顔に出るくらいには限界だった日

顔に出るくらいには限界だった日

いつも通りの朝が、違って見える日がある

司法書士という仕事柄、朝のスタートは早い。いつもと変わらぬ書類の山、淡々とPCを開き、メールを確認する日常。でも、その日はなぜかディスプレイの光がやけにまぶしく感じた。何かが違う。気づかないうちに、無理がたまっていたのかもしれない。自分ではいつも通りのつもりだったが、鏡に映った顔には明らかに疲れが出ていた。眼の下のクマ、沈んだ目つき、口角が下がった顔。それを見た瞬間、ふと「限界」という言葉が頭をよぎった。

自分では気づいてなかった「顔に出てた」サイン

「先生、なんか今日…顔色悪いですよ」そう言ったのは、事務員の彼女だった。普段、あまり感情を出さないタイプの彼女がわざわざ口にするほどだったから、余計にショックだった。自分では気丈にふるまっているつもりでも、周囲にはバレているのだ。無理を重ねると、体じゃなくて顔に真っ先に出る。昔からそうだった。高校時代の野球部でも、夏の練習でヘトヘトになった時、監督に「お前だけ疲れた顔してる」と言われたことがある。あの頃と何も変わってない。

コンビニの店員さんに心配されて気づいた疲労感

その日の昼、コンビニでいつものように弁当と缶コーヒーを買ったとき、レジの若い女性店員に「お疲れですね」と言われた。あまりに自然な声かけだったが、なんだか胸にずしんと響いた。誰かにそう言われるだけで、自分の弱り具合を実感してしまう。表情に出るって、ほんとうに隠しようがない。気持ちを整える余裕すらなくなっている証拠だ。

事務員からの一言に、なぜかぐさっと来た朝

「せめて寝たらどうですか」その言葉に対して、普段なら「そうだね」と軽く流すところが、その日はなぜか刺さった。寝たくても寝られない。スケジュールは詰まりっぱなしで、登記手続きに期限もある。相談者の予定も調整しなきゃいけない。寝る時間が取れないのはわかってる。それでも、事務員は悪気なく言っているのもわかってる。それでも、自分のキャパシティの狭さに腹が立った。

顔に出るって、損なのか得なのか

顔に出る性格って、本当に損だ。隠せたら楽なのにと思うことが、日々ある。たとえば、依頼人と対面しているとき、無意識に眉間にシワが寄ってしまう。決して相手に怒っているわけではない。でも相手からは「怒らせたかな」と思われることもある。これ、完全に損している。でも、逆に、顔に出るからこそ助けられたこともあるのだ。

「隠せない」は弱さ?それとも正直さ?

昔、ある依頼人が「先生って、顔に出るから安心します」と言ってくれたことがある。信用できるって言われた。嘘をつかない人だと思ってくれたらしい。なるほど、顔に出るのは「損」じゃなくて「正直さ」でもあるのかと気づいた。でもこれは相手による。疲れているのが伝わると「頼んじゃ悪いかな」と遠慮されることもある。それが一番困るのに。

疲れをごまかせない自分への苛立ち

たとえば、ある日、役所の窓口でちょっとしたミスを指摘されただけで、表情が崩れてしまった。その瞬間、相手の職員も「あ、触れちゃいけない人だ」と察した顔をしてた。恥ずかしいし、悔しい。自分の不器用さにイライラする。もっとドライに、涼しい顔で受け流せる人間になりたかった。

それでも「気づいてもらえる」ありがたさ

でも、裏を返せば「顔に出る=気づいてもらえる」でもある。感情を出せるって、案外大事なことなのかもしれない。冷たく見えるより、弱さが伝わる方が、人は近づいてきてくれる。疲れたときに「大丈夫?」って言ってもらえるのは、顔に出るタイプだからかもしれない。

疲れをためるしかない日々のなかで

小さな事務所。事務員は一人。頼れる上司もいない。何かあればすべて自分で受け止めるしかない。裁判所への提出期限、登記のスケジューリング、相談対応、電話、そして郵便物…。誰も代わってくれない。そういう仕事なのだとわかっている。でも、わかっていても疲れはたまるし、心が重くなる。

休めないから、顔に出るんだと思う

休もうと思っても、心が完全にオフにならない。たまに半日空いても、結局スマホを見てしまう。LINEで依頼人から連絡が来ていたら、気になって休めない。「今日は休みです」って言えるタイプじゃない。そういう曖昧さが積み重なって、表情に出てしまう。気づけば目の奥にクマ、口元はへの字。顔が正直すぎる。

「一人でやってる」自営業の宿命

「自分で決められる」「自由にできる」と言われるけれど、実際には不自由なことも多い。自営業は全部自分次第。休むのも、働くのも、結果も、全部自分の責任。たとえ体調が悪くても、「今日だけは」と気を張ってしまう。そしてそれが、顔に出る。こうしてどんどんバレていく。

頼れる人がいないときの孤独と自己責任

ふとした瞬間、誰かに「代わって」と言えたら楽なのに、と思う。でも言えない。頼れる人がいないというのは、孤独でもある。自己責任で動いてきたつもりだけど、限界が近づくと、誰かに弱音を吐きたくなる。けれどその弱音さえ、言葉にする前に顔に出てしまうのが、自分という人間なのだ。

それでも今日を乗り切る理由

たとえ疲れていても、表情が沈んでいても、やるべきことは待ってくれない。それでも机に向かい、書類を整える。顔に出るのは仕方ない。でも、それを見て「先生、大丈夫ですか」と声をかけてくれる誰かがいる限り、自分はきっと持ちこたえられる。そう思えるようになってきた。

依頼人の「ありがとう」が染みた瞬間

先日、ある依頼人が帰り際に「本当に助かりました、ありがとうございます」と深く頭を下げてくれた。こちらの表情を気遣ってか、柔らかい笑顔で帰っていった。あのとき、疲れた顔を見せてしまったかもしれない。でもそれで、距離が縮まったのかもしれない。きれいな顔より、疲れてても誠実な顔の方が、伝わるものがあるんだと信じたい。

顔に出るからこそ、共感が生まれることもある

完璧じゃないし、強くもない。けれど、その弱さを隠さずに生きているからこそ、誰かが心を寄せてくれる。顔に出る自分を嫌いになりかけていたけれど、今は少しだけ、肯定できる気がしている。今日もまた、顔に出るくらいには限界だけど、それでも、ここにいる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。