とりあえず書いときましたが引き起こす静かなパニック

とりあえず書いときましたが引き起こす静かなパニック

その一言がすべてを狂わせる瞬間

「とりあえず書いときました」——この一言を聞いた瞬間、頭の中に警報が鳴り響く。いったい、誰の指示で?どのタイミングで?何を根拠に?地方の小さな司法書士事務所では、たった一つの曖昧な行動が全体を揺るがす。仕事は流れ作業ではない。誰かが一歩踏み違えれば、取り返しのつかないことになる。たとえ善意のつもりでも、曖昧なまま動くことがいかに危険か。事務員の「とりあえず」で地獄が始まる。優しさだけじゃ、仕事は回らない。

「とりあえず」の背後にある無責任

「とりあえず」とはつまり、「自分では判断できないけど何かしないと」という心理の現れだろう。わかっている、彼女は真面目にやっている。でも、その真面目さがズレると、こっちは数時間、いや数日を失う羽目になる。責任の所在が不明なまま話が進み、誰が止めるべきだったのかも不明。こうして書類の山が積もる。特に権利証や委任状まわりで「とりあえずやっておきました」なんて聞こうものなら、軽く目の前が真っ暗になる。

書類が動くのは誰の指示か

事務所で扱う書類の一つ一つは、法的な意味を持つ。軽い気持ちで送った一通の郵便が、登記の内容を決定づける。あるとき、補正書類を「とりあえず出しておきました」と言われた。あれは法務局と事前に話をつけておく予定だったもの。案の定、補正がかえってこじれて、一日かけて取り戻すことになった。責任は僕にある。でも、指示してないんだ。…じゃあ、なぜ動いた?その場で怒鳴りたいけど、怒鳴れない。この空気の重さ、わかってもらえるだろうか。

気づいた時には手遅れな登記申請

怖いのは、こちらが気づいたときにはもう「提出済み」になっているケース。とくに相続登記や抵当権抹消のように、複雑な経緯が絡む案件では、慎重な段取りが必要なのに、先走って書類が提出されてしまうと、修正どころか再申請という最悪の手間が発生する。費用も労力も精神も削られていく。しかも、お客様への説明は当然ながら僕がすることになる。「なぜそんなことに?」と聞かれたら、「とりあえずやったそうです」とは言えないのが、またつらい。

現場の混乱はこうして起きる

「やるべきことはやった」という達成感が、逆に混乱の元になることがある。小さな善意の積み重ねが、大きな誤解を生む。情報共有の曖昧さ、確認不足、連絡ミス。司法書士事務所という小さな舞台では、一つひとつが波紋のように広がっていく。「なぜこの書類がここにあるのか」「誰が提出したのか」その理由が見えないと、信頼関係さえ揺らいでしまう。事務所は戦場じゃないけれど、油断すればすぐに混乱する。

意図が見えない文書との戦い

たとえば、申請書の余白に小さくメモが書いてある。「多分これでいいと思います」。この一文がどれほどの不安を生むか。僕は霊感とかそういうの信じないけど、この「多分」に背筋がゾッとした。内容を追うと、明らかに誤った地番が記載されていた。慌てて原本と照合し、修正申請をかける羽目に。見えない意図と向き合う時間、それがどれだけ精神的にしんどいことか。せめて一言「確認お願いします」とつけてくれていたら…。

確認の電話が何本も続く日

一つの曖昧な行動の尻ぬぐいで、電話が止まらない日がある。法務局、依頼者、他の司法書士とのやりとり。全部、こっちにくる。事務員は「私のせいですか…?」と涙ぐむし、責める気持ちはないけど、正直疲れる。僕の声もどんどん平坦になっていく。「ああ、はい…」「確認します…」「…」。電話の受話器がどんどん重くなる。そうして一日が終わって、残ったのはヘトヘトの身体と、片付かない机の上。

結局やり直すのは誰なのか

最終的にやり直し作業に追われるのは、もちろん僕だ。書類の回収、差し替え、依頼者への説明、再度の申請。時間と手間が倍になるのに、報酬は変わらない。いや、むしろ信用が減るぶんマイナスかもしれない。なんのために時間を割いて丁寧に進めてきたのか、虚しくなることもある。「とりあえず」で片付けられたその一手が、僕の数時間を台無しにする。これは愚痴だ。でも、同じような経験をした司法書士さんなら、きっとわかってくれると思う。

事務所の空気がどんよりする瞬間

ちょっとした行き違いが続くと、事務所全体に漂う「どんより感」が止まらなくなる。小さなミスが大きく響く世界で、空気を読むことも仕事の一部。でも、正直しんどい。自分も疲れているし、相手も申し訳なさそうで、笑顔なんか出ない。やっぱり小さな組織って、空気が全部仕事に乗っかってくる。気づけば僕も無言でPCを叩き、彼女も無言で封筒を折っている。息が詰まるような午後。コーヒーを飲んでも、気分は晴れない。

事務員とのすれ違いが増えていく

最初はちょっとした認識の違いだった。だけど、「なんでそれを先にやったの?」という違和感が続くと、やがて信頼の隙間に変わっていく。僕も悪い。指示が曖昧なこともあるし、疲れてて口調が強くなることもある。でも、ふと気づくと、「言わなくてもわかるはずだ」と思い込んでいたのは、僕のほうだったかもしれない。コミュニケーションの大切さを、こんな形で思い知らされるとは。仕事って、本当に難しい。

「気を利かせたつもりだったんです」

ある日のこと。「とりあえず送っときました」と言われ、焦って状況を確認したら、完全にタイミングを間違えていた。僕が「どうして勝手に?」と聞いたら、返ってきたのは「気を利かせたつもりだったんです…」という言葉だった。もう、それ以上は言えなかった。怒れないんだよ。だって、善意から出た行動だから。でも、こういうケースが一番厄介。善意だから指摘もしづらいし、でも対応はしなきゃいけない。まるで感情の綱引き。

怒れない優しさとその代償

僕は昔から怒るのが苦手だ。元野球部だけど、後輩を怒鳴った記憶もない。事務所でも、事務員に強く言えない。だから、ミスが起きても「まあ、仕方ないよね」と流すことが多い。でも、それが逆に事務所全体の緊張感を緩めているのかもしれない。怒らない優しさは、時に責任をあいまいにしてしまう。結局、黙って後始末を続ける日々。「優しさ」ってなんなんだろうなって、コーヒー片手に思う午後が、今日もまた訪れる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。