正解がわからないまま仕事をしている気がして眠れない夜がある

正解がわからないまま仕事をしている気がして眠れない夜がある

正解がわからないまま仕事をしている気がして眠れない夜がある

正解が見えないまま始まった司法書士の道

司法書士としての仕事に、明確な「正解」がないことは、実際に現場に出てから気づいた。資格試験は確かに正解がある世界だった。問題が出て、選択肢があって、間違っていれば×、合っていれば○。でも、いざ実務に就いてみれば、答えがどこにも書いてない。しかも、誰も「これが正しい」とはっきり言ってくれない。気づけば、正解がわからないまま、日々依頼者の人生に関わる決断を重ねている。そんな状態でも仕事は回るし、世の中も進んでいく。それがむしろ恐ろしくなる。

資格を取ったらゴールだと思っていた

試験に合格した瞬間、正直ホッとした。これで人生が安定する。これで周囲にも胸を張って「司法書士だ」と言える。そんな淡い期待を持っていた。でも、それは幻想だった。実際はスタートラインにすぎなかった。勉強で覚えた条文も、現場では使えない場面が多い。現実の依頼者は教科書のように整理されておらず、感情と過去と事情が複雑に絡んでいた。正直、資格を取ったあとにぶつかった現実のほうが、何倍もしんどかった。

初年度の自信と不安が交錯する日々

開業したばかりの頃は、自分の名前で仕事を受けることに、少しの誇らしさと大きな不安があった。依頼者に説明していても、心のどこかで「これで大丈夫だろうか」と疑っていた。初めての相続登記を終えたとき、「お世話になりました」と言われたが、正直、自分では手応えがなかった。ちゃんとできたのか、ただ書類が受理されたから「仕事したことになっている」だけじゃないのか。そうやって、初年度は自信のなさをごまかしながら乗り切った気がする。

成功体験よりも多かった反省と後悔

振り返ると、最初の1年で得られた「うまくいった実感」はごくわずかだった。むしろ、あの時もっと確認すればよかった、こう言えばよかったという後悔の方が記憶に残っている。ミスではないけれど、ベストでもなかった。正解ではなく、まあまあの回答しか出せていないような感覚。そうやって積み上げた仕事は、経験にはなるが、自信にはならなかった。

正解がない仕事にどう向き合うか

仕事に明確な正解がないという状況に、どう向き合えばいいのか。今でも正直、その答えは見つかっていない。ただ一つ言えるのは、「正解を探すのではなく、納得できる判断を重ねること」しかないのだと思っている。依頼者ごとに事情も背景も異なる以上、教科書通りの対応が最善とは限らない。だからこそ、毎回その都度、頭を悩ませるのだ。

依頼人の期待と自分の限界のあいだ

依頼者は「専門家としての答え」を求めてくる。でも自分は万能じゃない。制度の限界もあるし、自分の知識にも穴はある。そういう中で、「最善の提案」をしなければならない。たとえば、遺産分割の場面で、「誰が一番損をしないか」ではなく、「誰が一番納得できるか」を考えることになる。それは正解とは別の軸で、でもすごく重要な判断だ。その重みが苦しくなる夜もある。

判断を誤れば信頼を失うという重圧

何気ない一言が、後になって「こう言われた」とトラブルになることがある。こちらは何十件のうちのひとつでも、依頼者にとっては人生の一大事。そのプレッシャーが、言葉の選び方、説明の仕方、書類のチェック、すべてにのしかかってくる。慎重すぎると思われるくらいでちょうどいい。それでも、あとから「あのときの対応が不満だった」と言われたら、答え合わせもできず、ただ落ち込むしかない。

正解ではなく納得を探す苦しさ

結局のところ、司法書士の仕事は「誰かの納得」を作ることなんだと思う。書類を出すことが目的ではなく、関わった人たちが「これでいい」と思える結果にたどり着くこと。でも、その「納得」も人によって違うし、時間が経てば変わることもある。そう思うと、完璧な正解なんてどこにもない。ただ、その都度、相手の立場になって考えるしかない。だから、疲れる。でも、逃げられない。

それでも仕事を続けている理由

それでもやめない理由を、何度も自分に問いかけてきた。別に給料が高いわけでも、世間から称賛される仕事でもない。孤独で、地味で、地元で「何してる人かよくわからない」と言われることもある。でも、不思議とやめたいとは思わない。たまに、ほんのたまに、「あなたにお願いしてよかった」と言われることがある。それが支えになっているのかもしれない。

小さなありがとうに救われる瞬間

先日、ある高齢の依頼者が、手続きが終わったあと事務所にふらりと来て、地元のお菓子を置いていった。「この間は本当に助かったよ」とだけ言って帰っていった。たったそれだけで、報われた気がした。書類のチェックで胃が痛くなるような日もあるけれど、あの「ありがとう」がある限り、続けようと思える。人に感謝されるって、理屈抜きで力になる。

正解がないからこそ意味があるのかもしれない

もし仕事に正解があって、それを機械的に出すだけなら、この職業を続けていないと思う。正解がないからこそ、自分の判断に意味が生まれる。悩んで、考えて、間違いそうになって、それでもやってみて、誰かが納得してくれる。そのプロセスそのものが、仕事のやりがいなんじゃないかと思えるようになってきた。迷いがあるからこそ、人間らしい仕事になる。

不器用でも誰かの役に立てたら十分だと思いたい

自分は要領がいい方ではない。説明も回りくどいし、作業も速くない。でも、不器用なりに、一つひとつ丁寧にやっていれば、誰かの役には立てると信じている。それで十分だと、自分に言い聞かせながら今日も仕事をしている。完璧じゃなくていい。正解が出せなくても、誰かが少しでも前に進めたなら、それでいいと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。