいた。「どうせ今日も忙しい」「どうせ書類ミスがある」「どうせうまくいかない」…出てくる言葉が、どれもこれもネガティブで決めつけの強い言葉ばかり。目覚まし時計が鳴った瞬間から、もう心が折れそうになっていた。こうした言葉は、ただの独り言のようでいて、自分自身の思考回路を蝕んでいたことに、ようやく気づいた。

気づいたのは、ふとしたお客様との会話だった

その日、遺産相続の相談に来られた高齢の女性が、ぽつりとこんなことを言った。「私みたいな年寄りが今さら何をしても…どうせね…」。その瞬間、私はハッとした。まるで自分の言葉を聞かされているようだった。その方には「そんなことないですよ」と笑って答えたが、内心では「俺の方こそ、その『どうせ』に縛られて生きてるじゃないか」と、胸が締め付けられた。

この口癖が仕事に与える影響

口癖なんて些細なものだと思っていた。でも実は、それが仕事にまで悪影響を及ぼしていることに気づいていなかった。事務所の雰囲気も重くなるし、自分の行動範囲や判断にも制限をかけてしまっていた。「どうせやっても無駄」と思えば、書類作成も手抜きになるし、新しい制度の勉強もしなくなる。そして何より、お客様に伝わってしまうのだ、「この人、本気じゃないな」と。

案件の取りこぼしとモチベーションの低下

「どうせこの地域では仕事なんて限られてる」「どうせ報酬も頭打ちだ」そんな風に思っていたせいで、新しい仕事に対するアンテナがどんどん鈍くなっていた。実際、少し手間がかかりそうな案件を「時間の無駄」と判断して断ったこともある。今思えば、それは挑戦する気力を失っていた証拠。自分で自分の可能性にフタをしていたようなものだった。

スタッフの前での愚痴が空気を悪くする

事務所で「どうせ…」という言葉を多用していると、スタッフもだんだんと笑わなくなっていった。何を提案しても「それやっても無駄だよ」と否定されるなら、言わない方がマシだ。そう思わせてしまっていたのだろう。優しく接しているつもりだったが、口癖が毒のように空気を濁らせていたのだと、後になって反省した。

「どうせ」は逃げ?それとも本音?

口癖として出る「どうせ」は、ただのネガティブワードではなく、自分の心の奥底にある思いの表れだった。努力しても結果が出ないとき、人間は「もう頑張らなくてもいい理由」を探したくなる。私にとっての「どうせ」は、まさにそれだった。逃げ道でもあり、失望の結晶でもある。だけど、そこに甘えていたら、いつまでも何も変わらない。

本当は誰よりも頑張っているのに

私はこの仕事を20年以上続けてきた。夜遅くまで登記のチェックをし、土日も相続の相談に応じてきた。でも成果が出ないとき、「どうせ何をやっても…」とこぼしたくなる。これは、自分が怠けているからではなく、むしろ頑張っているからこそ出る言葉なのかもしれない。報われない苦労に疲れ果てて、誰かに「よくやってるよ」と言ってほしい、それだけだったのだ。

努力しても報われないと思ってしまう瞬間

何時間もかけて調べ、書類を完璧に整えたつもりが、役所で「これじゃダメです」と一蹴されたとき、心がポキっと折れる。そうした瞬間が積み重なると、「どうせまたダメだろう」と思うようになってしまう。司法書士の仕事は、地味で孤独な戦いだ。だからこそ、小さな否定が致命傷になりやすい。心を守るための「どうせ」だったのかもしれない。

過去の失敗が足かせになる

私にも過去に大きなミスをしたことがある。それ以来、似たような案件になるとビクビクしてしまう。そして、「どうせまた失敗する」という予防線を張ることで、自分を守ろうとしていた。けれど、それでは次に進めない。過去の失敗を繰り返さないためには、正面から向き合うしかない。そして、「今回は違うかもしれない」と信じる勇気が必要だった。

心の防衛反応としての「どうせ」

「どうせ」と言うことで、自分が傷つかないようにしていた。何かに期待すると、それが叶わなかったときの落胆が大きい。だったら、最初から期待しない方が楽。そう思っていた。でも、それは本当の意味で楽な生き方ではなかった。心がすり減るような孤独と無力感が、じわじわと自分を壊していった。

期待しないことで傷つかないようにしている

たとえば、誰かに食事に誘われても「どうせ暇つぶしだろ」と心の中で先回りして冷めた態度をとる。そうすれば、裏切られたときの痛みが減る。でも、その分だけ心が閉じてしまう。仕事でも同じ。「どうせうまくいかない」と思えば、最初から本気で取り組めない。そして結果が出ないと、「ほら、やっぱり」と自己肯定につなげてしまう。まるで自作自演の不幸だ。

自分への言い訳になっていなかったか

「どうせ俺なんて…」という言葉は、結局、自分への言い訳だったのだと思う。努力をしない理由、踏み出さない理由を「環境のせい」「年齢のせい」「人付き合いの苦手さのせい」にして、変わることを避けていた。でも本当は、怖かったのだ。変わってもし失敗したら、もう立ち直れないかもしれないという恐怖。その弱さを認めたとき、ようやく一歩踏み出す気持ちが湧いてきた。

「どうせ」から「それでも」へ

「どうせ…」という言葉を、「それでも…」という言葉に置き換えるだけで、驚くほど思考が変わることに気づいたのは、ある若い司法書士との出会いがきっかけだった。彼の前向きな言葉を聞いて、「ああ、自分もこんな時代があったかもしれないな」と、少し羨ましくなった。そして、遅ればせながらでも変わりたいと思った。

ある後輩司法書士との出会い

県の研修会で知り合った30代の若い司法書士がいた。彼は大手を辞めて独立したばかりで、不安も多いはずなのに、口を開けば「でもやってみようと思ってるんです」「それでも前に進むしかないですからね」と笑う。私は彼に何かアドバイスをしようとしていたが、気づけば、逆に励まされていたのは私の方だった。

真っ直ぐで前向きな言葉にハッとした

「それでもやるんです」という彼の言葉は、私にとっては眩しすぎるほどだった。「どうせ失敗するかもしれないけど、それでもやってみるんです」…そうやって、若さだけじゃない覚悟を感じた。自分はいつから挑戦をやめてしまったのだろう。そう思ったとき、心の奥にわずかな灯がともったような気がした。

「それでもやってみよう」という気持ち

それから私は、「どうせ」と言いそうになるたびに、「それでも」に言い換える練習をした。「どうせ今日もトラブルがある」→「それでも乗り越えてみよう」。最初はぎこちなかったが、次第に慣れてきた。そして、思考も少しずつ変わっていった。何かを期待することは、怖いけれど、同時に生きている実感でもある。私はまだ、諦めたくなかったのだ。

口癖を変えることで見えた景色

言葉が変わると、世界の見え方が変わる。大げさに聞こえるかもしれないが、私にはそれが真実だった。「どうせ」と言っていた頃は、すべてが灰色に見えていた。でも「それでも」と口にすると、少しだけ光が差すようになった。仕事も人間関係も、ほんの少し前向きに見えるようになった。それだけで、人生が少しマシになった。

事務所の雰囲気も少しずつ変わっていった

口癖が変わると、周囲も変わる。事務所で「それでも頑張ってみようか」と言ったとき、事務員がパッと笑ってくれた。「先生が前向きだと、やる気出ます」と言われたときは、少し照れくさかったけれど、心からうれしかった。言葉の力は侮れない。そして、その力はいつでも使い直せるのだと思った。

ひとりごとの内容が前向きになった

今でも独り言は言っている。でも、「どうせ…」ではなく「それでも…」になってきた。「それでも今日はやってみよう」「それでも間に合うかもしれない」…そんな言葉が、自分を少しだけ動かしてくれる。司法書士という仕事は、ひとりで悩むことが多い。でも、だからこそ、自分にかける言葉が、何よりの支えになるのだと実感している。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。