なぜか終わらない午前中の仕事
「午前中に終わらせますね」——この一言を口に出すとき、私はたいていその仕事が終わらないフラグを立てている。朝9時の時点ではスケジュール通りに終えるつもりだった。けれど、時計の針が10時を過ぎた頃から、じわじわと違和感が広がる。「あれ、これ終わらないかも」と。特に司法書士の仕事は、依頼人のひとことや窓口の対応一つで、想定の三倍以上の手間がかかることがある。そういう「予定外」が積み重なって、気づけば昼も過ぎてしまっているのだ。
「午前中に終わらせますね」の一言が呪いになる
このセリフは、もう二度と使わないほうがいいのではないかと本気で思う。口にした瞬間から電話が鳴る。書類の不備が見つかる。プリンタが紙詰まりする。そんな小さなトラブルが続いて、作業の流れが止まってしまう。以前、「午前中で終わるはず」と言った相続書類の確認作業に、役所からの不備指摘が入り、結果的に午後3時までかかったことがある。しかも、その書類を依頼人に渡した直後に、「やっぱり追加でお願いが」と追い打ち。呪いの言葉としか思えなかった。
電話一本でスケジュールが崩れる日常
電話というのは便利なようで、最も予測不可能なトラブル製造機でもある。ちょっとした確認のつもりでかけてきた電話が、なぜか15分以上話し込む羽目になる。特に高齢の依頼人が多いと、雑談を断るのも気が引ける。結果、午前中に一気に片付ける予定だった作業が分断され、集中力は削がれ、再開しても同じテンポに戻れない。元野球部の感覚でいえば、リリーフピッチャーを出そうとした瞬間に雨が降って試合が中断したような、なんともやるせない流れの切られ方なのだ。
たった一枚の書類が印刷できない朝
ある朝、たった一枚、認印付きの書類を印刷して郵送するだけの仕事だった。数分で終わるつもりだったのに、プリンタのインク切れに気づく。慌てて替えを探すもストックが見つからず、結局コンビニへ。戻って印刷しようとしたら今度はPDFが壊れている。修復に30分。ようやく印刷しようとしたら今度は宛先の住所が変更になっているとの連絡。気づけば午前が終わっていた。こうして「簡単な仕事」ほど長引くのがこの仕事の不思議なところだ。
午前中のつもりだった依頼が地味に重い
依頼内容が軽く見えても、蓋を開けてみたら複雑だったということは珍しくない。特に「ちょっと確認してほしいだけなんですが」と言われる案件が要注意だ。確認するには戸籍を取り寄せ、過去の登記を洗い直し、関係者と連絡を取る必要があることも。午前中に終わると思っていた書類作成も、結果として午後まで食い込むのはもはや日常茶飯事だ。そもそも、司法書士の仕事で「簡単」という言葉は信用しないほうがいいのかもしれない。
数分で済むと思っていた相続相談の落とし穴
「兄弟で話はついてますから」と言われた相続相談。確かに形式的には問題なかった。けれど、ひとりの兄弟が「ついでにこの土地の名義変更も…」と言い出してから空気が一変。資料をそろえるために過去の謄本を取り直し、何度も電話でやり取り。最後には「やっぱり税理士さんにも相談したい」とのこと。朝の段階では1時間の予定だったのに、昼ごはんを食べたのは午後3時過ぎだった。そういうことは、よくある。
「ちょっとした修正」が地獄の始まり
書類のミスを見つけて「これ、ちょっとだけ直しておきますね」と気軽に言ったとき、自分の首を絞めた感覚があった。表面上のミスだけなら良かったが、修正に伴って他の書類も連動して変えなければならないことに後から気づく。しかも、それを依頼人に確認すると「じゃあついでに別の名義も…」という追加依頼が発生。たった数文字の訂正が、その日のスケジュールを根底から崩すこともある。司法書士の仕事は、修正の裏に潜む罠が怖い。
事務員さんが休んだ日が一番きつい
一人で回してるような事務所だからこそ、事務員さんの存在は本当にありがたい。けれど、その事務員さんが体調不良で休んだ日には、戦力の半分が抜けたような気持ちになる。電話も書類も窓口対応も全部ひとり。どれも中途半端になって、ミスの不安と焦りが積み重なる。「今日こそは午前で終わるはずだった」と思ったのに、現実はあまりに厳しい。
電話を取りながら書類作って窓口対応
この三つを同時にこなすのは、なかなかの無理ゲーだ。電話が鳴れば書類の手が止まり、窓口に人が来れば電話を中断し、また書類に戻っても前のページがどこだったか忘れる。昔の職場で「マルチタスクは才能だ」と言われたことがあるけれど、私にはその才能が欠落しているのだと思う。ただただ、処理が遅くなっていく感覚。そんな日に限って、来客は多いし、書類はやたらと複雑。もう泣きそうになる。
自分がもう一人欲しい瞬間
事務員さんがいないと、誰にも頼れないという現実を突きつけられる。仕事量はいつもの倍以上に感じるし、イライラも倍になる。「分身の術でも使えれば」と本気で思った午後、コーヒーを飲みながら天井を見つめていた。自分がもう一人いたら、片方が書類を作り、片方が電話に出てくれるのに。そんな妄想をするくらい、疲弊していたのだ。
忙しいときに限って役所の電話がつながらない
午前中に済ませたいことがあるときに限って、法務局や役所の電話が一向につながらない。何度もかけては「現在、大変混み合っております」のアナウンス。ようやくつながったと思ったら、担当者が不在で折り返しになる。この待ち時間がじわじわと精神を削ってくる。結局、午前中はそのまま潰れ、午後に回される書類が山積みになる。待つしかないこの時間が、何よりもしんどい。
昼を過ぎても終わらない理由
自分の甘さと予定外の連続で、午前中どころか午後まで引きずることはざらだ。そして昼を食べ損ねたまま午後に突入すると、集中力はますます低下し、凡ミスが増えていく。そうなるともう悪循環。わかっていても、またやってしまう。その繰り返しに、少しずつ自信を削られていくのだ。
「ついでにこれも」って頼まれた瞬間の絶望
午前中にお願いされていた仕事が終わりそう、と思った矢先に、「先生、これもついでに」と追加される。しかもそれが「ちょっとじゃ済まない」ボリュームだったりする。断れない性格なのがいけないのかもしれない。でも、そんなに器用じゃないんだと、心の中で叫ぶ午後の時間帯。結局、終わらなかった午前と、余計にしんどくなった午後。なにやってんだろう、とため息が漏れる。
自分の段取りの甘さを痛感する昼下がり
振り返れば、段取りが甘かっただけかもしれないと思うときもある。見通しが甘かった、想定が雑だった。午前中で終わると思い込んでいた自分が浅はかだった。毎回同じ反省をしているのに、なぜか改善されない。午後3時、書類の山を前にして、コーヒーを飲む手が止まる。結局、自分の責任なのかもしれないと、ちょっと落ち込む。
終わらなかったけど終わらせるしかない
もう気力は尽きかけてる。でも、誰かがやらなきゃ終わらない。だから、自分でやるしかない。そうやって今日も無理やり区切りをつけて、形にする。完璧じゃなくても、最低限提出できる形にする。それがこの仕事のリアルで、妥協と我慢と自己満足の境界で毎日を生きている。
今日もなんとか形にして提出
結局、今日も午前で終わらなかった。だけど、夕方には最低限の書類を仕上げて、依頼人に提出できた。それだけでいいと思おう。完璧じゃなくても、前に進めたんだから。自己評価は低くても、仕事としての責任は果たしている。そう思わなきゃ、やってられない。
「明日こそは」と思いながら机を片づける
夕方、誰もいない事務所で机を片づけながら、「明日こそは午前中で終わるように段取りしよう」と思う。でも、たぶんまた何かが起きて終わらないんだろうな、という予感もある。だけど、それでも繰り返すのがこの仕事。どこかで期待して、どこかで諦めて、それでも続けている。