優しすぎる依頼者に泣かされる日

優しすぎる依頼者に泣かされる日

優しすぎる依頼者に泣かされる日

心を動かされた依頼者の一言

日々、淡々と業務をこなす中で、ふと心にしみる瞬間があります。司法書士という仕事は、法律と書類に囲まれているようで、人の人生の節目や悲しみに触れる仕事でもあります。そんなある日、ふらっと訪れた依頼者が、帰り際にポツリと「先生にお願いできて良かったです」と言ったんです。普段、感情を表に出すことの少ない私ですが、その一言が妙に胸に響きました。何気ないやりとりの中に、想像以上の感謝が詰まっていたんだと思います。

淡々とした日常の中でふと差し込む温かさ

毎日が忙しすぎて、自分が今どこを向いて仕事をしているのか分からなくなる瞬間があります。そんな中で、依頼者の言葉や表情に助けられることがあるんです。手続きの説明をしながら、ふと目が合ったときの柔らかなまなざしや、帰り際に深く頭を下げてくださる姿に、「ああ、この仕事をしていて良かった」と思わされます。決して派手ではないけれど、そうした一瞬の温かさが、疲れた心に染み込んでくるんですよね。

いつも通りの業務に訪れた「ありがとう」

登記申請の書類を渡して、「じゃあこれで手続き完了です」と言ったとき、「本当にありがとうございました」と深々と頭を下げられた日がありました。こっちは「いや、こちらこそ」くらいしか返せないのに、その言葉には妙な重みがありました。誰にでも同じようにしているつもりだったけど、その人にとっては何か特別な意味があったのかもしれない。自分の仕事が、誰かの人生の一部になっているんだと実感する瞬間です。

一瞬の沈黙が胸を打つ理由

言葉がない、ということが、時にどんな言葉よりも雄弁であると感じることがあります。目の前の依頼者が書類を受け取ったあと、しばらく何も言わずに手を握りしめていた。その沈黙がすべてを物語っていました。「この人、きっといろんな思いを抱えて来たんだろうな」って。その瞬間、こちらも言葉を失いました。沈黙というのは、時に最も深い感謝の形なのかもしれません。

自分よりも他人を思いやる人たち

中には、自分のことよりも家族や周囲の人のことを最優先に考えて動く依頼者もいます。遺言や成年後見の相談に来る方が、「自分がいなくなったあとの家族の負担を減らしたい」と語る姿を見ると、思わず目頭が熱くなります。こちらはプロとして冷静に対応しているつもりでも、心の奥では「なんて優しい人なんだ」と感動してしまうのです。

「私なんて大したことなくて」と語る優しさ

謙虚な人ほど、本当に人のことを考えて行動しているように思います。「こんなこと相談してすみません」とか、「私なんかに時間を割かせてしまって…」なんておっしゃる方がいますが、それってとても深い思いやりだと思うんです。そういう方に限って、周囲からはきっと頼られる存在なんですよね。そうした言葉を聞くたび、こちらこそ感謝したい気持ちになります。

自己主張のない依頼者にこそ見える誠実さ

こちらが尋ねない限り、自分のことを多く語らない依頼者もいます。でも、静かに手続きに向き合う姿勢から、誠実さがにじみ出ている。言葉ではなく行動で信頼を示してくださる方がいて、「この人のために頑張らなきゃ」と自然に背筋が伸びます。派手なやりとりではなく、静かで真っ直ぐな依頼者の態度に、こちらが救われることも少なくありません。

その優しさに甘えてはいけない自戒

優しい依頼者に触れると、「こちらももっと丁寧に応えなければ」と身が引き締まります。優しさというのは、受け取る側の責任でもあると感じます。あの人が我慢していること、遠慮していることを、こちらが察してフォローしなければいけない。それが信頼を預かる立場の人間としての務めだと思っています。優しさに甘えず、きちんと向き合う。簡単ではないけど、それがプロの矜持です。

涙が出るのは疲れているせいか優しさのせいか

ある日、業務が立て込んでくたくたになっていたときに、ふと依頼者の差し入れの飲み物を見て涙が出ました。「今日は暑いから」と言って渡された冷たいお茶。その一言と行動に、なぜか心がぐらっと崩れてしまったんです。疲れていたせいもあるでしょう。でも、それ以上に、その人の優しさが、自分の中の張りつめたものを溶かしたような気がしました。

こっちが弱ってるときに限って出会う人

不思議なもので、こちらがしんどいときに限って、そういう優しさに満ちた人が現れることがあります。「しんどいの、バレてるのかな」と思うほど。そんなとき、少しだけ泣いてもいいと思うんです。普段は泣く場所もタイミングもない。でも、そういう優しさに触れたときにだけ、自分を少し許せる。そんな時間があってもいいのかもしれません。

「泣いていいですよ」なんて言われたらもう無理

とある依頼者に、こちらが少し無理して笑っていたのを見抜かれて、「先生、泣いていいですよ」と言われたことがあります。冗談っぽく言っていたけれど、その言葉の裏には、たぶん本気の思いやりがあったんでしょうね。言われた瞬間、涙腺が崩壊しました。こんなことあるんだな、と。人に優しくされるって、こんなにも脆くなるんだと実感しました。

司法書士もただの人間だと気づかされる瞬間

法律のプロだとか、専門職だとか言われるけれど、やっぱりこっちもただの人間です。強がっているだけで、実は弱い。そんな自分に気づかされるのは、たいてい依頼者の優しさに触れたときです。仕事として割り切っているつもりでも、結局は人と人との関係の中に生きている。そんなことを思い出させてくれる依頼者たちに、私は本当に救われているのだと思います。

優しさに救われたこともある

依頼者に感謝されたり、優しい言葉をかけてもらったりするたび、「ああ、自分も誰かの役に立ててるんだ」と感じます。普段は業務に追われて見えなくなるこの感覚が、ふとしたときに蘇ってくるんです。優しすぎる依頼者に泣かされる日。それは、疲れた自分を少しだけ認めてあげられる日でもあるのかもしれません。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓