疲れて帰ったら、電気も消えてた一人暮らし

疲れて帰ったら、電気も消えてた一人暮らし

疲れて帰っても誰もいない部屋──司法書士の現実

一日中、書類とパソコンに向かって頭をフル回転させ、ようやく仕事を終えて帰宅したその瞬間、真っ暗な部屋が迎えてくれる。「ああ、また今日もひとりか」。ただ電気がついていないだけなのに、なぜだかその景色がやけに冷たく見える。地方で司法書士をしていると、終業時間なんてあってないようなもの。誰に文句を言えるでもなく、事務所を出て玄関のドアを開けたとき、誰かが待っているわけでもない。こんな毎日を繰り返していると、「孤独」という言葉が生ぬるく感じてくる。

夕方以降の帰宅が日常に変わると心も暗くなる

もともと夜型ではないのに、気づけば帰宅はいつも20時過ぎ。依頼人とのやりとりや役所との書類調整で、気がつけば一日が終わっている。司法書士の仕事は、派手さこそないが、とにかく手間と気配りの連続。だからこそ、帰る頃にはもう心がすっかり疲弊していて、「今日はコンビニ弁当でいいか」と、食事も雑になる。部屋が暗いことに文句を言う人もいないし、暖かい食事もない。それに慣れてしまった自分が一番怖い。

「今日も何とか終わった」と思った瞬間に訪れる無音

玄関のドアを閉めた後、ふっと耳に広がる無音。テレビもつけず、ただボーッと立ち尽くす時間がある。あれだけにぎやかな一日だったのに、自宅では音ひとつしない。スマホの通知も鳴らない。「終わった」という安堵と同時に押し寄せてくる虚しさ。ふと「何のために頑張ってるんだろう」とつぶやいてしまう自分がいる。

冷蔵庫の中も心の中も空っぽな夜

空腹に耐えかねて冷蔵庫を開けても、そこにはビールと期限切れのヨーグルトくらいしかない。買い物する気力もないし、料理なんてもっと無理。結局、近所のスーパーの総菜をつつきながら、ネットニュースを無言で眺める夜が続く。冷たい食事と冷たい部屋が、自分の心の中の温度と重なってくる瞬間だ。

孤独を感じる瞬間は、決まって生活音がないとき

他人の生活音が聞こえない空間ほど、自分が一人であることを実感させられるものはない。たとえば実家なら、台所で母親が何かを炒める音とか、風呂場から聞こえる湯の音が安心感につながっていた。でも今は、部屋に響くのは自分の足音だけ。音がないというより、“自分の音しかない”ことが、じわじわと心を締め付ける。

テレビをつけることすら面倒な夜

「何か音が欲しいな」と思うことはあるが、リモコンに手を伸ばすのがもう億劫。情報が多すぎて疲れるし、バラエティ番組の楽しそうな会話が、逆に自分の孤独を浮き彫りにする。結局、何もつけずにベッドに沈み込む夜が増えていく。何も考えたくないけど、何も感じないわけにもいかない。そんな矛盾の中で、ただ時間が過ぎていく。

会話がない日々に慣れてしまう怖さ

人と話さない生活に慣れてしまうと、話すという行為自体が面倒になってくる。朝起きてから寝るまで、仕事の電話以外では誰とも話さない日もある。昔は人と話すのが好きだったのに、今では「誰とも話したくない日」のほうが増えてしまった。無口になった自分が、少しずつ別人になっていくような、そんな気がする。

仕事の重さと誰にも頼れない苦しさ

司法書士という仕事は、意外と「一人で抱える仕事」が多い。責任もあるし、判断も必要だし、最終的には自分の名前で提出する書類ばかり。だからこそ、ミスも許されない。誰かに頼るという選択肢が現実的でない場面も多く、どんなに辛くても「自分がやるしかない」状況に陥ってしまう。正直、肩が重い。

誰にも任せられないというプレッシャー

事務員さんには助けられているが、専門的な判断や実務の最終チェックは結局自分。細かい部分で気になることが多く、結局「自分でやったほうが早い」となってしまう。とはいえ、やることはどんどん積み重なり、デスクの上は未処理書類の山。プレッシャーを感じつつ、時間に追われる日々が続いていく。

事務員はいるが、結局自分でやるしかないことばかり

事務員がいてくれることはありがたい。だが、法的な判断を伴う案件や裁判所とのやりとり、役所への対応などはどうしても自分の仕事。結局、精神的にも実務的にも「孤独な戦い」が日常となっている。相談できる相手がいないことが、じわじわと心を疲れさせる。

「ミスできない」が常につきまとう日常

登記も裁判関係も、ちょっとしたミスが致命的になる。だから常に神経は張り詰め、気を抜くタイミングがない。休日にさえ「あの案件、月曜どうするか…」とふと不安になり、事務所に寄って確認することもある。安心して休むという行為が、どんどん難しくなっている。

やればやるだけ増えていくタスク地獄

一つ仕事を終わらせたと思っても、すぐにまた次が舞い込んでくる。繁忙期でも閑散期でも、結局やるべきことは常にある。スケジュール帳には「余白」がなくなり、電話が鳴るたびに「また何かか…」とため息が出る。業務の見直しも必要だと思うけれど、考える時間すら取れないのが現状だ。

登記、裁判書類、相談、全部自分

登記業務も裁判所提出書類も、すべての責任が自分にのしかかってくる。「効率よくやれ」と言われても、どれも一つ一つの精度が求められるため、スピード勝負とはいかない。相談も多様化していて、依頼者の悩みも複雑。形式的な処理で終わらせられないから、ますます負担は大きくなっていく。

土日も頭の中は仕事のことでいっぱい

カレンダーでは休みでも、心はずっと「仕事モード」。たとえば日曜日にドライブしていても、頭の片隅では「あの依頼、月曜どうするか…」と考えている。結局、完全にオフになれる日はない。「仕事のない日」があっても「仕事を忘れられる日」がない。それが一番しんどい。

誰かと過ごす選択肢が遠ざかっていく現実

気づけばもう何年も恋愛らしいことをしていない。婚活という言葉も遠く、週末に誰かと出かけることもない。「この仕事が落ち着いたら…」と言い続けて数年が過ぎた。周囲は家庭を築いていく中、自分はどんどん独りで過ごすスキルだけが上がっていく。そうして「誰かと一緒にいる未来」が現実から遠ざかっていく。

「今さら恋愛なんて」そう思い込む自分がいる

一人の生活に慣れすぎたせいか、誰かと生活を共有するイメージが湧かない。誰かに合わせることが面倒に感じてしまう瞬間もある。でも、心の奥底では「このままでいいのか」と不安もある。恋愛という選択肢を無意識に遠ざける自分が、未来の可能性も閉ざしているのかもしれない。

婚活イベント?笑える暇もない

知人から婚活パーティーに誘われても、予定が合わない。そもそもそんな場所で話をする余裕もない。仕事のストレスを引きずったまま誰かと向き合うなんて無理だと思ってしまう。笑顔を作るのが億劫になってきたら、もう末期かもしれない。

モテない歴=年齢のまま時間が過ぎていく

若い頃から恋愛経験が少ないまま、いつの間にかこの年齢に。自分に自信もないし、そもそも見た目にも気を遣わなくなってしまった。「まぁいいや」と思うたびに、可能性を手放してきた気がする。

それでも「誰かにわかってほしい」と願う夜

ひとりに慣れたはずなのに、ふとした瞬間に「誰かに話を聞いてほしい」と思うことがある。たとえばミスなく仕事を終えた夜や、妙に月がきれいな夜。そういう時に限って、誰にもその気持ちを伝えられない現実に気づく。

誰かとたわいもない話がしたい

内容なんてどうでもいい。ただ「今日、あれ大変だったよね」とか「この弁当うまいね」とか、そんな普通の会話が恋しい。でも、それすら叶わない現実がここにある。

「おかえり」の一言がどれだけ心に響くか

真っ暗な部屋に「おかえり」と言ってくれる人がいたら、それだけで救われる。言葉はシンプルでも、そこに心がある。司法書士という孤独な仕事を続ける中で、そんな一言がどれだけ支えになるか、経験したことのある人ならわかってくれると思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。