登記簿に浮かぶ真犯人
八月の朝、事務所の窓を開ければ、湿気混じりの風が書類の隙間をめくっていく。エアコンはまだ起きていない。そんな中で、例によってぬるいコーヒーを口に含んだところに一本の電話が鳴った。
「もしもし、こちら山城不動産の三宅と申しますが……」と、やけに丁寧な第一声。聞き慣れない名前だ。初対面の不動産業者からの依頼というだけで、嫌な予感がする。
朝のコーヒーと一本の電話
いつもと違う不動産会社からの連絡
電話の内容はこうだ。ある土地の名義変更登記に不備があるらしい。三宅は言葉を選びながら、だが明らかに焦っていた。「急ぎでお願いしたいんです。どうにもおかしな点がありまして……」
「はいはい、急ぎの依頼はだいたいロクなことがないんですよ」と心で呟きながら、ペンを取りメモを始めた。住所、名義人、変更の経緯。全部書いたが、情報はどこか腑に落ちない。
登記簿の名義変更が意味するもの
土地の所有者が短期間で何度も変わっている。それも、家族や親族同士でぐるぐると。まるで手品のように名義が飛び交う。司法書士を煙に巻くには十分すぎる手口だ。
「これ、もしかして――」そう思った瞬間、背筋に冷たいものが走った。これは登記を利用した詐欺かもしれない。表向きは合法でも、何かが変だ。動くべきだ。
サトウさんの冷たい推理
塩対応の中に潜む論理の刃
「その三宅って人、前にも電話かけてきてませんでした?」と、サトウさんがパソコンから目も離さずに言う。記録をさっと引っ張り出して、私の机に放り投げた。
見れば、確かに一年前にも同じ名字が。不審な土地取引の調査依頼があった。その時は依頼は途中で撤回され、うやむやになったままだった。「…まるでサザエさんの永遠の波平の説教みたいに、何度でも繰り返されるわけだな」
土地の所有者の不自然な移動
「名義が親から子へ、次は叔父へ、そして第三者へ…」とサトウさんが画面を見ながら独り言のように呟く。その指が止まった。
「あ、ここ。第三者って名義、去年のあの案件と一致してます」――事務員の直感が冴えわたる。塩対応でも、こういうときは頼もしい。
シンドウの聞き取り調査
昔馴染みの不動産屋との再会
地元の不動産屋、相原のところに寄って話を聞く。「ああ、その土地なら、ウチじゃないけど噂には聞いてるよ」と言って、相原はやたらと安い缶コーヒーを差し出してきた。
「転売目的っぽいな。やけに名義が飛び交ってるだろ? でもさ、ちゃんと契約書あるんだってよ、毎回。」と笑う。だが、私の目は笑っていない。
「なんとなく」で済まされない違和感
司法書士の勘、というやつがあるとしたら、今まさにそれが警鐘を鳴らしていた。「なんとなく気持ち悪いんですよ、この流れ」と私が言えば、相原は苦笑していた。
「あんた、変わらねぇな。昔から細かいとこばっか見てたっけ」と言われたが、それで食ってるんだ。昔からうっかりしてたが、気づくときは気づく。
謎の仮登記とその裏側
登記簿の空白期間に仕掛けられた罠
仮登記が一時的に抹消され、また復活していた。これはおかしい。普通ならありえない処理だ。どう見ても、何かを隠すために一時的に消していた。
関係法務局に電話して確認を取ると、案の定「書類の不備で一旦却下されたが、後日再提出があった」とのこと。書類の原本、確認できないだろうか。
司法書士だから気づけた些細な矛盾
普通の人は見逃すが、私のような司法書士は違う。書類の筆跡、押印の場所、印鑑証明の有効期限。全部整っているように見えて、ひとつだけズレがある。
それは、委任状の日付。登記申請日より後になっていた。ありえない。タイムマシンでもない限り。
容疑者と動機の交差点
利益を得るのは誰なのか
仮登記を繰り返し、名義を操作し、最終的に得をしている人物がいる。現所有者が再開発事業に絡んで高額で売却予定だという話を耳にした。
つまり、名義を変えて転売益を何重にも得ている誰かがいる。その一人が、三宅。もしくは、その裏の誰かだ。
偽造か合意か 重要な一点
問題は、当事者たちが全員「合意した」と証言していることだ。しかし、当事者の一人は既に死亡していた。その委任状が偽造であれば、話は一気に変わる。
サトウさんが手配していた筆跡鑑定の結果が届いた。「一致せず」――決定打だ。
決定的証拠とその入手方法
古い公図が語る土地の履歴
市役所の保管庫で埃まみれの地図を引っ張り出す。元の地目、筆界、地番変更の歴史。すべてを追っていくと、不自然な地番の飛びが浮かび上がった。
「ここが抜けてる。名義移転したはずの土地が、実は……」――つまり、登記上では存在していたが、実際には存在していなかったのだ。
筆界未定が呼び込む新たな疑惑
「隣地との境界が確定していないまま売買された形跡があります」と、境界に詳しい測量士が一言。これが意味するのは、該当の土地自体が、そもそも……
「存在していない可能性がある」ということだ。紙の上だけの幻。詐欺の舞台装置だったのだ。
追い詰められる真犯人
冷や汗をかいたのは誰だったのか
再び三宅に連絡を入れた。「確認したいことがあります」とだけ伝えたら、彼は妙に饒舌になった。余計なことを喋る者は、大体クロだ。
「私は何も知らない」と言いながら、知られたくないことを語り始める。それが人間だ。やれやれ、、、まるで名探偵コナンの犯人が自白する流れそのものじゃないか。
サザエさん的展開で裏をかく
最後は、サトウさんの毒舌が決め手だった。「あなた、去年も同じように逃げましたよね?」その一言で三宅は沈黙した。
繰り返す波平の小言のように、犯人の手口も同じだった。だが今回は、私たちがフネだったわけだ。冷静に、静かに、でも核心を突いていった。
やれやれ シンドウの反撃
元野球部の直感が決め手に
あのズレた委任状。あれを見た瞬間、「ストライク」と思った。野球でいうなら外角低めいっぱい。見逃せばアウト。打てばホームラン。
だから私は、フルスイングで叩き込んだのだ。法のバットで。
塩対応サトウの無言の頷き
事務所に戻ると、サトウさんはなにも言わず、ただいつものようにモニターを見ていた。だが、その口元はわずかに上がっていた。
やれやれ、、、結局、あの人が一番頼りになるのかもしれない。
事件の終息とその余韻
登記簿に残された新たな一行
不正登記は抹消され、法務局の備え付け書類には新たな調査報告が添付された。私の名前もそこに小さく記されていた。
「司法書士って、記録に残る仕事なんですね」と、かつて言われた言葉を思い出す。
コーヒーとため息のエピローグ
ぬるいコーヒーをすすりながら、ふと窓の外を見る。曇り空。午後の依頼はまだ手つかずだ。「やれやれ、、、」とため息をひとつ。
でもまあ、今日も一応、正義は勝った。そう思えば、少しだけ救われた気がする。