最近どうに笑ってごまかした

最近どうに笑ってごまかした

最近どうと聞かれて言葉に詰まる朝

「最近どう?」と聞かれると、なぜだか体がこわばる。そんなに深い意味で聞かれていないのは分かっているのに、うまく返せない自分がいる。朝のコンビニ、レジで会った同級生に言われたその一言に、思わず「まあまあ」と笑って流した。頭の中では、書類の締切、依頼者の連絡待ち、昨日の事務員とのちょっとした気まずさ――ぐるぐる考えていたのに、出てきたのはたったひと言の作り笑い。それが余計に、自分の中の虚しさを強くする。声を出すことすら、少し億劫になっているのかもしれない。

挨拶の裏にある沈黙の重み

形式的なやり取りの中にこそ、本音がにじむことがある。「最近どう?」という言葉の裏には、答えを求めているわけでもない、ただの挨拶だと分かっていても、自分の中に「ちゃんと生きてるか?」と問われているような気持ちになる。日々淡々と業務をこなして、書類に向かい、パソコンとにらめっこしていると、誰かとの何気ない会話に弱くなる。忙しさで誤魔化していること、誤魔化せなくなったこと、その沈黙に気づかないふりをしている自分がいる。

つい笑って流してしまう癖

「笑って流す」というのは、いつからか身に付いた癖だと思う。昔はもう少し素直に、うまくいっていないことも「うまくいってません」と言えた気がする。でも今は、「それを言ってどうなるんだ」という打算が先に立つ。たとえば役所で書類が通らなかった話をしても、相手は困るだろうし、面白くもない。だったら笑って「まあまあ」と言っておく。そうしているうちに、自分が何を本当は言いたかったのかも分からなくなる。それが怖くて、また笑う。

誰かと比べてしまう自分の弱さ

「高校の頃の友達が今、地元で不動産業うまくいってるってよ」と聞いたとき、何も感じないふりをした。でも正直、心がざわついた。誰かと自分を比べるなんて意味がないと分かっていても、気づいたら比べてしまう。独立して十数年、安定もしてる。でもどこか「何かが欠けている」と思ってしまうのは、自分の弱さだ。笑って誤魔化しても、比べてしまう心まではごまかせない。だったらせめて、その弱さも受け入れていくしかないのかもしれない。

忙しさを隠れ蓑にしてしまう日々

「忙しいんですよ最近」と言えば、なんとなく全部の説明がつく気がしていた。でもそれは、ほんとの気持ちを隠すための言い訳でもある。たしかに忙しい。相談、登記、電話、メール、期限のプレッシャー。でも、「忙しい」と言い続けているうちに、自分自身に向き合う時間を放棄してしまっている気がした。あれもこれも手を出して、結果としてどれも中途半端。そんな自分を直視するのが怖くて、忙しさに逃げているだけなのかもしれない。

仕事があるだけ幸せと言い聞かせる

「この時代に仕事があるだけでありがたい」と言い聞かせることは、たしかにある。地方で、しかも一人事務所でやっていけるのは簡単じゃない。だから感謝はしている。でも、ありがたさの中に閉じ込められているような感覚もある。「文句を言える立場か」と思えば、口をつぐむ。でもそれが積もると、「これでいいのか」という不安に変わる。感謝と不満の間で揺れながら、それでも目の前の業務をこなすしかない毎日は、なかなかしんどい。

でも本音は誰かに聞いてほしい

愚痴を言える相手がいたら、どれだけ楽だろう。事務員さんとは、あまり深くは話さない。彼女も忙しいし、私語で空気を乱すのも避けたい。でも本当は、「今日はなんか疲れましたね」くらいの一言を交わせるだけで、救われる気がする。誰かに本音を話せる場所があるだけで、人は踏ん張れるものだ。それがないなら、自分でなんとか消化するしかない。でも、そろそろ限界だと思うこともある。そのたびに、「まあまあ」と笑ってごまかしている。

事務員との他愛ない会話に救われる

最近、たまに事務員さんが「先生、お昼もう食べました?」と聞いてくれるようになった。そんな一言が嬉しくて仕方ない。会話って、用件じゃないところにこそ意味があるのかもしれない。ほんの少しのやり取りで、自分が「ここにいていい」と思える。忙しさや孤独に流されそうになっているとき、他愛のない会話が心を引き留めてくれる。気づかれないくらいの優しさが、一番しみる。自分も、そんな存在になれているのだろうか。

成果でしか自分を肯定できなくなっていた

気づけば、「成果」がすべてになっていた。登記件数、報酬額、処理スピード――それ以外の自分に、価値があると信じられなくなっていた。自営業というのは、結果がすべてだと割り切ってしまうと、それ以外の部分がどんどん削れていく。趣味もない、友達とも疎遠、日曜も仕事。気づけば、ただの「司法書士業務をする人間」になっていた。そんなときに「最近どう?」と聞かれても、「仕事はまあまあです」としか言えない自分が少し悲しい。

ひとりの時間が長くなるほど言葉も忘れる

誰とも話さない日が続くと、言葉が出なくなる。正確には、言葉を探すのに時間がかかるようになる。電話も減り、面談も最低限、事務作業ばかりしていると、話す筋肉が衰える気がする。そんな状態で誰かと会って、「最近どう?」と聞かれると、あまりに急に話しかけられたようで戸惑ってしまう。頭では返したいことがあっても、口が追いつかない。それがまた「社会との距離」を感じさせて、余計に自分の世界に閉じこもってしまう。

たまに来る順調ですかの破壊力

「順調ですか?」という質問が、こんなに胸に刺さるとは思わなかった。仕事も生活も、なんとかやっている。でも、「順調」と言えるほどではない。それをうまく説明するのが面倒で、「まあ、ぼちぼちですね」と返す。相手は悪気があって聞いてるわけじゃない。でも、自分の中の「順調じゃない何か」に気づいてしまう。そのたびに、自分の立ち位置を問い直す羽目になる。問いに答えられない自分をまた笑ってごまかして、帰り道にため息をつく。

一言の返事で全部ごまかせると思ってた

「まあまあですね」「変わりないです」――このあたりのフレーズが、私の防衛線だった。これを言っておけば、大抵の会話は流れていく。相手もそれ以上深く聞かないし、自分も踏み込まれずに済む。でも、それでごまかしていたのは、相手じゃなくて自分だった。自分の現実を直視するのが怖くて、「まあまあ」と言って逃げていた。最近になって、その一言の重さに気づくようになった。今度「最近どう?」と聞かれたら、少しだけ本音を混ぜてみようかと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓