気がつけば今日も法務局と会話していた
昔は友達とどこでご飯食べるかでLINEが盛り上がったものだけど、今は法務局の窓口に提出書類のチェックをお願いしている時間の方がずっと多い。今日も朝から登記申請で法務局へ。気づけば、世間話もできるようになっていた。どこか寂しい気持ちになるのは、休日に会う人が事務員か法務局の人という現実にあるのかもしれない。世間話のネタも、もはや仕事関連ばかり。会話の内容が「補正出ました?」だったとき、自分がどこか遠いところに来てしまった気がした。
顔を覚えられるほど通っている現実
「また来たんですか、先生」なんて言われるくらいには常連になってしまった。最初は丁寧だった窓口対応も、最近はだいぶフランクに。「今日の申請、3件目ですか?」なんて、出勤簿みたいに把握されている。これが飲み屋だったらちょっと嬉しいんだろうけど、ここは法務局。恋の予感はゼロだし、帰り道の足取りはやたらと重たい。昔の同級生は、たぶんもっと別の意味で顔を覚えられてるんだろうなあ。
「あ、○○先生また来たのね」と言われる切なさ
ある日、書類を提出しようと窓口に立つと、受付の女性が笑顔で「また来たのね」と言ってくれた。その言葉自体は優しさだったのかもしれない。でも、その一言が妙に刺さった。なぜだろう、自分でもわからないが、まるで通い慣れたコンビニのように見られているのかと思うと、なんとも言えない気分になる。もしかしたら、僕が本当に親しく話している女性は彼女だけなのかもしれないと思った。
受付の人に冗談が通じるようになったあたりで気づいたこと
「今日の申請、重ねてきましたよ」なんて冗談を言ったら、ちゃんと笑ってくれた。嬉しかった。でも、それが普通の感情じゃないことにも気づいてしまった。僕の生活の中で、笑い合う相手が法務局の職員になっている現実。それって、どうなんだろう。お昼を一緒に食べる人もいないのに、書類と向き合う時間だけは着実に増えていく。もしかして、これって人として大切なものをどこかに置いてきたんじゃないか。そんな思いにふと立ち止まる。
法務局との距離は近づくばかり
別に法務局が悪いわけじゃない。むしろありがたい存在だ。だけど、ここまで「親密」になってしまうと、少し怖くなる。10年前の自分は、こうなるとは思っていなかった。独立した頃は、もっと人との出会いや、地域とのつながりにワクワクしていた。でも今は、法務局のシステムエラーに一喜一憂する日々。気づけば、人間関係の優先順位が、法務局>友人になってしまった。
恋人よりも行っている場所
友達は恋人なんてもう長らくいない。久々に誰かと食事に行ったのは、開業当初に一度だけデートしたあの子くらいか。そのときも、頭の中は登記の締め切りと補正の心配でいっぱいだった。結果、楽しい空気を作れず自然消滅。対して法務局には、週に数回通っている。恋愛の相手が「法務局」って、冗談にもならない。でも、それが現実だ。距離も心も、こっちの方が近い。
昼休みにごはんを一緒に食べたのも法務局の近く
ある日、提出書類の不備で午後イチに再訪しないといけなくなり、昼休みに近くの定食屋に入った。たまたま隣に座っていたのが、さっき窓口で対応してくれた職員の方だった。「あ、先生もここ来るんですね」なんて笑いながら会話した。でも、なんだろう、普通に雑談してるだけなのに胸の奥がズンと重くなる。休日にこうやって誰かと話せる場所があればいいのにって、ふと思った。
法務局のコピー機に詳しくなったことに驚いた
もう法務局のコピー機の使い方は、誰よりも熟知している。コピー料金が上がったタイミングも知ってるし、紙詰まりの対応方法もマスター済み。ある日、他の先生が困っているのを見かけて「こうやると直りますよ」と教えてあげた。その瞬間、なぜか虚しくなった。本来なら、もっと別の場所で誰かの役に立ちたかったのに。コピー機のプロになっても、誰も褒めてくれない。
友達と連絡を取ることが減った理由
同年代の友人たちは、家族を持ち、子育てに忙しい。連絡も自然と減っていった。こちらから声をかける気力もなければ、誘われることもない。法務局とのやりとりは続くけれど、人とのつながりはどんどん細くなっていく。久々にLINEを開いてみても、最新メッセージは事務員との業務連絡ばかり。人として、何か大切なものを見落としている気がする。
連絡は事務員とLINEするくらい
事務員とのやりとりも、ほぼ「書類できました」「提出しておきます」などの業務連絡。スタンプすら使わない。仕事以外でスマホを開く理由がなくなってしまった。昔はもっといろんな人とつながっていたのに。元野球部の仲間とも連絡が途絶えて久しい。バットを握って汗を流していたあの頃が、今はまるで夢の中の話のようだ。
法務局からの電話には即レスするのに
友達のLINEは既読スルーでも、法務局からの電話には反射的に出てしまう。これが仕事の責任感なんだろうけど、なんだか悔しい。プライベートの優先順位が仕事に完全に食われている。たまにスマホに表示される着信履歴の「法務局 ○○出張所」って文字列を見て、「また俺の生活が削られていく」と苦笑いするしかない。
同窓会の誘いより登記期限のほうが優先される生活
去年の同窓会、行けなかった。理由はシンプル、登記の締切がその前日だったから。結局、夜遅くまで補正対応して、気づいたら日付が変わっていた。同窓会は誰かのSNSで楽しそうな写真が上がっていたけれど、自分はそれを指でスクロールするだけ。「誰にも迷惑かけてないし、これでいい」と言い聞かせるけど、やっぱり寂しさは拭えない。
そんな自分にふと笑える瞬間もある
でも、時々「自分っておかしいな」と笑える瞬間があるのも事実だ。書類の山に囲まれて、法務局の手続きに一喜一憂する人生。でも、それを続けている自分が、案外嫌いじゃないのかもしれない。無駄に真面目で、不器用で、ちょっと寂しい。でも、それでも誰かの役に立っていることが、わずかな誇りになっている。
法務局で笑ってくれるのはありがたい
疲れていても、窓口でちょっとした冗談に笑ってくれる人がいると、なんだか救われた気になる。それがたとえ業務の一環だったとしても、その一瞬があるだけで今日一日が少しだけ軽くなる。やっぱり、人とのやりとりって、仕事の中にこそあるんだと思う。そう思うと、法務局と関係が深くなってしまったこの日常にも、少しだけ感謝したくなる。
仕事の愚痴が言える相手が実は法務局職員だった
ちょっとした書類のミスで落ち込んでいたとき、窓口の人が「みんなやりますよ、先生だけじゃないです」と言ってくれた。その言葉にどれだけ救われたか。家族でも友達でもないけど、仕事の場でこうして人の温かさに触れることがあるから、辞めずにいられるんだと思う。誰かのちょっとした言葉って、本当に力になる。
誰かに聞いてほしいけど、まずは法務局に提出しなきゃいけない
話したいこともある。弱音も吐きたい。でも、今は誰かに連絡するよりも、まずはこの申請書を提出しなきゃいけない。そんな日々の繰り返し。でも、きっとそれを乗り越えた先に、また誰かとの新しい関係があるのかもしれない。そう信じて、今日も書類をカバンに詰めて、法務局に向かう。これが僕の、ささやかで誇れる日常だ。